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 音楽でこの位まともな女の人がいたらどんなにいいでしょう。本気で勉強して新しい音楽についての努力しているひとがいたらどんなに楽しいでしょうね。器楽のひと、作曲するひと、そういう人を知りたい。作曲もする[#「作曲もする」に傍点]人がいますが、これは、何というか一種の人物で、自分[#「自分」に傍点]を人前に出す欲望のつよさで音楽をやるみたいで、一寸よりつけぬ。それは新協の芝居につける音楽の扱いかたで実にわかる。芝居を生かすんではなくてサアきけと、つぎはぎの模倣物をぶちまけるのだから。しかし、こういう過程も過てやがて音楽もすすむのでしょう、とにかく弾く[#「弾く」に傍点]という技術では日本人の女の子が十七でパリのコンクールで一等をとるようになって来たから。芸術が生れるのはこれからです。
 私の勉学は愉快に進んで居ります。今よんでいるものは大変に面白い。哲学のことにしろ、最も要点が押し出されています。経済学の部に入って居ますが、これをしゃんと了れば、大分他のものが分るようになると楽しみです。
 光子さんが絵の話で動き[#「動き」に傍点]のことを云って、計らず私が熱中したのは、動き[#「動き」に傍点]において捕え描写することが、文学でどのような意味をもっているかということ、その深大さ(トルストイのように「まざまざとした体の動き[#「動き」に傍点]、声と目の動き[#「動き」に傍点]」の範囲で、動きをとらえるのでさえあれだけ大したことなのだから)をつくづく感じていたからでした。「歴史的な、即ち絶えず変化するところのもの」ここに大した秘密があるわけですものね、文学上の。武田武志という人がリアリズムのことを云っていて、岸田、志賀のリアリズムに比すべきもの(リアリズム)をもった作家は一人もいない(新しき世代に)と云っているのを見て、リアリズムというものも、まだまだ多難なものだと思いました。こういうリアリティーの点から、再三私はあなたが、無根拠な楽観はしないと云っていらっしゃることを考えて、その生々とした意味を感じます。見るべきものを見るということの全くの当然さというかあたり前さをも感じます。段々自分の心も見えて来る。これは何と面白いでしょう。私はこんなところがあったと思う。根本的なところで、自分はシャンとやったしというところ。ね。滑稽のような、こわいようなものですね。勉学を全く自分の鍛練というか自省のモメントとして大いに考え考えやって居ります。道具と考えるほど大それていないのは、幸です。書きたいというのも術をかけて見たいのとはすこし違うのです。対象を通して勉強したい、その心持です。勉学は却って書きたい気をおこさせ、書きつつ又それをつづけるのは一層味ふかいのです。今のように、せっつかれないときに、はじめてそれが出来ます。今のところ勉学はやめられません[#「やめられません」に傍点]。その位面白い。この本は特に面白くて、かめばかむほど味が出る。この前にも一寸かきましたが、物理の問題にしろ、数学にしろ、生きた好奇心を刺戟され、精神のよろこびが察しられて来て、しきりにソーニャ・コ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レフスカヤを思います。彼女はどんなに数学をとらえていたのだろうかと。私は一人、女のひとで数学の才分がすぐれていると云われた人を知っているが、そのひとは大変図式的な頭です。新しく動的関係で発見された方法を、形而上的なやりかたでやる。そういうのが多いのではないかと思い、ソーニャはどんなだったろうと知りとうございます。あの伝記には、そういう最も内奥的なモメントはとりあげられて居ませんものね。だから伝記もさまざまね。伝記の精髄(それぞれの専門において)がぬけた伝記も多いわけです。
