フ人々の程度での善意だの、好意だの、訴えてゆく心持だのに対して、それぞれの程度に応じて、そこにあるものはそれとして汲みとる方ですから。だから、どうして、私のそういう心持は、その心持として通じなかったろう、何がそれを妨げたのだろう。そう思います。或は私は生意気っぽい調子でそれを云っていたのだろうか、と。人の心は微妙であるから、云われている事より、その調子で多く感じるものですものね。今そのときのことは、私に思い出せもしないしするから、今の私の理性では、第二の点を考え、その点で摂取し成長してゆくしかないと思います。自分に一番よく、一番しっかり、一番ましなものを期待されることは、何とうれしく、又大したことかと、かえりには、全体を愛情と自分のバカさに対する一種のユーモアとで、笑う心持で同じ道を戻って来ました。いろんなことがあるわね。片方はよろこばせたくて、片方は差し出されたそのものを見て益※[#二の字点、1−2−22]、何という水準だろうと思うというのを考えると、でも、やっぱり書いて居て涙が湧く。
 作家の変転してゆく諸様相を観察していると、作家というものが、反響に対して敏感であるということから、深刻な地獄に陥って行くのがはっきり見られます。どういう質においても、多くの作家は反響を自分の耳にきいて自分の存在を逆に確めて行くような、病的な傾向をもっているから(不健全な知的分業の結果)、とかく立役者になりたがり、反響の大きい場処に自分をおくことで自身の文学性がつよまり拡大されたように誤解し、時代時代の円天井の移って行っている場処から場処へとくっついて動いて行く。そのことは、この数年来の、真の文学性の喪失と共に一層目立つ特色です。だから、一般に云って、芸術家の対外的関心(その中には様々の虚栄や身振りとともに名声欲も入っている)というものは、作家たちの場合に、ジャーナリズムのわるい面に結びつくと共に、致命的に作用して、名声と共に多く馬脚を現すのです。
 自分の場合を考えると、複雑ですね。全然予想も希望も期待もしていなかった(若い若い)ときに、そういうものが(よかれあしかれ)殺到して来て、自身としては寧ろ逆にそれらの一時性、野次馬性、薄情性を痛いように感じ、そういうものが周囲につくろうとする定型をやぶりやぶり生活して来た。しかも、いつも謂わば人目の中に於て。そういうひっくりかえしの形で、それに対しては辛辣に、意地わるに、横紙やぶりにならなければ真に成長出来ないものとして、私に一種の名声とでもいえば云えるようなものがついて来ていたわけです。きびしく云えば、破るという意識のしかたにしろ既にそれが在ることを認めているわけですから、そういう点では何等かの影響を受けていることが云えます。一生懸命に何かをめざして歩いているとき人はその道ばたに、どんなゴミがおちていなかっ[#「かっ」に「ママ」の注記]たか知らないで過るようなもので、全生活を一つの目的に向って緊張させ、それに向って進めば、それがぐるりに立てる音に気なんか向かない。そういうものでしょう。所謂凹みにたまるゴミです。凹みという表現はなかなかうがっていますね、いろんなところに事情に応じていかにも動くのが見えるようで。青鞜流というのには、歴史の質の点で、新しいものとの対比上そう云われる範囲のものであるが、事実上の年代は随分違いますね、あの時代にひっかかっていないということは、今日における相当の幸事です。
 ここまで書いて紙を数えたらもう四枚半すぎてしまっている。ところで、いくつかの課題というようなものの中で、この間云っていらした江古田の人のことを、又書かなければならないのでしょうが、私は、どちらかというと受け身で、又書いて御覧と仰云るから、書きませんという理由もないから書くが、どうも妙だ。やがては足かけ三年も経たこと、細かく思い出せないようなこと、私もその渦中にいたけれども、真の当事者たちは勝手に自分たちの生活を展開させ、それぞれ勝手に子供を生むような今、どうして、このことは、こんなに私たちの生活の中にだけのこって、何となし妨害物めいたものとしてなければならないのでしょう。そして、私は何故、又くりかえし書く、ということ、それ自体に明瞭に嫌厭を感じる(あなたがそうくりかえしくりかえしふれていらっしゃるからには何かがあるに相異ない。しかもそれがはっきり、成程その点がそうかと、書く毎に自分ではっきりして来るというのでないので)のに、書かなければならず、あなたとしてお書かせにならなければならないのか。それはこの間うちから考えられていることです。本当に何なのだろう。不愉快であってはいけないことだろう? と仰云ったわね。そのことには、単に私が甘くて、名士好な人物に下らなくおだてられた(私として最大限の表現です)のが不愉快であるという以外に、ニュアンスがふと感じられたのでしたが、私のその感じは当っていたでしょうか。もし当っているとすれば、猶いやね。猶書くのがいやね。何故なら、そういうニュアンスに対して[#「対して」に傍点]何とか書くべき本来の何ものもないのですもの。あのことは、形にあらわして書いて見れば、抑※[#二の字点、1−2−22]《そもそも》は、あなたへ特別心づけて本を送っているとか、便りをしているとか聞かされているので、それにC子さんとのつながり、Rちゃんとのつながりもあり、出て来て病気で、本もいるのに手に入れ難いらしいので、謂わば私としてはお礼心にやった。すると忽ちS子さんとごたごたして、私の知らないところで進捗《しんちょく》して、事後報告をされて、S子さんは下宿代が送られなくて家がなくなったとさわいで、目白へ一緒に来たわけです。あのこと、このこと、ちょいちょい違って私が書くことで、何かをよけているためそれが生じているかのようで不愉快なの? そうだとすれば困ったと思う。だってそんなことは勿論計画的な結果などでありようのないことなのですものね。そして、私として、あなたに其那ことがわかっていないと思えないのは当然のことでしょう? この間、あなたは、「そういうことで弟の人にどういう特別な態度をとるべきではないから」と仰云ったが、私は自分たちの大事な生活感情の中に、何かを生じさせたのみならず(当時そのことで私は随分二人を憎悪した)今もなお砂利《じゃり》みたいなものを一つでものこしている、或はいたことでは平然とした気分ではありません。
