一つ一つと営々と書かれて行かなければならず、そのことでは本年は考えるだけ苦しくつきつめるだけのところから出て来ていて、書く時が来ていると感じます。家が歩いてゆけるところに見つかったら、そのことからもいいと思います。「自分でも認識出来ない負的習性」というものは実に出没自在の厄介ものであるわけであり、「私」の問題も片面ではその最たるものでしょう。例えば表をきっちりつけないこととか、事務的にしゃんとしないこととかをもそのうちに数えられているわけですが。そして、その事自体より複雑な不快をあなたに与える心理的な性質をももっていると思われます。私はこの頃は自分の負性ということについては偏見なしに考えられるようになって来ているし、傷つけられる心持もなしに批評の言葉をもきこうという傾向です。環境的市民的性質のマイナスの作用のことも、謂わばこの頃身に即したものとして見ることが出来、その点も、自分の善意を肯定してその点から自分はとりのけとしておいて、そういうものを歴史性において見るという態度からは育って来ていると信じます。そして、真の成長のためには、現段階で自分のプラスにたよるのではなく、負性に対する敏感さが欠くべからざるものであるのもわかる。「雑沓」が真に描かれるにはこの一点が何か真髄的に重大なものであった。そういうものがそれだけ重大だと分ったのが、昨年夏以後の苦しさのおかげであるというところに、又見のがせない意味があるわけです。
表のこときょうはサボタージュしたねと云われてしまいましたが、十七日にはじめてそちらへ行ったとき、もういいでしょうというようなことを云っていて、それから又あとに、熱は十日まででよいがと云われ、じゃ二月一日からちゃんとつけて、というようなことだったと思います。あなたがああいう目をなさると、駄目よ。私はとたんに叱られる子供にかえったような工合になって、困った気ばかりするから。あなたが、ちゃんとしない、そのことの奥にあることへの気持で仰云るのは判るのですが。ああいう目にいきなり息をつめてしまうのだって、やっぱり私の負性の一つかとも思ってしまいます(半分本気。半分冗談)でも、勿論これは、あなたが私に向ってはどんな顔をなすったって、目をなすったって、いずれもよし、という土台に立ってのことですから、どうぞそのおつもりで。私も段々えらくなってたった一遍でもいいからああい
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