ミき女の部屋らしく、きょうは人形だの古風な糸でかがった大きい手毬だの、琉球生の野生虎の尾という植物だのが机の上にあります。ベッドから見て珍しく風変りな光景です。人形は満州へ行った女の人の土産、大きい手まりと、紺色支那やきの硯屏《けんびょう》の前においてある、赤土素焼の二匹の狗《いぬ》と虎の尾は琉球の女の人の土産もの。
○唇のところに小さい風ホロシが出来。風ホロシが出来ると熱が下るのですって。
その机の下に大アルミニュームの鍋が火鉢にかかっていて、湯気を立てている。半分おき上ってふとんの上に、おなじみの水色のエナメルのスタンド、竹早町以来のを立ててこれをかいて居ります。こんなにベッドにへばりついているところを見ると、やっぱりまだですね。「癒り際に気をつけるように」と仰云ったときいたから自重いたします。
今度のかぜは、私にとっては天井を眺めて、考えつづける時間が生じて非常に仕合わせとなりました。
きのうの手紙に書いた自己省察のトータルは、やはり年のうちに、そちらからの御返事もほしい心持があるので早くかきます。百合子論は私の百合子論のあとで頂くようになってもよいと思って居ります。それも亦よろしいでしょう?
では弁護士の件お考えおき下さい。
栗林氏の方は記録をとりはじめ(写し)たそうです。割合早く仕上るだろうとのことです。おひささんが夕飯をもって来ました。では又。自分がカゼひいてグーグー云っているから、猶そちらが気になるという次第です。自分で自分の看護婦をやって本当にそう思います。
あした繁治さん行けるかしら、どうかしら。きょうは風がなくておだやかでした、どうかお大切に
十二月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十三日 第八十信
きょうはちゃんと着物をつけておき出して机に向って見たところ、頭が丁度|西瓜《すいか》のような感じになって来て(つまり、たてにすじが入っているような)又床に戻ってしまいました。わきに小卓子をひきよせて書いて居ります。熱は朝六・六、ひる六・八でした。それ故明日行ってくれる筈の手塚さんにハガキを出してことづけをたのみました。
そちらからかえって来た座布団、まるでかたくなりましたね、余り綿を入れすぎていて、かたまってしまったのでしょう。あれは去年咲枝がおくりものとしてこしらえ、大いに奮発して綿を入れさせ、哀れや、過ぎたるは及ばざるが如き有様ですね。しかしクッション代りとしては或はよかったのでしょうか。今年のは、大変よい模様でしょう。闊達であって品もよい。
『日本経済年報』の最後(本年度)が来て、なかなか面白うございます。事情をよく説明する引用としてつかわれている本。
斎藤直幹『戦争と戦費』、サヴィツキイ『戦争経済学』もうおよみになった本でしょうか。或は興味がおありになるかと思って。もしおよみになるようでしたら送ろうと思いますが。
きょう机に向ったのは、一種の激しい執筆の欲望を感じたからで、もし出来たら私の総ざらいをかきはじめようとしたのでした。でも、西瓜では駄目ね。南瓜《かぼちゃ》頭というわる口があるが、西瓜はまだまし。(なかみがたべられる)
きょうは寿江子一日滞在。お正月はここでしようかというようなことを云って居ります。そうなれば私はやや便利です。今年は、どこか一生懸命な心で我々の正月を考えていて、いつものように全く助手なしでは、時間がおしくなって結局何もやらないでしまうから。私たちのところで正月をしたことはこれまで一度もない。ですから、それもよいでしょう。島田のおうちでも、野原でも、それぞれに今年は正月というものを、特別な感情で迎える仕度をしていらっしゃるだろうと察しられます。
年内に(正月の十日に入営故)隆ちゃんにお祝を送りとうございますね。いろいろにつかえてお金でもよいでしょう? このこと考えておいて下さいまし。達ちゃんの入営のときは、十円お送りした(達ちゃんに)と覚えて居ります。新しい丈夫な財布を一つ買ってその中にカワセを入れて隆ちゃんに送って上げましょう、ね。達ちゃんは雑誌の他、岩波の『坊っちゃん』『小公子』その他送ったから冬ごもりの本はあります、ハーモニカもあるし。
