ニの比較も全くです。本当に科学というものの性質をエーヴはつかんでいず、カソリック風なニュアンスで(殉教風に)母の業績を見ているのでしょうね。おっ母さん自身も、云われている点、ちょいちょい見たときやはりあの一行に目が止って、そうではないのにと思ったところでした。こんどいつか送って頂いて通読しましょう。何はどうともあれ、彼女の一心さは見事な姿です。(今四時。たった六度二分です)
 きのうの日曜日は、家にいてずっと読んでいたかったが、丸善へ出かけて行って、すっかり本棚を見て、『スペインの嵐』を見つけて来ました。それから、いつか云っていらした『我々は世界を包む』We cover the world という本も見出しました。これはアメリカの今日代表的な海外通信員十六人の短文を、各国のテーマで扱った通信を集めたものですね、御存じだったかしら。いろんなところでの通信をあつめたもので、中には支那に十年いたという米人記者アーベントの「支那通信」などもあります。ジャーナリズムの部に在るのでついこれまで見えなかったのでした。そっちは見なかったから。それに、予約で入ったのは並べないのね。例えば、さっき一緒にお送りしたヘッドライン・ブックの中の『太平洋における衝突』一つも出してなかった。あしたかあさって、あなたのところへ三冊届くわけです。
『スペインの嵐』『太平洋における衝突』『ヒトラー』と。相当御裕福ね。支那の方では新荷なしです。『支那の発展』というのがあるが内容古い。『支那民族』というのがあったが、それはライプツィッヒ大学で何とかいう人が講義したものの英訳です。いくつかの特長をもっていて、支那語と支那思想の独自性、哲学性などということをオイゲンもじりにやっている。
 オイゲン先生は今日、その言句の扱いかたの特色とともに何と再生されていることかと思う。尻尾を頭につっこんだとぐろの形を描いている。ああいう伝統みたいなものがあるのですね。これというようなものはない。雑書ばかり残っている形。ドラゴンがどうしたとかオリエンタル何とか。
 ケンブリッジ大学でロイ・パスカルという人が講義した『ナチ独裁』という本がありました。スペインに関しては、やはり新しいものがない。連邦制が提案されてからのことは勿論まだないわけですが。五六冊あったが、どうも『今日のスペイン』にまさるものはなさそうです。二人の婦人記者が書いた従軍記『スペインのノートブック』Red Spainish Note book、『新しきスペインへ向って』Towards the new Spain その他。
 この本は、予測(国際関係における)をも語っているが、どうかしら。つまりどの位しっかりしているか、それは疑問です。フランス語のものはこの頃科学関係は来るが、文学も社会事情も、新しいものはないらしい。ましてオースタリーの以後のものなどは来ていません。(これは店員にくっついて歩いて調べて貰った)。ロシア語では工業の本が十冊ほど。あとは古い古い駄小説とデミヤン・ベードヌイがまだ批判されずにいた時分の詩集とが、棚の下の方にくっついていました。英語で『五つの現代劇』というのが訳されていたが、それも何と古いのでしょう! 十年ほど昔の、しかも或種のものが訳されている。『トゥルビーン家の日々』だの『インガ』だの『パン』だの。もっともっと新しい、健全な、生活を反映したものが出ているのにね。そう云えば、イギリスの期待し得る評論家であったフォックスは三十六七歳だったそうですが、スペインで戦死したのですね。この人や他の二三の人の著作、文学活動が、『タイムス』の文芸フロクの社説で新しき文芸批評の社会的必然を認めさせたのであったのに。戦死したのは去年のことであったそうです。
 ドイツの本は昨日はききませんでした。今度いつかそのドイツ語の女の人に相談して見ましょう。本の数々山ほどあれど、ですね。そして、私はこうなると(つまりいく種類の本をも見る必要があると)フランス語とドイツ語がめくらでは閉口。フランス語のはすこしは察しがつくが。ところが語学は仰云るとおり、内容がひっぱってくれなければやり難くて。
 丸善から二ヵ所ばかり用事を足して林町へ行って記録を見て来ました。
 今日の社会の発展段階にあって、階級が生じている事実は何人の常識にも自明である。現実がそうである以上文学も階級性の上に立たざるを得ない。文学は常に人間のより人間らしい願望を反映するものであるから、今日ではリアリズムがそこまで来ている。そういう意味でのリアリスティックな作家、現実のありようを芸術の中に生かす作家、人類の進歩と幸福とに役立つ作家として活動したい。そう云っている。
 根本的に、私はこの間うちからとりあげられている要点(云われた通りを真《ま》にうけたりしたこと。)そのことにあらわれている受動性や曖昧さは十分認めて居ります。その点私は誤っていたし、真の自律性をもたなかった。
 生活の庇云々ということは、以上の点との心理的関係で見ると、自分というものをあなたと切りはなした感じで張り出しがついて行ったのではない。そういう点で自分があるべきだけ自主的でなかったことには十分自省が及ばず、それなり、主観の上では一生懸命に、自分の義務と思う成長や仕事で押し出して行っていたので、いつしかそこに相対的な関係での庇が出来て(おじぎされるもので、こちらからもおじぎを返すというような関係での。一例として)、いつしかごみもたまったようなところがあり、そのことを云っていたのだと思います。けれども考えて見れば、あの庇云々のことを書いたのは八月下旬で、当時、私は今ほどはっきりと、或点で自分が見落しているもののあったことを、自覚してはいなかったようです。今私にはそれがはっきりわかった。した[#「した」に傍点]とか、なった[#「なった」に傍点]とかいうことの確然たる内容の相異について、初めに書いた、ああいうことにしろ、やっぱり関係があるのです。
