pリして、快活な勇猛心を励まされます。
 今年の暮はね、私は特別な心持で、来年を迎える仕度をして居ります。我々の生涯に様々の歳末がめぐって来たし来るであろうが、今度はその中にあって、やはり特別な心のこもる一つです。心からあなたの健闘を祝し、自身の向上への努力とのために、簡素で、真面目で、しかも明るい希望の射し通した新春を迎えようと思って、仕度をして居ります。自分の心持もややそれに適したまとまりが出来て来たし、経済的な面も処理し、自分で正しいと思えない方面へ文筆的に利用されるよりは、その拒絶の結果が、日常性の中でどのような形体をとって現れようが、それでよいというところに落付いているし、自分の真の成長と発展とのためには、益※[#二の字点、1−2−22]ぴったり益※[#二の字点、1−2−22]集注的に二人の生活というものの裡で吸収、呼吸しなければならないことも愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》明瞭となっているし、来年は、大変たのしみです。今年の後半に、どうやら身につけた前提的な日常生活の条件(早ね早おきからはじまって、経済的な面での処置など)の上で、来年は勉学もすすみ、生活に生じて来る様々の現象にもやや可《か》に処すことが出来るだろうと思って。
 その舟がどういう舟とは云い現わせないが、私は、あなたの乗っていらっしゃる船の中へ、一層身を落付けてのり込んだ気持です。よく手元を見ていて、足の構えを見ていて、そこから学び、やがて一人前の漕ぎ仲間となれるように。凝っと見ていて、考えて、会得してやって見てゆく、そこに何とも云えないたのしさとよろこびを感じます。
 あなたは今年のお歳暮に百合子論を下さるわけにはゆかないでしょうか。最も真面目な意味で、総括的に、展望的に、そしてきょうの手紙のような立派さで書かれた百合子論は実にほしいと思います。低俗さ(あらゆる面での)を、私は否定しません。否定出来ないことだもの。低俗さがそのものとして現実的に納得批判され、高められるためには、より高い規準こそ必須で、当人は主観的にはそれが分っているつもりで、実はいつしかそのものが低まって来ているような時代的特徴について、私は主観的なものに立っていて、なかなか承認出来ない形であったと思います。科学的であるか、科学的明確さに立って現実を見ているか、それとも主観的な道義感みたいなもので立っているかの相異であって、私にはこれまで多分にあとの要素が作用していたと思う。ここが、なかなか面白いというか、危険なところで、あるところまでは推進的な力として働くが、一程度に達すると後退、固着、固執の方向をとらせるものです。あなたの内的状況と比べて、こういう私のゴタゴタを見るとき、きっとあなたには、どうして一目瞭然、理性がそれを現実の地辷りやくねくやを目撃しないかと、不可解のようにお思いになったろうし、なるでしょうね。道義的な主観性というようなものはエーヴやその母にさえもあった。すべて十分の科学的視野に立たぬものの生活につきまとうものです。
 本当に百合子論考えておいて下さい。出来たらどうかおくりものとして下さい。真の納得やハッと分ったというのは、本人がその機運まで迫って来たときでなくては真価を十分発揮しないものですが、私は少くとも半年前よりは多くの摂取的条件を、自身のうちに増していると信じますから。紙のひろさに制限があるのに勝手なお願いのようですが、頂けたらどんなに有益でしょう。
 まさ子さんがかえりによってくれました。仰云る通り気をせかずにすっかり直してからゆきます、月曜日はどうだろう、今のところ自信がないけれども。
 届けがすんだそうでようございました。徳さんが一人心当りを知らせてくれることになって居ます。出来たらダブルより別の方がよいから、風邪を直してそちらをしらべて見ましょう。
 栄さんがお手紙見せてくれました。そういう「大志」は婦人そのものにも日常的には歓迎されないらしい云々とあったので、おや、何だか私がそう思わせたようでわるい、と笑いました。『キュリー夫人伝』についてふれられていたから、あちらにも廻すつもりです。
 達治さんは無事。お兄さんからの本もうれしいと手紙が来ました、安心したこと。久しくあちこち動いていた様子です。お母さんからおたよりで、元いた運転手でずっとトラックをやって行くつもりとのお話です。では又。風邪の御用心呉々願います。