 きのうは、午後から『輝ク』の(時雨女史の会)歳末会があって久しぶりで出席したら私が丈夫そうになったと口々に云われ、何をつけていてそんなに艶がよいのかと云われ、一々朝起き早ねをその原因として申しのべました。どうもありがとう。残念なことにはそれにつけ加えて一々、それは誰が私に仕込みつつあるかということを云えなかったことです。つやがすこしよくなればすぐ目をつけてくれますね。もっとせっせと垢《あか》おとしをやっているところのつやについては皆目めがつかぬ。あなおもしろ。ふと、日を考えちがえしていて、きょうは二十一日ね。手帳を見て、丁度表のためにも区切りの日でした。
 では、お約束を果して、この手紙はおしまい。花は二十四日ね。
    表
    起床     計温   就寝      計温
11(金)六時四十分  林町デ熊ニナッテ居テトラズ 十二時十分   六・七
12   六時四十五分 六・五  九時      六・四
13   七時     六・五  十時十五分   六・三
14   七時十分前  六・六  九時半     六・六
15   六時半    六・七  十時      六・五
16   七時     六・六  かぜ気で午後からずっと床に入ってしまった日 六・六
17   七時     六・五  午後から床の中 六・四
18   六時四十分  六・五  九時四十分   六・五
19   六時半    六・四  十時十分    六・四
20   七時     六・五  十時半     六・五
 十六日を中心として本月は熱を出しませんでした。段々いいこと。
 この頃はこの仕事も大した苦労でなし。

 十一月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月二十一日  第七十三信
 さっき手紙を書いたのだけれども、急に大変話しがしたくなりました。夕飯をすまして又二階へ来て栄さんの小説をよみかけているのですが。
 御飯のときひさと喋っていて、この家にはともかく来年で足かけ三年暮したとか、あなたにお正月の着物を仕度するとか、そんなこと云っていたからかしら。私たちの御秘蔵の大島をおきせしようか、それともあれは春までおいて、別に一組こしらえようか、そんなことを考えているの。久しく新しい着物もあげないから、一つ新しいのを見せてあげようか。御秘蔵はふだん着て膝がぬけてしまうと残念のようでもあるでしょう。あの着物の襟の合わせめのにおい。あの着物にしかないように思われる。
 六つばかりのとき父がイギリスにいて、夏虫干しをしたら父のきていた冬着が出ました。父のにおいがする。お父様の匂いがする。暑い暑いのに、それを着て、泣きねいりをしてしまった。大人になると、そういう感情表現を、物狂わしいと見るのは、何という風俗でしょう。非常に不自由を感じます。着物をいじるごとにそれを感じる。
「仕立屋へはやらないよ、どっち道。又綿をポンポコ入れなければ駄目だから」「私がもっと上手だといいけれど」「又本間さんにたのもう、本当にちゃんとはじめなくちゃ駄目だから」ちゃんと始めるというのは、おひさ君の勉強です。
 折角私たちの家にいて、一年いて、何もしない只台所している、それではいけない。何かしたい勉強を考えるようにと云っていたら、小学校教員になりたいということになりました。外の職業で、結婚と妊娠とでこまる例を見ているので。女学校を出ているから、尋常の正教員には何とかしてなれるのです。それで、来年の夏までガン張って実力をつけて、着手するということになりました。来年の夏までに、追々おひさ君が代りのひとを見つけることにして。ですから、この頃は時々、私が二階から下りて来て茶の間の柱によりかかって、ひさは長火鉢のところにいて、「あれが八分通り出来たんです」「フーム。割ったの?」などという会話をやります。応用問題の話です。そんな当てが出来て、いろいろ時間のことなど考えて貰っているので、ひさ、小包忘れて小さくなったわけなのです。猶々。
 おや、按摩《あんま》の笛がきこえて来る。冬の夜らしいこと。