早く癒そうと随分大切にしているのに、ダラダラと永いこと。それに私は大変珍しい経験をして居ります。これまで盲腸をやったときも何かひどい熱を出したときも、土台は疲れが原因であったと見え、横になっていることにちっとも苦がなかった。夜も昼もよく眠って、夕刻から段々夜になり、本当の眠る時刻が来た刻限に、一種の焦々した心持を感じたりしたことなかった。初めて、今度はそういう気持を経験して、寿江子曰ク、「くたびれでない病気ってそういうものよ。」
そこでいろいろと、考え、私が今まで思って見ることも及ばなかった、そちらでの病床の気持について、新しく感じました。実に大したことであったと思います。いつかいつかのお手紙に「知らないで安心していたこともあろうし、知らないで心配していたこともあろう」とあったのをハッキリ覚えて居ります。前の方が実に多いことですね。それでもすこしは丈夫になっているので、熱もこの位だしするのだろうと思っている。益※[#二の字点、1−2−22]病気がきらいです。本年は殆ど病気らしいことはなかった(夏ごろのあやしい工合はともかく)
よく気をつけて居りますから、どうぞ御心配なく。栄さんは私へのお歳暮に毛糸のショールをあんでくれました、それをまいて通うように。あなたへのお年玉はまだ秘密。ありふれた、実際的なものではありますが。では又
十二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十二月十五日 第八十一信
けさ十二日づけのお手紙着。ありがとう。「パニック的な日頃の手紙」というところでは何だか笑ってしまいました。全く相当のものですものね。でも、この風邪のおかげで、私はやっと一歩前進をとげ、パニック的なるものの本質をとらえることが出来るようになっているから、大丈夫だし、或意味では、パニック的なものも将来遠くなく一層高められた調和へ到達し得るでしょう。
お見舞本当にありがとう。特に最後の一句は、顔と体とがポーと熱くなるような感じで頂きました。それは、わかって居ます。そういう場面を想像すると、嬉しく、そしてすこし極りがわるい。私は自分の病気については、実に誇れないと思っているから。反対に、位置をかえた互の姿において想像すると、やっぱり平静に思い描くことは出来ない。どんなに私はあらゆる種類の薬[#「薬」に傍点]をかたむけて、あなたに注ごうと熱中することでしょう。私は決してわるい看護婦ではありませんから。
さて、きのうは、濛々《もうもう》たる砂塵も車のおかげで無事に、かえりました。ちっとも熱も出ず、昨夜は初めてずっと六度八分で、大層気分よく、安眠しました。今朝も六・五です。平常は、時に眠りの足りない気分のときもあります。自然のことながら、床に入ってすぐ眠らず、益※[#二の字点、1−2−22]頭脳活溌というときもありますから。でも、十時以前には、もう迚も風邪ででもなければ床につけず、朝おそくなるまいとするし、夜眠れないのがいやで昼寝せず。この間うちのように日中歩きまわる用の方が多いと、くたびれかたが、机に向っての一日と異って、眠る時間はややすくなめでももつらしい様子です。但、朝すこし眠り足らず寒い気分はかぜのもととわかったから、これから七時にしましょう。それよりダラダラくり下げということはありませんから、御安心下さい。今は、別よ。今は暖く日が入るようになってから、起き出して居りますから。
自分でやることについて。その通りです。あの時は全く閉口してしまった。私出歩きつづきでしょう? すべての小包発送まではいつも全部自分でやって居ります。留守の時間、日に乾す位のことは、お久さんにとってもあたり前の割前ですから。お久君の責任だとは云えもしないで閉口と首をちぢめていた所以です。
