と、リンゴの行商に出たい位です。あなたの工合のおわるかった時分、私自身何か何かと考えよくリンゴと考え、又リンゴ召上れなどと書いたでしょう? それを思い出して苦笑ものです。リンゴは閉口して、ミカンをたべて居ります。ついでに食事をかくと、もう普通で、朝おみそ汁御飯一杯半、何か野菜の煮たの。ひるは、トーストに紅茶と何か一寸一皿。夜、おつゆ、魚か肉、野菜、御飯二杯。その位で、間にはカステラ一つ位。間食はしない方です。体重はすこし減ったかどうかです。顔もきっと御覧になると、どこも細くはなっていないよ、と仰云るのでしょう。今はまだ脚の力がないの。でも、ベッドの上下、折りかがみ等楽に致します。まだ横向きに臥られません、どっかが心持わるくつるのです。右へも左へも本当の横向きは出来ない。仰向いて例の二つ手をかつぐ形で眠ります。夢はまだ見ます。いやね、昨夜の夢は、小さい小さい耳掻きがいくつもいくつもうんとあって、私はその一つ一つの小さい耳掻きの凹みにつまっている何かのごみをとらなければならなかったの。面倒くさくなって、理屈をこねているの、いろんな発明があるのにこんな下らないことに人間の手間を無駄にしているなんて、非理性的だ、と云って。
非理性的なんかというのは、ひる間考えていた言葉なのです。非常に自分が薬欠乏を感じて、渇いて、求めて求めて呻《うな》るような気持でした。苦しさのどんづまりで不図自分のこの激しい渇望は、与えたい渇望なのだろうか、与えられたい渇望なのだろうかと考えました。それは勿論二つが一つのものですけれども、それにしろ、やっぱり与えられたい激しさであって、この気持そのままあなたの前に提出したら、それはあなたをたのしくよろこばせるものだろうか苦しませるものだろうかと考えました。よろこびの要素が多量にあるにせよ、よろこびをそれなり表現出来ないことの苦しさは確かです。そう考えているうちに、つきつめた心持がうちひらいて、二つの心のゆき交いをゆったりと包んで見るような調子になりました。それにつづけて、女の心のやさしさと云われているものについて考え、本当の、私たちの望ましいやさしさとは、悲しみに打ちくだかれる以上の明察を持つものであること、あらゆる紛糾の間で常に事態の本質を見失わないことから来る落付いた評価がやさしさの土台であることなど、新しい味をもって感じました。やさしさなどと云う
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