 オイゲン先生の二人の人間からはじまる経済の空中楼閣につれて、ロビンソンの話があるでしょう。あの作品を、漱石は十八世紀の英国文学の評論の中で、当時の最も下等なる側の代表と云ってとりあげています。漱石の下等というのは、それが理想小説でもないし、美的小説でもないし、どの頁をあけて見ても汗の匂いがして、椅子をこしらえたり何かばっかりしているからだそうです。そして、構成のだらだらしたところを突いて、自分の小説構成論を述べて居ります。漱石は散文と詩との対比を、散文は人力車にも電車にものらず、二本の足でコツコツ歩くのが散文であるという風にきめたりしていて、文芸は社会の事情と切りはなせぬとしながら、その文芸の分類法は知・情・意の分立に立脚した四つのカテゴリーに並列的に分けているところ、矛盾が面白く思われます。
「ロビンソン」と「トム・ジョーンズ」と「虚栄の市」がフランス訳になる、「ロビンソン」はジャン・プレヴォストが序文をかくのだってね。どういうのでしょう。
 スウェーデンのセルマ・ラゲルレフが八十歳のお誕生を祝われ、国家的祝祭を受ける由。この白髪のお婆さんは、キュリー夫人と何と対蹠的な表情、かまえ、書斎をもっていることでしょう。伝記もうお読みになりましたか。ちょいちょいみただけですが、ここにも[#「も」に傍点]このように生きた人たちがいる。そういう気持もするでしょう? あの夫妻は、良人の方が柔軟な性格だったらしく見えますね。それにしろ、何とフランス型の科学者でしょう、彼は。フランスの科学はああいうタイプによって口火を切られて、よく国外でその完成を見るのに、キュリーの場合は、夫人がその点での驚歎すべき実行力というか手[#「手」に傍点]となっている。
 そう云えば、鴎外の『妻への手紙』が杏奴の解説で出ましたね。いつか、愛子夫人が蘆花の家信を自分のと一緒にして出したが、ああ主観的で、あくがつよいばかりだと、第三者は、性格研究のためにでもない限り益をうけることは少い。前田河の『蘆花伝』はその主観性の中に伝記者までたてこもったものらしい。そういう評が何かにありました。近頃岩波で出している新書のうち、あなたはどんなのをお買いになるかしら。私はクリスティーの『奉天三十年』『支那思想と日本』『家計の数学』(これは家計の方に目をひかれたのではなくて、私たちが、キライナモノとされた数学というものを、生きた姿で見直したいから。)サートン『科学史と新ヒューマニズム』『妻への手紙』(鴎外)『戦没学生の手紙』等です。興味があったらポツポツお買いになりませんか。そしてお下りを頂戴。又袋に入れて持って歩いて読みます。『猶太人ジュス』をよみ終り、こういう小説(ローマ皇帝下のドイツの小公国を背景として)をかいた作者の心持、そして「旅行記」をかいた作者の心持、今一人の書記官の死に対して十億マークを全国のユダヤ人に課せられていることなど思い合わせます。
 あの袋も、あながち皮がないばかりではないのです。冬になって、私は紺ずくめになってしまいますから、少しは色彩を、と思って。気がついていらしたかしら。いらっしゃらなかったでしょう? 赤いのや黄色いのがこしらえてあるの。あれは自分で縫えるから。段々お目にかけます。
 ひさが上って来る、何だろう、雨戸をしめに来た。光子さんが来て、私は心ひそかに計画をめぐらして居ります。こんどはこの二階からもとの家の二階の見える(屋根だけ)南の景色を描いて貰いたいと。茶の間で、あの足でしめる茶ダンス(覚えていらっしゃるかしら、あなたの芸当)のわきにいるところも描いて欲しいけれども。私は未来派のことやいろいろ彼女のためになるお話をしてやるのだから、又エハガキ一つ位描いたっていいでしょう、そう思っているのです。この我々の家を四方からかいて、並べるとマア凡そわかる、そういうお年玉をあげとうございます。自分の住んでいる家の見とり図なら描いてもさしつかえないのでしょう?
[#図5、家の見取り図。西北西が上。上部に「砂利の小道」。その下に縦長方形の敷地、小道に面して「桧葉の生垣」、「門」は右端、残り三方は「竹垣」。庭右側に上から「花の咲かぬ
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