フが、それでもいくらか今思い出されて役に立ちます。
 十五日
 あなたのところからこの頃の日没の空が見えるでしょうか。きょう上落合のところを栄さんと歩いていたら、重く濁った太陽が、低い地上では靄《もや》の湧いた樹々を黒く浮上らせながら沈んでゆくのを見て、シベリアの景色、バイカル湖のあたりや、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の日没を思い出しました。栄さんのところへは、十七日の用でよったの。先月はごたついていてあなたの御誕生は珍しい家内の顔ぶれでやりました。今月の十七日は、お赤飯をふかさして栄さんのところを(丁度小豆島から妹さんとその娘――小さなの――が来ているから)ユリちゃん小母さんの家へ呼んでおひるをたべます。祝いのばしというのはいいこととなっております、古来。
 きょうはおしまいごろに交された話(退院後のこと)あのとき、私は何だか先頃来の点のからかったことの微妙なニュアンスが氷解したような感じがしました。点の辛さを、そのこと自体導き出すものは実際にありました。そして、点の辛さは、有益であり、全体として正当なものであり、私は明かにそれによって精神と肉体との健康をましつつあります。ありがたさにかわるところはありません。でも、やっぱり何か微妙な感情の底流、言葉の語調がひそめているもの、そういうものに影響しているものとして、作用していた何かでなかったと云いえない感じがしました。公的に書き、語っていたのよ、ずっとそのことは。きょう、それはよかった、と仰云った一言で、私は本当に本当に気が楽になった。「そんなこと、判っているじゃないの」と云った自分の心持では、もしもそのような点まで模糊とさせているのならば、何のかんばせあってかまみえんなのだから、判り切っていることだという心だったのでした。けれども逆にも考えました。原っぱを心たのしく歩きながら。そういう点まで一応改めて訊ねさせたものが、私のいろんな点に在ったし、在るのだということを。そして、そこには、やはり深い自省が促されるものが在ります。でも、本当に、よかった。
 根本的なところでの安心、土台の安心、そういうものが確保されていて、与えられる励し、批評、心づき、それらの与える感じは、その根本への何かの陰翳を伴って向けられる忠言その他とは、おのずから雰囲気を異にするのが当然です。私にとって、何か苦しかった、心持として(妻としての)何か切なさが伴ったのは尤もでした。今こそ申しますが、私は幾度か涙を以て考えました。この三、四年間の自分の努力というものは、どのようにあなたに今日[#「今日」に傍点]評価されているのだろうか、と。去年そして、その前の年、私はそういう疑問を感じるような、そういう感じの言葉はあなたからどのような形でも頂いていませんでしたから。「予後不良という診断は不幸にも適中した」と書かれた文句をよみかえしよみかえして、二年を経た今日、このような言葉を語らせるのが、自分であろうかと思ったことでした。
 この次私に手紙を下さるとき、どうか、あなたの「それはよかった」という一言が、お互にとってどんなによかったか確認した表現を下さい。それは決して手のこんだことはいりません。ユリがこのようによろこんでいる、よかったは何よりだった、それでもう十分です。生活というものは考えるとこわいようね。当然通じているにきまっているとひとりのみこみしていては実に大変なことさえあるのだから。書きながら、あなたがニヤニヤしていらっしゃるのも見えます。「それは成程よかったし、寧ろ当然なことだが、マアそういう点まで一応訊ねさせるものがあったということについて自省を向けているのは、正しいね」と。主観的の善意の具体化ということは、全く云われている通りですから。
 自分としては何かしっくりはまりこみきらない切なさを一方に感じつつ、それでも最も正当に最も健全に、あなたの云われている諸点について考え、努力して来たこと(この二・三ヵ月)は、結果としてよろこびをもたらしました。
