フものに、その狭さで扱うかということについて。
ヨーロッパ、アメリカでも、歴史の回転がはげしく感じられているらしく、ドス・パソスはアメリカ「USA」という題の小説を書いている由。イギリスでも各社会層のタイプを描いて現代を示そうとする作品が出かかっている由。あっちの文学がジョイスの心理主義から押し出されて、ロマンティックな方向と新しきリアリスムの方向とをもつことはこの前によんで、手紙にかきましたが、こういう作品は果してどのような実力を内容しているのでしょうね、現実観察に当って。
そう云えば、あなたはもと、「猶太人ジュス」という小説をおよみになりましたろうか? きっと読んでいらっしゃるでしょうね。その作者ホイヒトワンガーは、ジイドの紀行に反対するものとして実に誠実溢れた旅行記をかきました(一九三七年)。翻訳は売り出されると間もなく引っこめられたが。ドス・パソスは別に『戦争のひま』というような題の旅行記を出しました。紹介批評に、小説家としては幾分表面的な場合もあるだろうがと条件つきに、本の面白さを云っていた。私はこの作家については知りません。
入沢達吉博士が死にました。科学者として、死後に、入沢達吉病歴として四十年間の病歴が書かれていた文書が発見され、幼児脊髄マヒをしたことがあって、(Kと同じですね)今もビッコなので、この未だ病原のつきとめられていない不幸のために、解剖に際して必ず脳と脊髄解剖を行うべしと特書してある由。これは科学者らしいいい話です。けさ新聞でよんで心持よかった。この人は昔の留学時代W・リープクネヒトなどと会ったりしている。では又。おお、おなかが空いた。栄さん、小説を直しに来ると云ってまだ来ない、繁治さんのカゼがわるいのかしら。お礼はつたえました。
十一月十二日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十二日 第七十一信
きのうは、そちらからのかえり、二人にくっついて、久しぶりで林町へゆきました。本も入用だし。
太郎、途中で眠くなって、トロンコになって、形勢危しと見たおふくろさんは、一生懸命、電車の窓から、「アラ、トラックよ、何のせてるんでしょう」などとやって、やっと歩かせて辿りつきました。咲は、太郎を「悧巧そう」と一度ならず云われたとくりかえしてよろこんでいました。「お愛想かと思ってよく考えるけれど、宮本さんだもの、ねえ、まさかお愛想だけで云いはなさらないから」とホクホクして、父さんが戻るやすぐ報告して居ました。アボちゃん、「あっこおばちゃんの小父ちゃん(あなたは、こういうむずかしい呼名の方なの、そういう云い方で、何か一組として分るのですって。)が、きょう、太郎ちゃん悧巧そうだって仰云ったでしょう。そう[#「そう」に傍点]じゃこまるわね、本当にお悧巧になりましょうね。」そういう会話をやって居りました。但、お茶をのんでいて、太郎が余り菓子をねだったとき。
夕飯の前、私は大きい鼠になったり熊になったりしました。太郎は猫と兎。こんなにして、這ったり唸《うな》ったりしたの久しぶりだったので、大いに気散じになりました。太郎はこの頃、もうお伽話の世界での擬人法で遊べるから、なかなか面白い。一人前の対手になる。私が大きいねずみになって食堂の入口のあの重くて大きいドア(覚えていらっしゃるかしら)の蔭にちぢまっていて、猫に向ってとびかかる、そのとき前掛を頭から顔にかけてかぶって、丸い顔を尖った小さい顔にしてとび出したら、逃げながら、フロシキかぶらないんだヨ! フロシキかぶらない鼠ヨ! と盛《さかん》に抗議して、大笑いしました。夜飯後、これも全く珍しく、つよいアクセントの言葉をきいて、愉快だった。
咲は、盛に喋り、はねくりまわる太郎をテーブルの前から見ていて、小父ちゃんに一目ここが見せて上げたいと云いました。大分甘ったれたところ見せたのですってね。私は、でもそれでいいよいいよと賛成しました。だって、そういう憚《はばか》るところのない感情の表現、その身ぶりなんか、やっぱり目と心にいい気持ですものね。たまには。太郎にのみ許されたる独壇場だもの。
