で文学らしき文学と解釈すれば、作家の生活能力如何が、これからの多岐な社会生活の中で最後に決定条件となるものだということが益※[#二の字点、1−2−22]考えられます。そして、それは、明かに光治良氏のように妻君の金もちや、丸山義二君のように、二百円もらって温泉で農民小説をかく生活能力[#「生活能力」に傍点]ともちがったものであるのだから。
 母親がね、小さいときから赤ちゃんを抱いているため、段々腕の力がまして、相当重い赤ちゃんも比かく的疲れず抱くということ。屡※[#二の字点、1−2−22]思いますが、このことのうちにある自然の微妙な美しさ。
 さて、今私は可哀そうなビッコタンです。けさ、上り屋敷の駅で電車にのろうとしたら右足のふくらはぎがどこかプキンとしたら、筋がちがったと見えまるで痛くて、今はヨードを塗り湿布をして小さい象やの怪我姿のようです。でも大したことはないでしょう。明日もゆきます。きょう御注文の三笠の目録も『科学知識』、もありました。『東京堂月報』、とりあえず、家に来ているのをお送りしておきます。和露は近日中に出かけてしらべましょう。
『科学知識』は予約しましょうか、毎号それぞれよむところがあり私もお下りをやはり興味もちますから。
『都』に、フランス文学と、アナーキスティックな思想の擡頭ということを書いている人がある。これはまとめて読んできっと又感想があろうと思いますが、いろいろ実にわかりますね。あすこの雑多性、それの時代的|歪《ゆがみ》など。作家イバニエスの故国においてにしろ、そういう要素が活躍したのですから。簡単に燃え、たやすく消える装飾の灯かざりというものはいつもある。その幻滅を、文学的[#「文学的」に傍点]に修飾しようとするエセ文学趣味がある。自分のしんが燃えつきるとそれで歴史のともしびも燃えきったように思うおろかしさ。うぬ惚れ。いろいろある。文学は人間の精神をとまし、同時によごしてもいる。そのありようの条件にしたがって。
 片上さんの第一巻(全部で三巻)一寸頁をくって見て、いろいろ感じ深うございます。文章が何と肉体的でしょう。今、こういう風にしんから身をなげかけて書いている評論家、こういう人間情熱が揺れているようなものをかく人はいません。皆とりすまし、自分を六分か七分出し、あたりの兼合を気にしている。昔『生の要求と文学』とかいう本があって、私の最初
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