 本当によかった。これから私は文字どおり曇りなき快活さで、いろいろの改良に従ってゆけますから。再び自分を心から抱かれている者として信じることが出来ますから。これは私にとってどれほどのよろこびと勇気の源泉であるか、きっとおわかりにならないでしょうね。あなたは最も真面目な理解をもって、よくよくユリの人生を支配しているその点をわかって下さらなくては。私はどんなことがあろうと、自分の生きかたで護れる限り、この貴重なる源泉の純潔を完《まっと》うしようとしているし、そのことは即ち、歴史性の上で歪んだ足どりを不可能にしているというところに、なみなみならぬ意味があると信じているのですから。
 私は、きょうも亦、その話をとり出して下すったあなたのうむことないたゆみなさに心から感謝いたします。このすーっとした心持の手紙を書いていると、この間うち書いたいくつかの手紙を思いおこし、そこには一生懸命さと共に一抹の不安、どういうのかしら? というものが漂っていたことを感じます。
 とにかく土台のところでは十分承認されているというこの心持。これによって私は生かされているのだし成長もして行くのです。私の精髄的なものが、ここにこめられている。これで、私は今年の冬も愛らしい、春のような冬、我々の冬として暮して行ける自信にみたされました。もう今から、特別な心で眺めて待っている月の色、一月に入れば、次第次第に輝きをまして、一夜恍惚たる蒼い蒼い光りに溢れる月に向って、一層新たな歓喜の挨拶を送ることが出来ます。
 これから段々事務的な用も多くなるでしょうし、あなたの用もおふえになるでしょうが、それにつけても、よかったことね。私はこのうれしさで、勉強もしんから身につき、与えられる助言の実現努力に骨惜しみしない自分を約束しながら、あなたの手を執り、それを胸において、更にわが手を重ねます。

 十一月二十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月二十一日  第七十二信
 きょうはちっとも風がなくて静かでいい日ですね。表を送るのには、明日手紙書いた方がきりがよいのだけれども、かきたいから。『支那統一の時』本当に御免下さい。私が風邪だったので、渡して二階に上ってねていたので、ポケンの本領発揮してしまった。箱をあけたら(包紙入の)出て来たので、思わず私が「ひさ、これなんだい!」とやったので、小さくなって悄気てしまったが、私はフンマンおさまらず、家にいるとつづけて爆発するから、小包二つ抱えて出て郵便局へ行ってしまった。そういう工合でした。着くわけはなかったのです。
 さて、島田へは雑誌や本、それに中村屋の、いつかお送りして気にお入りになった豆の菓子お送りしました。おせいぼはもうスタンドにきめてあります。炬燵でゆっくり何か御覧になったり床の中で見たりなさるのに便利なようなの。この頃は、日本趣味のスタンドが出来ていますから、そんなのをお送りしましょう。
 てっちゃんには、あの図書の尾崎からと、前に云っていらしてなかった分とを皆書きつけてたのみました。
 支那語の字典。あれは不十分だと思われます。画で引けるのでないと、発音がわからない字もあるわけですから。尚文堂のはラジオの支那語講座テキストの裏にまで広告出しているそうですが、大分財政窮迫と見えて、本にはなりません。文求堂のだけで、第一書房のは改版中の由です。『日華』はおなぐさみ迄に、と思ってつけ加えました。あれにしろ半ば無意味ですね、発音が分らないのだもの。
『日ソ』というポケット型の字引もあのとき見ましたが発音はむずかしいと見え、ローマ字でひどいことをやって居りました。支那語も発音はむずかしいのでしょう。よいのが見つかる迄ともかく一時御用立て下さい。
 偶然のことからドイツ語の学力大いにある一人の女のひとを知りましたので、あなたのドイツ語向上のために、何かいい字引(文法つきの)を教わることにしました。そのひととは多分二十三日、一水会の展覧会で会い、字引のこともきけるかもしれません。
