リ犀」「笹」「樫」「物置」。家の間取りは、右上に「玄関・三和土」、その左に板敷きを挾んで「四畳半」。「四畳半」には上に「戸棚」、右に「本棚」左に「格子窓」「本箱」。「野原の小母さんがここにおよります(四畳半)」とある。板敷きの上に便所。「玄関」と板敷きの下に階段と壁、更に廊下を挟んで縦「六畳」。「六畳」の左に「濡れ縁」、右に廊下を挟んで上から「台所」「風呂」と、廊下を挟まず「久の部屋」。「六畳」には中央に「机」、その右に「箪笥」「茶箪笥」、下に百合子が座っている絵。百合子の左に「長火鉢」、下に「戸棚」。「濡れ縁」には「ポチが前肢をのせる」とある]
 二階の方はよく見えて居りますからかきません。ぐるりはこんなにひろくありません。門から玄関まで三歩です。
 夏は下の四畳半へ引越します。これから春までここも、二階も西日がさして眩ゆい。その代り二階は火鉢が寒中しかいりません。さあ又、よまなければ。では又ね、

 十一月二十五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月二十五日  第七十四信。
 きょうはいろいろと複雑な感想もあり、そこから学ぶこともありという心持です。人事の関係について考えて居ます。首尾一貫したものによって動かず、人間の多くは、妙に凸凹したもののひっかかりで互に動いている。そう感じます。自分の気持からだけ動き、袖の下をかいくぐってあちこちするようなやりかたについて、一組の人々に快よからぬ感情もありますが、それには身をまかせず、そこから学び得るものを自身としては学びとろうと思います。月曜日には何とかわかるでしょう。
 さて、十七日づけのお手紙に答えて。勉強は元より十一月一杯などでやめようとは思って居ません。これは前便にも書いた通り、いかにも面白いし、生々と吸収されるし、ねうちは益※[#二の字点、1−2−22]明瞭となって来るし、総合的なものの中核となるし、順につづけて行きます。只今はオイゲン批判の最後の部にかかっています。傍ら書きたいという気持。勉強の一つとして。
 今の我々の生活の時期をこの頃のようにしてたゆみない計画で経過してゆくことは実に大切なことだと痛感して居ます。知るということは謙遜になる最大の原因ですから。同時に、いろいろの現象の根底にふれ、その動きの関係をつかみ得る唯一の力をも与える。御褒美について、「今はとても未だ未だ也」は、それはそうでしょうと思う。あなたが私に、さアそろそろ御褒美を出してもいいと仰云るのが明日あさってと思うものですか。でも、私はなかなかその点では粘るから、きっとやがて三等賞ぐらいには漕ぎつけるつもりです。どうぞそのときはよろしく。段々目標を遠くなさるのじゃないかしら。あなたは教師としては甘くもないし、喰えない方ですから。全く資質というものはあって無いようなものでもあるのだから、日々の実質で決定されます。あることについての才能というものは、そのことをやる努力の過程を愛し得るか得ないかだというようなことをペシコフが云っていることをいつだったか読みました。これはなかなか掴んでいる。人生を愛すのだって、つまりはその波瀾と悲喜とをいかに経て、人間的一歩をすすめる努力を愛し得るかということです。人への愛だって全くそう思う。どれほどその対手に対しては骨惜しみをしないか、努力をよろこび得るか、それだと思う。抽象的なものは何もない。だから文学者一般であるかないかは、生活そのもので語られると云われていること、それについて退院前後のことがとりあげられる意味は十分に腹に入り、真の自主性ということについて云われていることも今日では、自分の当時の気持の分析の上に立ってのみこめて来ています。受け身に、云われることを成程尤もだと思うのではなくて。あなたが、「それはよかった」と云われたことについて、それを中心に書いた手紙ね。あの手紙について、あなたは、私が又あすこで、生活の動きかたそのもので語られるという現実について鈍い勘しか働かせていないとお思いになったのではないかと思いますが、それはそうではないのです。私は、あのころ、それから後も、主観的には努力を惜しまなかったし、根本的と思われることを守って来ていたつもりだから、それでも猶未熟さからの多くの不足や弱点や観念的なところがあったにしろ、やっぱり一応そのことはあなたも認めて下すって、其故一層生活の日々こそそれを実現するという励ましを願ったのです。その気持は判って下されるでしょう? 私は、見合って話している間ばかりでなく、いつだってあなたへ視線をおいている。ぴったり、そこを向いています。体ごとそっち向いている。生きたって死んだって、そっち向いている。斜《はす》っかいでも向いていそうに思われたりしているのではないかと思ってはやってゆけない。一心こらしているくせに、それにこりかたまったようになって手足働かさず思いにとられているようなところが時々あるのがわるいところだし頓馬さや非事ム性やらになって出る。どうでもいいやというところからのサボなんかありようないのですものね。いろいろこういうことはいりくんでいて面白い。追々勉強が身につくに従って動きも本質にふさわしい活溌さ、正確さ、客観性を増して来るだろうと感じられ、建設の原理が、手足について来るだろうと思うと、本当に愉しい。そして、勉学はいっそう無駄なく深く、仕事はいっそう骨格をつよめ、肉をゆたかにつけ、而も脈々として動きの中にあり、それに作用する実力をこめているようになったら、どんなにうれしいでしょう。このことと練達な生きて、強固な生きてであるということは全く切りはなせない。ジャーナリスティックであるなしも、けっきょくはここにかかって来るのであると思います。大いに本人はがんばっているつもりで、本質的にはジャーナリスティックな足場のみであるために、生活の現実でもんどりうってひっくりかえった実例を近く見ましたから、実によくわかった。ジャーナリスティックな場合、どうしたって現象的ディテールを追って、それに対して[#「それに対して」に傍点]云々する場合が多く、従って文学理論の歴史から見ても、それを或時代から時代へ発展させ押しすすめる集積としての仕事になり難い。キュリー夫人たちが、生活のための教授とライフワークとしての研究を、強引にひっぱって行った態度は立派です。大した意力です。その二つの間で、重点を誤らなかったことが、あの成果を与えている。あれ程辛苦していて、それでもやっぱりフランスね。夏二ヵ月のあの暮しかた。それぞれの社会のもっている生活の幅ということも考えます。私も段々実のある業績を生めるでしょう。勉強をはじめてから、自分にも感じられる精神状態の均衡と密度の高まりがあるから。
