についての探求や自覚は、どうも女は男のひとよりも、社会の歴史のためや環境的なものによって、ぼんやりして居りますね。そう思われる。男が生存のために、最も低俗な水準からであるとしても、俺のとり得《エ》はどこかということは、考える。学生時代から考える。そのような人的マサツが早くからある。大多数のものは、その探究と俗処世法と結びつけて、自分の世渡りの方法をかためてゆく。女はその点でも自然発生的ですね。だから、つよい資質の特色があるものが、僅かに自然発生的にその道に赴き、相当行って自覚的努力に目覚める場合が多く、それより更に多い例は、自然発生的な資質は、環境が自然に発生させているマイナスによってこれまた自然発生的に害《そこな》われ、萎靡《いび》させられ、未開発のまま消滅してしまう。
私などは、所謂文壇的野心など全くなくて小説をかきはじめそのような事情が自然発生的であったと共に、それから後の長い期間が模索の方向の健全さにおいても、破壊と建て直しのやりかたにおいても、本質的には自然の命じるまま、というところがありました。あなたが、余程先、手紙のなかでユリのよさや健康性が相当つよくてもそれは内在的なものとしての範囲から出ない場合が多いと、文学のことにふれて云っていらしたことがある、その点だと思います。だから、自分にわかるところまでは実にわかっても、わからないことに到ると平然と自信をもってわからないでいる式の撞着が、おのずから生じることが多かったわけです。内在的本質ということについても、あのときは字は分っていたし、返事に、わかったこととして答えていたかもしれませんが、このお手紙に云われている通り、案外ほんとに合点の行っているのは昨今のことかもしれないとも思います。この頃の生活は私のこね直しというか、芸術の成長の上でもう一段追っ立てる上からも、私にとっては、実に一つ一つを含味反芻する経験(内的に)の日々であって、枠のとれた肉体で(この枠のこと、前にかいた手紙にありますが、覚えていらっしゃるかしら)現実へ入ってゆく感じです。
私たちの生活というものに腰がきまって来る、そのきまりのなまはんじゃくさが減少するにつれて、ぐるりが見え来るし、じりっとした工合が変って来て、ものを書く心持も亦えぐさ[#「えぐさ」に傍点]が本ものに近づいてゆく。あなたがこわい顔をも[#「をも」に傍点]して私のまわ
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