、昨夜見た夢はどこかアメリカの植民地で、ポプラーの大変奇麗な緑したたる並木道があり、そこを通りぬけてポクポク埃っぽい道へ歩いて出たら、むこうから人力車が来る。それが日本と支那の人力車のあいのこの形をして、白粉をつけた娘が三人も一台にのっていて、友禅の衣類をつけていて、歩いている私ともう一人どこかの女を、大層軽蔑するように俥《くるま》の上から眺め下して通りすぎました。そんな色の鮮明な夢。心理学者は普通夢に色彩はないと云いますが、私は夢としてすこしはっきりした夢を見るときは、いつもごくはっきりとした色彩を伴っています。
 鴎外の、「妻への手紙」というのをよんで、別品《べっぴん》だの何だのという古風な表現をよんだものだから、きっとそんな夢で人力俥なんか見たのかもしれない。
『戦没学生の手紙』は、この本に日本訳されていない部分だけロマン・ローランによって紹介されているそうです。やっぱり一つ一つ特殊な境遇に生きた二十三四歳の若々しい心の姿があって、それが多くの幻にとらわれているにしろ、一律の観念に支配されて物を云っているにしろ、哀れに印象にのこるものをもっています。最後に私の心に生じた疑問は次のようなものです。人間が非人間な非合理な生活の条件に耐える力は実に根づよいが、それを正気で耐え得る人間というものも亦何と尠いことであろう。大抵が、何かの観念に逃げこむ。それで耐える。そのために、非合理な条件を改善する或は根絶させる力がそらされて、減じられてしまう。キリスト教の伝統のある精神の動きかたは、そのことをつよく感じさせますね。現代の神話もそのことをつよく感じさせます。
 歩くのがまだ十分ゆかず。又本気な読書もすこし重い。それで、いろいろふらふら読書をしている有様です。
 明日は売店が開かれてエハガキを買えます。早速お送りいたします。又あしたの予定は、すこし建物の内を散歩することです。二階の大廊下はからりとしていて心持がよいから。今私のいるい 号の上の部屋(真上ではありません)で父が亡くなりました。この病院は父がプランしたので、おれは慶応で死ぬ、と云っていた、そのとおりであったわけです。尤も自分が病人となって見たらいろいろ苦情が出てこの次建てるときはもっともっとよくすると盛に云っていた由。こちらの建物は旧館で、新館の方はもっと帝国ホテル流で私は気に入って居りません。こちらは白壁で、
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