 つづけて読むものについて、すこし私の考えついたプランがあるからこんど相談にのって頂きます。今のはもう火曜日ごろ終りますから。
 きょう私が感覚的な鮮明さで感じたことについて申しましょうか。それは人間にも鉄の鋳物《いもの》のようなのと、鋼鉄のようなのとあるということです。美と粗雑さとの相異が何というあることだろうということです。つやが何とちがい弾力が何とちがい、その緻密さと強度と何というちがいだろうということです。あらゆる分野において、人類の誇りとなった人々は常にその生きかたに後者の要素をもっている。しかも、やはり鉄の出です。混ぜかた、火のいれかたなどが違う。鉄はひとがまぜて火を入れるのだが、人間には自分でそれが出来る。ここに云いつくせぬ味があると思う。
 きょう三越からハガキで、この間注文しておいた『私はヒトラーを知った』I knew Hitler が来た知らせをよこしました。あしたあたり届けて来る。そしたらお送りいたします。
 書きぬき出来ましたが、スペインは少いこと。支那関係が四十六位のうちあの便覧に出ている著者は十人位。なかでは『支那革命の精神』の著者がよさそうです。(パイパア)ホルクームと読むのだそうです。
 明日から二十七日一杯防空演習です。空からいろんなものが降るのですって。きょうは、丁度家にいたので四時に計ったら六度三分です。却って低い位。栄さん、来月の二日ごろ又お目にかかりに行きますって。今もう九時すぎ。これから風呂に入り、床に入ります。では又。風邪をお引きにならないように。

 十一月二十八日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月二十八日  第七十五信
 二十五日づけのお手紙をありがとう。
 先ず早寝のこと。それでも八点下すってありがとう。九時に切りあげることは着手しはじめました。おそくなる[#「なる」に傍点]のではなくて、する[#「する」に傍点]のだということ、これは本当だし、笑ってしまった。こういうことからもいろいろフエンして会得することがあります。した[#「した」に傍点]こととなった[#「なった」に傍点]こととの分別が明瞭を欠くところが大いにあるのですね、私の生活に。すべく意志して、した[#「した」に傍点]こと。それから、しまい[#「しまい」に傍点]と思ったがした[#「した」に傍点]こと。後の方をとかくひっくるめてなった[#「なった」に傍点]とする。貴方にはその区分が明瞭だから、した[#「した」に傍点]ことを「なった、なった」と云っていて、それは、理由づけにならぬ理由づけで、いかにも非理性的に見える。おかげさまで私にも追々はっきりして来ました。だから、なかなか早寝早おきも意味がある。ただつや[#「つや」に傍点]がましになる以上に。物事に対する態度が学ばれるから。だから、これからはこうきめます。早く寝ようと思うときには十時を励行する。それから、何か特別の必要でおそくなるときは、(例えば三十日には是非音楽をききにゆきたい。十時にはかえれません)おそくなったのではなくて、確に自分でおそくしたのだから、そうとして次の晩でも早くねる。私には下らない弱気があって、例えば私の体のことでもこんなに考慮し、プランを与え方法を示して下さるのだから、一晩だっておそくならない方がいいという気があって、しかも、それなら断然おそくしないということは出来にくく、たまにおそくなる。すると、これこれでこの日はおそくしましたと云い切らず、ついおそくなっちゃってと云う。大変平凡です。何々なっちゃったということは元来好きでもないのだから、以来、はっきりいたします。下らない会や何かで夜更しをすることはしませんが、これからも時折の音楽会と林町ぐらいは十時をこすことになるでしょう。尤も一ヵ月に二度ぐらいでしょうが。それだけは、あらかじめ御承知下さい。マアよかろう、ということにしておいて下さい。手帳を見ると、九月十日に安田さんのところで診て貰ったのですね。十月・十一月とすこしは飛んだが、つづけた。
 勉強はほかの本に気を散らしていないから、大体五六時間から七時間あります、もっともそちらからのかえり、よそによる日は減るが。ちょびちょびでは身につかないし、読む吸収力が加速度に加わらないから、それは気をつけて居ります。オイゲン先生の終りの部につれて(第三篇)十八世紀の啓蒙家たちのこと、文学のことをもこれまでよりややまとまった形で学ぶことが出来て、大変愉快です。「永遠の理性」と考えられた(啓蒙家たちによって)ものの実質が、当時の進化しつつあった一定の層の悟性の理想化であり、その矛盾が、光輝ある発火を妙なところ、ナポレオンのポケットへもって行ったことなど、何と教えることが多いでしょう。
 啓蒙家たちのことは、文学におけるヒューマニズムの問題のあったとき、いろいろな人がちょいちょいふれたが、真に彼等の理性の本質にふれたものは記憶にない。それはとりも直さず、それをなし得るだけの現代の理性らしい理性がないということです。オイゲン先生は傍ら十五世紀から十八世紀にかけてのヨーロッパ文学史を展望させつつ、予定通り火曜日頃に終ります。そしたら、この間云っていらしたのにとりかかりましょう。
 キュリー夫人。私がエーヴの美学云々と云う表現で感じていたもの。バック
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