顔)しかし、真面目に、十分の睡眠を失わない早ね早おきは、そのはじめと終りが体にいいばかりでなく、そういう一日は、当然一日の使いかたをしゃんとするから大いによろしいということになり、私は勿論、本気で心がけて居ります。その点は御安心下さい。けさも実に大笑いしました。寿江子が、いろいろ私に気をつけろと云って、「私から申上げるのは恐縮ですが、どうぞ益※[#二の字点、1−2−22]早ね早おきを遊せ」と云ったから。其那挨拶をさせるだけでも大したことだと大笑いでした。おそらく犢の生涯に初めての挨拶ではないかしら。あなたの鼓舞激励、(プラス叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]も少々)遂に犢に及ぶ有様です。夜になると、私がキューキュー云って、おそくなるまいとしているのも彼女を感激させたのかもしれません。そのキューキューぶりはお目にかけたいと思います。朝は大したことないわけですが、夜のキューキュー加減と云ったら。
御褒美はありがとう。折角の特製牛乳のこと故、ワイングラス一杯では足りません。あれは小さいものですもの。数杯のんだときにでも、私たちはたっぷり大きいコップでのむ習慣でした。大抵の疲れや風邪ぐらいはあれで癒ります。
詩譚、うれしかった。物語のこまかい節は不思議と覚えていて、題のはっきりしないときは妙な工合です、教えて下すってありがとう。二人の番兵たちの名はピム、パムでした。桜坊《サクランボ》色の帽子をかぶって、雄々しい騎士のためにでなければ決して城門は開かず、円い楯をひかえて立っている姿はなかなか愛すべきです。ピムとパムとは、朝も夜も丘の頂に立って、ゆるやかな丘陵の起伏、微かに芳しい森林越しに海の潮ざいを聴いている。ときに潮ざいは高まり、波は磯にあふれ、ピム、パムが騎士の到着を待つ心は張られた弦のように鋭くなり風のそよぎにもふるえる程だが、そのようなピム、パムたちの風情は深い、そして真面目な美しさへの感動をもって語られています。
生活というものが、ジグザグの線で進み、しかもまことにエッチラオッチラであること。それは実に痛感します。一寸手をゆるめれば、一方が小休み的状態から居眠り的な程度に陥ったりしてしまう。エッチラオッチラにしろ、足の運びのように、一方ずつが、ともかく前へと運び出されつつ相互に動いているときはましですが。自分が、どのような資質をもっているかということ
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