 十二月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十二月十一日  第七十八信
『革新』という本位田先生|主宰《しゅさい》の雑誌から原稿を書くようにと云って来ているので、それへ断りの手紙を書きに一寸起きています。
 この雑誌、はじめ「科学主義工業」から出せと云っていて、あと、そちらで断ったら一万五千円の違約料をとった由。

 私の風邪は熱朝六度七分、夕方五時ごろから七度五六分。大したことのないくせに気分がさっぱりせず。さっき佐藤夫妻が見舞に来てくれて、エキホスの湿布を胸にしろということになり、そうすると、冷えるといけないから猶床に入っていなくてはならないから一筆。
 明日はこれではあやしい様子です。さっさと熱を出すなら出して、汗かいて、さらりとしてしまえばよいのに。
 火曜あたりから怪しかったから、やっぱり一週間かかるつもりかしら。栄さん二十日、さち子一週間、鶴さん無慮一ヵ月以上です。きょうの予定は、湯気を立ててある二階の部屋は出ないで、折々は起きようと思っていましたが、駄目ね。

 余りひどく悪くないくせに、臥ているのは却って気がもめる如くです。明月曜はもしかしたら栄さん、午後に行って貰うかもしれません。来てくれれば。咲枝は兄の一馬(カズマ)が、やっとお嫁さん貰うので(35[#「35」は縦中横]歳)その仕度のため、(郵船のある横浜へ家をもつので)出かけて大さわぎをやっていて、迚もその気にはなれないから。式は十三日。陸軍中将の令嬢の由。

『都』をこの頃とるようにしました。文芸欄で高見順が今日の文学の他力本願主義、後退の跳梁について書いていて、他力本願(題材主義)で、題材のいいのを見つけて、しかもそれに安易に当っている諸作家の態度(生産主義文学、農民文学等)を難じている。高見のことであるから、安易ならざる態度は何かということになると云えないでいるが、今日の文学(一九三八年後半)の特色にふれていないことはない。
 文学批評の衰退について、今は「槍騎兵」にかかれていて、真の基本的理論の展開がない、現象主義であってこまると云っている。これはやはり一つの反作用として興味あるあらわれですが、さてその理論となると、忽ちぶつかるものがあって、なかなかの難問題です。どういう意味を目安において、土台の理論と云っているのか明瞭でないが、今日の文学に対しては、先ず作家性と小属吏性との区分から明らかにしてゆかなければならないのだから。外部的にぶつかるものがあるばかりでなく、そのために内部的にぶつかるものを大多数が感じている。ここにデリケートな今日性が在るというわけでしょう。
 この間あなたのお手紙にかかれていたジャーナリズムを通して要求にこたえることと、プログラムの有無のこと。念頭にのこって様々に興味ある考えをのばさせます。しゃんとした理論の要求も要するにここのことですから。白米食を全廃せよ、いやそれは保健上有害である。では云々。そういう昨日、今日、うつる提案につれて文学も文学であることを急速にやめている。
 本当にプログラムの問題は面白い。私は文学におけるこの問題の正当な健全な発展と、自身の昨今の勉学とを全く骨肉的なものとして理解しているから、その統一的な成長については丁度、まだどういう答えになって出るかはっきりは云えないが、その質は既に決定された或科学的実験をやっている最中のような注視と観察とがあります。益※[#二の字点、1−2−22]科学性をたかめ、真実のために没我でなければ、文学のプログラムの真髄はつかめようもない。そこまで到達し難いから、文学の諸問題にしろ、現象主義でいけない、いけないという現象性の範囲に止められてしまっているのであると思います。
 丁玲に『母親』という小説があって訳されている。どんなのでしょうね。こちらで買って見ましょうか。コヤさんの訳した『馬仲英の逃亡』というのもある。
 十二月に入ったら書くことはじめると云っていましたが、本年一杯は読む方専門にしました。現象主義でいけないという限りでは仕方がない。それに、私の大掃除の方も次第に底をつきかけて来ていることが感じられ、それは一方により明確にと進む作用なしでは実際の摂取が行われないから、せっせとよむこと、最も自省的によむこと、只今の時期の自分に百枚書くにまさると感じますから。
 そして、今年の一番終りにあなたのお手に入るよう体すっかりちゃんとしたら、私の方からも、総括的な自己省察のトータルをお送りいたします。これまで、私が、いいとか、わるいとか、そういう感情的なものにこだわっていたこと(前便、きのう一寸ふれた)が、この頃よく自覚されて来ているから。いろいろ細かく、心理的にかいて見ましょう。一度ですまず、二通に亙るかもしれない。これらが本年度の私の最も価値ある収穫となるだろうと思って居ります。ではこれでおやめ。もし、あなたも風邪気で咳が出て、胸へ響くようであったら、すぐエキホスの湿布をなさいませ。あなたにはそういう時、特に湿布が大事です。どうぞ呉々もお大切に。弁護士のこと、衣類のこと、本のこと、大体一片ついていて、こうして動けないでも、些かは心平らです、本当によかった。『支那地名人名』は十八日に出る由です。

