いきさつがじっくりとわが胸に見られていなくて、現実に前の方の目だけでぶつかっている、そのためにあるよさはあるとして、足りないものがある、芸術品としては。つまりあの一篇の中に「忘られない或もの」というものがあるでしょうか。それだけ突こみ、迫り、描き出したところがあるでしょうか。ここが面白い。作品にそういう奥ゆきが出るということ、味のあるということ、それはとりも直さずその作家が自身の心にもっている複雑性の把握の厚みの反映ですから。
この点については現代文学史的な含蓄があるのです、私一ヶのことではなく。沈潜を、正当な発育の方向に向ってやって行かず、(外部の歪ませる条件と自分の内の歪むまいとする希望、にもかかわらず歪みに吸いよせられる条件として|ある《存》もの等をきつく見較べてゆかず)所謂おらく[#「おらく」に傍点]に自分の上に腰をおろしてしまって、元来は文化の歴史のマイナスの面がむすびついて一見文筆的才能と現れているようなところへ沈潜[#「沈潜」に傍点]して行きつつある顕著な実例がある。音を立てず、而もそうやって水平線が岐《わか》れつつある。深刻なものです。「雑沓」が旅立以来無銭旅行的テムポであるというのは名比喩で一言もありませんが、私としてはそういう全局面の見晴しから、一時たまっている水のどっとはける予感でいるわけです。自分論は、生活的な面からそして文学的なものからもふれていたと思いますが、そういう気で書いていたのですが。自分の生成の過程その拡大、そのプロセスにある諸相として。自分についてそのように見直してゆこうとするものが全く作家としての欲望の一表現であると感じられていたと思います。自身の作品へ対しての様々な希望、現実のありようについての疑問もとりのけられてはいなかったのです。作家としてのよりひろがりと深化と芳醇化とをはげしく求める気持がある。そこから。あなたを目の先におかずに、という風なことわりがきが書かれたのも、あれは単にあなたへ向っての知的陳列の欲望とはちがったものを書く動機として感じていたからでした。歴史的な文学的プログラムがいるという感じも、そのつきつめから生じています。
この前のお手紙に、到達されている省察の上に立って生活と文学との実際でそれを具体化してゆくためにはなかなかの辛苦がいるだろうと云われていたのは全く本当だと思います。具体化してゆくためには
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