いろんな話が出て、十時すぎて、バスがあぶないから車で送って貰ってかえりました。(家のに非ず。国はそういう点全く尻重ですから。かえったらもう出ない)。
フランスへは一ヵ月百円のところ、特別の許可でそれより多く送っている由。この頃は、かためて送れず、毎月ですって。こちらの分は全然別口にすれば送れます。あっちの送金にこめることはその点で不可能の由。複雑に社会が動いているから、あっちでもいろいろの心持でしょう。巴里で金持と女子供は皆避難したときは大分特別な経験もしたらしい様子です。
咲のこと、本当に御存じないのねえ。あの人には兄が一人、これが後とり。姉春江、これは河合さんという凸版の親方だった人の息子の細君。一馬という男。これは郵船の船のり。今結婚しかかっている。あとが例の音楽家です。
ところで、世界の波のうちよせ方は様々に波紋を描いて面白いこと。バック女史が、支那を描いたことによってノーベル賞を貰います。カウツキーという人は八十四でアムステルダムで(ウィーンからうつって)死んだ。ローランが大戦のときノーベル賞を受けました。その祝いがスウィスで彼の質素な部屋で行われたとき、彼は、ピアノでヴェトウベンを弾いたそうです。バックは今「アメリカの子」という小説をかいているそうですが、どのようにお祝いをするでしょうか。
私の勉強は今日から哲学のものにうつります。伝記のつづきに、その本に入っていたある序文でイギリスの十五―十八世紀までの歴史的展望をよんで、実に面白かったし有益で、英文学史というものが、やはり、まだ本国でさえ書かれるようには書かれていないと感じました。漱石の十八世紀の英文学研究も又改めて面白く思いました。十七世紀に町人の文化が発生して、写実を主とする肖像画が生れ、文学の性格描写が生じ、音楽でヘンデルのような表題楽が生じたこと、日本の西鶴が十七世紀であるのも面白い。
いろいろと綜合的に感じ、ふと自分はどうして文学ノートを書かないのだろう、書いていけないわけはなしと思いました。ああ勿論それはかの哲学ノートほどのものでありようはなくてもね。日記が文学ノートのような時期があったが、三年前のとき、記念品[#「記念品」に傍点]としてまき上げられてしまった。それが癪にさわったのでそういうものはつけないことにしていたのですが。文学ノートをこれから書いてゆきましょう。これも些細なことではあるが、やはり自分の日々の内容を自身に摂取してゆくことにも役立ちますから。すこし厚い、しっかりしたノートを一冊買って、はじめましょう。ちょいちょいよむが沢山よんでいる。そういうものについてやはり書いておくべきだと思います。こういう一つの小さい実行性についても、私はこの間うち(夏以来)のいろいろなことが、本当にありがたいと思います。勉強してゆくということはして[#「して」に傍点]ゆくことであり、仕事してゆくことは仕事をして[#「して」に傍点]ゆくことであり。そう云えば、誰だってそれはわかっている、と申しますが。
十日づけのお手紙もありがとう。率直のことも、私にしろ機械的に考えては居りません。私はこのごろ自分として勉強もしているし、気分もはっきりしているので、先達のうちのいろいろのことから、あなたが、私の些事なるが如くあって実は本質的なものという点へ、視線を鋭くお集めになったことも十分よくわかって来ています。だから、そのときその場では、何だか云って見れば痛くない腹をさぐられる式に感じたことさえあった、それが、大局からの問題として、その点に触れられてしかるべきことが納得されましたから、気分的に苦しむことはなくなりました。