 十二月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十二月十二日
 エキホスがきいて胸の気持が楽になり、きょうは例の五時すぎに七度三分。喉も大分ましです。変な声を出して耳の中へ自分の声が響いてこまりますが。寿江子それでもきょうお目にかかりに行って。たまには私がかぜをひくのもよいかもしれない、彼女のために。大変丈夫らしく見えていらっしゃるとさち子さんも云い、寿江子も云い、栄さんも云ったから、本当なのでしょう。うれしいこと。私は毎日よくばった気持で見ているし、細君と友達とではそちらの気分も又おのずからお違いになろうし、私にはなかなかまだよくばった望みがありますが。
 明日も行けない。繁治さんが時間のくり合わせをつけて何とかして行きたいと、先日から云ってくれて居りますから、誰も別の補充は立てず。但、用事を手紙で申します。
 弁護士のこと。別に二人の人がわかりました。一人は小沢茂氏。この人は初め栗林氏と共についていて、後ことわられた人。理由はやはり同一の由です。明治大学出? か何かの若い人。私に西巣鴨で会ったことがあるという話の由。私は、ではあの人だったかと背の高い若い人が思い浮ぶ範囲です。話らしい話はしたことなし。ことわられたからそれきりになっているが、やる気はあるのだそうです。一般的に云って。
 森長英三郎氏。年や学校についてはわかりません。昔武麟や立信がお金のことで立ったとき、扱った人の由。近くは大森の人の御主人の関係でもう終ってかえっている女の人の事件を扱ったそうです。女の人というのは誰のことであるか不明です。もし大森のひとであれば自分で知って居り、又思い出すでしょうから。この人は音羽に住んでいる由です。
 どうかお考えおき下さい。大森のひとの経費は、大阪につとめている弟さんが支払うことになって居る由です。
 風邪になってしまったので、どちらにもまだ手紙はかいて居りませんから。それも御承知下さい。私は今度は木曜日には行きたいとプランを立てて居りますから。
 寿江子の伺って来た本のこと、わかりました。私も興味もって居りました。しらべましょう。文芸附録も『ロンドン』より『ニューヨーク・タイムス』にしようかと考えて居ります。利用する価値は『ニューヨーク』の方があると考えられますから。アメリカは国際翻訳協定に入っていませんし。
 いかにもかぜ
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