初めて見ました。真中に四間通りが一本通っていて、やがては住宅地になるのでしょうが、きのうは雪が落葉の上にあって独特の眺めでした。護国寺の方から市電が池袋までのびるところで、いかにも新開地らしく、古い餌差町という停留場の棒が立っていたりして居ります。こっち側と池袋の駅よりの方歩きました。自分で大体の当りをつけておかないと、ひさを見させるにも具体的でないから。明日は土曜日ですから或は又何か見当らないものでもないかもしれません。この頃は、もう裏から電車とバスで出かけて居ます。行きの時間には相当もまれる、それももう大丈夫ですから(歩ける距離に見つけるまで、)
勉強の方は、入院前よみかけていたものプルードン批判をよみつづけて居ります。書く方は、『文芸春秋』が小説をのせるようにして見たいと云っているので、それを今ねっているところです。短篇ですが去年の秋ごろから心にとまっている題材です。お手紙に云われている創造力の源泉の問題は、私の場合ではやっぱり生活の掘り下げかた、生活への沈潜度の問題、その条件としての私の夾雑物への目のつけかたというようなものとむすびついていると思います。ここには非常に興味があり且つ微妙な問題があるので、多難な時代の中で成長してゆこうとする芸術家の努力の様々の段階のプラス・マイナス層が現れていると思います。いつかの連信の中であったか、或は他の手紙の中であったかに、一寸ふれたと思いますが、条件に対する抵抗力というか独自性の自覚(歴史にふれての)というようなものを、外へ向って押すように感じていた時代(これは表現は変化しているが期間としては相当長いように思います、一九三〇年頃から昨年ぐらいまで)その範囲で、「健気《けなげ》な」執筆をもしていた時代。勿論そのときはそれで精一杯であったのですし、そこにある反面のものにも心付かなかったのですが、去年の冬、それから暮以来(あの大掃除を区切りとして)これまでの自分が作家としてもっていたプラスとその反面のものが見えて来ました。だから同じぐらいの短篇を考えても、これから書きたいと思っている気持から例えば「小祝の一家」ね、あれをよみかえし考えかえして見ると、今の自分には沈潜度が不足していると感じられます。では何故沈潜度が不足していたかというと自分が認めるより正しさよりよいものへ向う面と、その一方自分にまだまだあるところの負の面との
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