 自分たちが世話になろうとすることでは、こちらの被害なんか一応考えても見ない。私としていくらかでも被害を蒙ったのは、対人関係の未熟さだが。そういう工合に、喰い下ることが出来るかと思わせた私の生活環境(林町という構え)についても自省するところはあるが。私が、日常生活の微細な点に気を配っていて、例えば会の流れでも、稲ちゃんとか、壺井さんとか、そういうシャペロンなしではぶらついたりせず、悪意や軽薄なゴシップの生じる小さい隙間をもたないようにしてやっているのに。いやね。本当にいやね。悲しいとか切ないとか云うのでなく、明瞭に、余分の胆汁の分泌が自覚されるような「いや」です。あなたもきっとこういう風においやなのでしょうね。機微にふれて云えば、こういういやさは親密な互の触れ合いで、そういう感覚の中では消散されてしまうものであるとわかっているから、こだわりとしてのこっているのが一層いやね。我々のおかれている事情に、どこかで一杯くったようでいやね。
 私としては、心からの感情表現として、こうしか云えない。いやな思いをさせてすみませんでしたが、私の当惑という程つよくはないが困った、いやな気持も分って下さるでしょう。早くそんなもの、私たちの間から弾《はじ》き出してしまいましょうよ。私に何にもくっついているのではないのよ、二人の間へわきから何かが入ったのです、そうでしょう? くりかえしくりかえしふれることでマメやタコにしてしまわず、一刻も早く消し弾き出す種類のものだと感じます。それが健全な生活力の姿だと思います。独り合点かしら。
    ――○――
「オイゲン先生反駁」は実に面白かった。そして有益であり、面白さに於ては勉学はじまって以来でした。ああいう風に全面にふれているところに独特の妙味があります。この間教えて頂いた哲学の本にうつる前、同じ一冊の中に入っている住宅についての文章をちょっと読みます。何しろ昨今住宅問題は到るところで話題となって居る始末です。やすい貸家は殆どない。一方『朝日』の広告にしろ、売家ばかりです。ドンドン売り家が出ている。近年なかった現象です。十条の方などでは女工さん[#「さん」に「ママ」の注記]「帰ってあんた眠るだけですもの、一部屋へ三人ぐらいおいて十七円ぐらいずつとっても、たのんでおいてくれって云いますよ」というボロイ儲けの話も耳にします。興味があります。この文章のわきにひかれているのは、貴方の線かしら。人間生活のあるべきようという計算からいうと、八十円の月収の人は家賃十五円で、しかも十五円の家賃の家がいかにあるべきかと云えば、広い庭があって、子供部屋までがあるんだから、どこのことかと思うと、文学史をやる高瀬太郎という人が云っていた。結婚して家を持とうとしているので実感があるのです。さて、では表を添えて、これは終り。
   起床   計温  就眠     計温
21 六・五〇  六・五 十時十五分  六・四
22 六・四〇  六・五 十時十分頃  六・五
23 七・〇〇  六・四 十一時    六・四
24 六・三〇  六・四 十時     六・三
25 六・四五  六・三(この日から四時ごろ)九時四十分 六・三
26 六・五五  六・五 十時     六・四
27 七・一〇  六・三 十時半    六・二
28 六・二〇  六・二 十時五分位前 六・三
29 六・一〇  六・四 十時     六・三
30 七・十五分 六・三(音楽 原智恵子のピアノ十一時四十分)六・四
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 原智恵子という人は初めてききました。有島生馬がパトロナイズしている人で、近頃何とかいう映画監督と(パリにいた)結婚した。井上園子のピアノと全く正反対で、音色もテムペラメントも、井上がウィーン風・貴族的・近代アカデミックに対し、原のは所謂箇性的で、音色は極めて鮮明で現実的(やや玄人的スレさえも加えて)、原が意識して井上園子と対比色をつよめていることが、なかなか面白うございました。
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 十二月十日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十二月十日  第七十七信
 ベッドの上で一寸一筆。
 お休みにしないように気をつけていたのに、やっぱり駄目で、どうもすみません。
 熱は大してなく、昨夜一番高かったと云っても七度五分でした。今日は六・八位。喉や鼻よりいきなり胸へ来て(今年の流感の特徴です、いやね)湿布さわぎをやると困るので、自重している次第です。予定では月曜にゆきたいが、どうかしら。
 もし熱があって、感じが熱っぽかったら気をつけてやめます。
 この間うち、右の眼玉の底が妙に張って来るように痛んだので、あら盲になったら私は大変こまる、あなたに触って話すということが出来ないのだもの、と考えていたら、それは風邪の先駆でした。
 きょうは太郎の誕生日で、晩食に招《よ》ばれていましたが、おやめ。ひどい風が吹いている。どうか、呉々あなたも御気をつけて下さい。よくない風邪のたちだから。グリップは妙で、後になる程重い。だから今年はもうこれで、厄《やく》のがれをしたとよろこんで居ります。
 けさ、お久さん、火鉢の火を入れに来たとき、真先にお手紙をもって来た。どうもありがとう。本当にありがとう。この手紙は確乎たるものを語っていると共に、大変心持のよいものをも含んでいて、うれしく拝見しました。話すに足る対手である最小限進歩線であるというところを読んで、思わず、そりゃそうだろうと自分に云って笑ってしまった。全くそうだろうとしか云えない。斯うはっきり云われているとズッ
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