りからいろんなケチくさいつきものをぐんぐんこわさせていらしたことの価値も、今にして十分わかります。よく、自発的にやらないということについて、きつく仰云ったし、これからもきっと云われるでしょうが、自発的にやらないところがあるのは即ちその意味がわかっていない、或はそのことの真意の在りどころがつかめていないので、(私はわかってもやらないという気質ではないから)私の場合には幸、あなたの云いつけは反《そむ》くまいという努力が原初的な形であるので、それによってフーフー云ってやって、さて成程とわかる式ですね。
一人の資質が三様四様の才能の最高最良な開花を見せることなど現実には稀有でしょうね。私は、終局においては賢明である目前の愚、或は鈍と、たゆまざる根で、やってゆく。そして何がどこまでゆくか一杯のところで生涯が終って、一杯ギリギリまでやったと自身で思えれば、よろこびとします。素直であり、素直であるがために現実が客観的現実のありようにおいて見えざるを得ず、それが見える以上見えないことにはならないという、そういう力が、芸術の背柱をなすわけですが、そこまで身ぐるみ成るのは大事業ですね。掃除がすっかりすんだというような固定的なものでないことはわかります。あの掃除では、ゴミはこれ程たまるものかと感歎したのですもの。掃除のあと、スーとして寒いようになった程ですもの。そこへその肌にあたる空気の工合におどろいたのですもの。真の愉しさ、生活のよろこばしい共感が、高まるための相互の献身と努力にしかないと云うことは、明らかなのだと思っていて、先頃はそういう努力がないとか足りないとか云うことがあり得ざることといきばって、そのことにだけ執していたから、哀れにも腹立たしき次第でした。そういう折のあなたが私を御覧になる独特の表情を思い出すと、切なかったことも思い出し、涙が滲むようだけれど、ひとりでに笑えもします。実にあなたは表情的なのを、その程度を、御自分で知っていらっしゃるでしょうか。唇一つの工合で私はもうハアとなってへこたれることがあるのを。こわい、こわいこわさ。そして全くそのこわさの深さに深くあり豊富に溢れるその反対のもの。この机の上の瓶から紅梅の小枝を折ってあなたの胸に插しながら、ききたいと思います。あなたはどうしてそういう方? ね、どうしてそういう方でしょう!
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