『仏和』は本日あたりお送りいたします。
 岩波総目録のおしまいの本ね、あれはもう出しません。古いのでもないでしょう。しかし私は幸白揚社があの著者の重要著作選集を出しているのを皆もって居りますから、その中にはきっとあるでしょう。「その他」の他がどれなのか分らなくて閉口ですが。もしかしたら誰かもっているかもしれない。
 十九日(土)には、待ちぼけでいらっしったのね。十二時迄と思ったのですって。朝、あぶないナと思ったのですが知らす間もないと思っていたらやっぱり。
 金曜日は実に面白かった。あれから神田へまわって東京堂へゆき字引などいろいろしらべてフラリと出て専修大学の方向へ行っていたらとある額縁屋の中でチラリと動いた女の姿がどうも光子さんそっくりです。一水会の出品に十五日以後出京とハガキが来ていたし、往来に立って見ていたら、体つき反っぱのところ黒くてやせて、しかし何か美しいところ、まごうかたなしだから入って行って、知らん顔して並んで立っていたら、額ぶちから顔をあげて、アラーとかじりついた。大笑い。それから一緒に家へかえって、御飯たべて、喋って(未来派のこと。絵に、動き[#「動き」に傍点]をとらえるのはどこでとらえるかというようなこと)。未来派は、一つの物体がその面に反映させているもので、その周囲を語り、或内容を語らせようと試みた。マツァは未来派は技師の世界から生れたもので汽罐車や速力やをとらえようとしていると云っているというので、それは技師の心となど云えないこと、未来派左派が詩で鍛冶派《クーズニッツア》(マヤコフスキー)であった理由、未来派の手法は、新しいリアリズムにより動[#「動」に傍点]きをもたらさぬこと。貴方には恥しいけれど、一寸柔道を試みてね、絵の動[#「動」に傍点]きは動きの中で、未来派のように車輪をいくつ重ねてボヤかして見たってはじまらず、とまっていたものが動[#「動」に傍点]くその瞬間の重心の移動でとらえねばならぬこと、それについてロダンの云っていること。
 久しぶりで、方面の違った話をやって全く面白かった。光子さんが絵を出品する前に見て呉れというので、泊っている友達の家へゆきました。(そこがそのドイツ語の女のひとでした)岩松君も二点よこしていたが、夫婦の作品をくらべて、芸術家の夫妻のこわさを痛感しました。光子さんは、昔から丹念にかいて隅々まで描いていたタイプです。岩松さんは、顔なんかばかり興味をもって、しかもその顔から全体が浮ばないように扱っていたが、今度の夫婦の作品は腰の据りかたで一寸おどろきました。光子さんの絵はピアノをひいている若い女なのだが、ちゃんと一つの絵として落付いて居り、ピアノの黒いひろい面をもこなしています。淳さんは去年のように又魚を描いたり、人形二つ描いたり、光子さんの父を描いているが、肖像に於てはバックも体も破タンしています。何か画面で狙って描いていてしかもそれがつかまらない。そういう感じ。光子さんの工場の絵は、昨年の方がよかった。本年のは、技術上は進んでいる大工場ですが、そこは馴れないところなのでお客で、構図を十分考えるゆとりなく、作者(画家)の立場(描く焦点)がない。それに面白いことは、近代設備は、昨年の作事場《さくじば》的工場内よりカラリとしていて、独特の空気があるのが、光子さんの筆触ではまだつかまれなかった。でもそうやって、一年ごとにより進んだより多面な努力をつづけてゆくのは感心です。でも、父母が制作にかかって気が亢《たか》ぶっていると、子供は(六歳)体をわるくしたりしてしまう由。おばあちゃんのところに行っていた由。私は光子さんが下手くそで、紙屑だかナプキンだか分らないもの、つやも光りもない果物をかいていた頃から、その勉強ぶりを買っていたので、年毎にジリジリと成長して、現代の婦人画家の中では次第に本ものの実力を高めて来るのを見るのがうれしい。いつかのエハガキにしろ、あのひとのある心もちの傾向がわかるでしょう
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