 私はこのごろいろんなことから、深く感じるのだが、例えばああいう場合、自分の心の中に、もし自分の愛を疑ったりするようなすき間があったり、そして又私に対して抱かれている愛情について不安をもっていたりしたら、きっともっと警戒的で(自身に対して)あったろうと思います。自分の傾けつくしている情、そそがれている心、それらに一点不安をもたず、その裡にこもってしまうようなところがあって、却って受動的な(客観的には)ことになったと思う。そんなこと位で自分たちがどうなるものか。そういうところ。キュリー夫人の科学は云々というのとどっか似ていたと思います。私は決して人生に受け身なたちではない。そのことは確信をもっています。しかしながら、最も積極的な我々の生活に必要なだけの自律性は鍛練され切っていないのだということは認めざるを得ないわけです。遠い航海には、近海航路とちがうつくりの船が入用なのだから。
 これまでのところ、つき離して自分を見れば、むら[#「むら」に傍点]が多いこと。いいところ、よくないところ、はっきりしているところ、曖昧なところ。自然発生的なごたついている。(いたと書きたいところです、お察し下さい。でも当分は遠慮します)こっちから波が来れば相当もつ、だがこっちからは、自分の重みで不安定。そういう風。本当に何と妙でしょう。自分の妻としての心持に関して終始あんなにつよく主張し通していて、二三ヵ月待てと云われると、それをきいたりして。
 私がこの間うち何だか苦しかったのは、何だか感情の問題として、どんな気でいるのかとそういう視線が手紙の奥にもあるようで、そこに云われていることとはおのずから別に切なかった。自分の誤っていた点がはっきり判ったとともに、私の自分での一心さと客観的な態度の誤りとの相互的な関係で、私があなたにも見られていることがわかって、誤りが明瞭に誤りとして却ってはっきり見えるようになりました。あなたが視るべきことはちゃんと見ると云っていらっしゃるその言葉の裡には最も深い愛と励しとも、こもっていて、視るべきことは単に私のネゲティブな面ばかりではなく、私の一心さも、努力も進歩も、それが現実にあればやはり広くちゃんと視られているのだという安心の上に立って、大いにやりましょう。私はどんなに貴方によろこばれたいでしょう! どんなに貴方によろこばれたいと思っているでしょう。では又

 十二月五日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十二月四日  第七十六信
 けさ、栗林さんのところへ電話をかけたら、土曜日に面会したのですってね。大体のお話がきまった由。大変手っとり早く行ったこと。木曜日にあっちこっちして調べて、金曜日には立ち話で、はっきりしない、又ちゃんと会って、それからあなたの都合をきいてと云うことになって居たので、けさ電話できいて、何だか意外でした。しかし勿論それでよかったのですが。あなたに会う方をさきと心せいたのかしら。その電話のつづきに三輪さんにかけて、明[#「明」に「ママ」の注記](月曜日)会うことにきめ、丸善に電話かけ、そしてかえって来て、光子さんとパンをたべていたら電報が来ました。日曜日によくうけつけたと思い、又電報らしく、そちら一一・五〇分ごろ、こちら〇時三十分というのを眺めかえしました。アラ、もうかけちゃったのに、と申しました。あしたお目にかかれば、(かえりに回る約束故)どうしたらばよいのかということが判るでしょう。
 ともかく一人きまって安心です。しかし私は、これから様々の経験で、さぞいろいろを経過し、私として学ぶところが多いであろうと考えて居ります。私は事柄の処置というような皮相なことではなく、あなたの指図にしたがって万事をやって行って、そのことから深く学ぶところがあるのを期待している次第です。私たちの生活として、それらを経過することによって。
 さて、二日づけのお手紙をありがとう。くりかえしよみ、味い、そして又読みかえし、考える。そういう読みかたをします。より高くより高くと見えるにつれて自身の到達点の現実的な在りようがわかることは全くであり、それは勇気とよろこびとを、湧き立たせるものです。でもね、正直なところ、はじめ一通り貪る眼でよんで、はじめの方の私がいつか何かにつれて云ったことの抜き書きされている部分をよんだら、何とも云えない気がしました。そのわけはね、あすこであれらの言葉はユリの愚かな自負心の例であるかのように示され、とり出され、質づけられて居るけれども、私がああいうようなことを一寸でもかいたそのときの気持は、自負からではなかった。自分がともかく一生懸命にやっているそれを一つも見て貰えない、何かで、そのことが知って欲しい、その気持からいくらかでもああいう反映をもったのでした。それ見ろ、どうだ式では全く無くね。少しはましなのよ、そういう心持、すこしはよろこんでもほしい気持。そういう気持からでした。だから「何という水準だろう」という風に受けられていたことは苦しい気がしました。そして、それだから[#「それだから」に傍点]謙虚について書かれていたというに至っては。私は、栗氏のところへ電話をかけに出て、私の前を走って行くポチの姿を眺めながら、のろのろあの線路沿いの道(あすこはちっとも変って居りませんよ、あなたがよくお歩きになった頃の通り)を歩きながら考え、自分の気持の苦しさについても考え、ここには三つのことが錯綜していると感じました。一つは、こんな心持の行き交いにさえも作用する生活の事情ということ。他の一つは、私が、自分の心持から、そんなものまでを、とるに足る何かの評価であるかのようにとりあげたということにあらわれている客観的な、或は本当に評価というに足りる評価との区分の不分明さ。第三には、それが、愚であるとし、低いとしても、何故すらりと、あなたの感情に、よろこばせたさの心として映らなかったろうか、映らせない何が私のあなたへの心持に在ったろうか、そういう内省。第三のことは、他の場合を考え、特にそう思います。あなたはいつも、そ
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