住宅問題をよみはじめていること、前の手紙に書きましたが、これも亦、大いに教えます。これは、問題のそもそもの意味、扱いかた、正しい理解において問題はどこに問題をもっているかということについて考えかたを示しているから、大変面白い。プルードンが、何故住宅問題をとりあげるかという、その動機の分析は、有意義です。これから哲学に行き、そして経済の本二冊に進みましょう。
そして、私は外出出来ずにいる間の一つの仕事としてこういう日常の手紙とは別に、この間から思っている一つの研究を書いてお送りします。これまで書いた夏以来の手紙とは、全く違った態度が自分に生じ、やっとこれらの諸課題の扱いかたがわかり、こういう風でなければ結局、底は突き得なかったということも会得されました。それは手紙であって、而も手紙でないようなものになるでしょう。私が自身について眺め得る最深の観察と客観的な追究の可能が自覚されて居ります、かくて、私の思考力は最も真面目に発揮されるであろうし、私たちの結びつきの並々ならぬ意味も活かされるであろうし、各面から、決して成果なくはなかろうと期待いたします。あなたの、こわい、こわくないということも半ば笑い声で、半ば本心で互の間にかわされて来ましたが、こわいことは当然で健全である部分と、私に[#「私に」に傍点]こわく感じられるということに、或私としての問題もあるのです。そういうこともこまかく考えて見ます。なかなか興味つきぬものがある、心というものについて。又愛情というものについて。くれにふさわしく、私はやっと本式の笹箒《ささぼう》きをこしらえ、それは柄も長くて丈夫だし房々もしているし、きっと心のこりなく新しい年への大掃除が行えると信じます。
これから毎日午前の間、その書きものをやります。窮局[#「局」に「ママ」の注記]において、やっぱり実にいい歳末であると思います。かぜも亦大いに価値がありました。
私は可笑しくて、この間うちかぜを深めまいとして吸入をやったら、いくら顔が湯気であたたかでも、それに比例して背中がゾーゾーなって、一向よくなかった。妙なことですね、子供のうち吸入というものは何だか泣きたい程ムンムンとあついものであったが。
寿江子、私のやるべき外まわりを引きうけてやってくれるので大助りです。今頃九段をのぼっているでしょう、弁護士のところへ金を届けに。
ああそれから、そちらで〔この後約一行半抹消〕『馬仲英の逃亡』およみになったのですってね。てっちゃんが送ったのですってね。スノウの本には馬一族のことが、展望的に出ていて、丁度、この本に扱われていることがらも大略の輪郭(外交上の意味の点から)見えて居りました。
柳田泉の『世界名著解題』どの位お役に立ち得るかしりませんが送ります。(只今注文中)
十二月一日から十日間の表。どうぞ御勘弁ね。帳面うつせばいいのだが、今すこし面倒ですから。
きのうは、お元気らしいのがはっきりわかっていい心持でした。この間うち、自分が妙になりかかっていた故か、どうもあなたが湯ざめしたような顔つきをしていらっしゃるようで気がかりだったけれども。それをしかも興ざめに通じさせて感じたりするから厄介ね。では益※[#二の字点、1−2−22]お元気に。私も安心して引こもって癒します。
十二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
第八十二信(A)
さていよいよ総ざらいを始めます。これを、私は真面目な文学上の仕事に向うと同じような態度でやりたいと思う。文学の諸問題にふれてゆく場合、或は小説をかく場合、私たちは一々読者の反応ということについて拘泥しては居ない。描こうとする対象の世界に没入して、最もその真髄的なものを描き出し形象化そうとする。その過程に創作のよろこびを感じる。これはそのような態度で扱って行きたいと思います。自身の内外の中に沈潜する。そしてその推移を辿ります。疑問と答えとを捉えて行ってみよう。自身の愛するものが、直接それによって、どう顔つきを動かすか
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