本の装幀は五十銭でした。但これは例外のねだんです。本を余りおよみにならないように。この間てっちゃんが、そのことを云って心配していました。あなたの速力では決して読みすぎるように読んでいらっしゃらないのはわかりますが。十六貫五百おありになるって? きのう咲からききました。「あら? 知らないの」と笑っていた。今月の二十三日はお休みなのを知っていらっしゃいますか。花の鉢をたのしみにしているのに。お母さんは、私をすこしは甘えさせてやれと仰云らなかったでしょうか、一寸伺います。
お約束 十一月一日―十日
(午後五―六)
起床 計温 就寝 計温
1日 六時四十五分 六度六 十時十分前 六・五
2日 七時 六・八 九時 六・六
3日 七時十分前 六・六 十時十五分過 六・六
4日 六時半 六・七 九時十分頃 六・四
5日 六時四十分 六・六 十一時半 六・五
(ター坊のおどり)
6日 七時十分すぎ 六・六 十時 六・六
7日 六時四十分ごろ 七・一 九時半 七・〇
(お葬式のあった日)
8日 六時半 七・一 九時四十分 六・六
9日 七時五分前 七・一 九時二十分 六・八
10日 七時 六・八 十時 六・七
――○――
これだけの余白は勿体ないこと!
『キュリー夫人伝』は、私はまだ読みません。しかしいろいろの条件はあっても(エーヴの美学について)やはり本気で働き、本気で愛し合った二人の卓抜な人間の生活からほとばしる本来の輝きはありましょう。今ちゃんとよむものがあるから、私はそっちの腰かけでよむもの(袋の中。今は『猶太人ジュス』)それから一寸の時間茶の間でよむもの(きのうまでは『近世小説史』)それから机の上の本として、余りあれもこれもと一度におきません。およみになったらこちらへ下さい。そのあとをよみます。おひささんの声アリ、御飯が出来マシタ。今日はさわら(魚よ)とホーレン草をたべます。
十一月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月十四日 第七十一信
きょうは何という特別な味いの日でしょう。その下で将《まさ》に将に花咲かんと願った耀かしさ、そして暖かさ。
机の前で勉強をしている。折々云いつくせない光の波が甦《よみがえ》って来て私をつつむために、きつく胸に手を当てながら。
一つ御紹介いたしたいものがあります。それは一冊の帳面。本の整理のために使っている大学ノートと同じ大判で、紙表紙はおとなしい緑っぽい色です。二本の枝がノートブックという字を上下からかこんで若葉をつけて、背のクロースは調和のよい藍色。そしてタテケイです。平凡だけれどもどことなく生新ですっきりもしている。今日からこれが私の勉強帳になることになりました。これからはずっとよむ本と並べておかれ、いろんなことをかきこみます。勉学に関することを。
オイゲンという先生は、大変な混雑物ですね。こういう混雑を、かくの如くつかみ出してはっきりさせてゆくということは、実に大したことです。ここでは二重に学びます。云われていることの正当さと、云いかたの正当さについて。混雑をどこでとらえてどのように奇妙な撞着のモメントを追究して示すかということについて。だが、これは私の哲学的読書力のギリギリのところですね。決して楽によめるなどという大言は吐けません。十分にはわからないところもある。そうかと思うと、覚えず愉快で机をうつようなところもある。数学の公理理解における観念性のところなど。数学がわからなかったこと(わけ)がよくわかります。ところで、あなたは、数学がお得意でしたろうか、そうでもなかったでしょう? 数学の教授法の進歩の歴史の中には確に深い意義がひそんでいます。
さて、段々と進んで来て、科学の第三の部類について語られているところに来たら俄に息が楽になった。自然科学に関する知識は何と貧弱でしょう。いつか、狭い部屋暮しの中で『史的に見たる宇宙観の変遷』という文庫本をよんだときにもそう思いましたが。その本からホンの一滴二滴のこったも
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