トいることでしょう。様々の高低、様々の揺れ、そして様々の玉石混淆《ぎょくせきこんこう》をもって。或ときは空語と知らない空語をも交えつつ。
さっぱりとして、無駄なく、而もよろこびとユーモアとの漲った生活が、照りかえすような手紙が書けるようになりたいこと。そのような強固な悠々さを身につけたいこと。それらを、自分の芸術の新しい美としたいと思います。
本のこと、前の分と一緒に調べて、ないなら改めて注文しましょう。就寝、起床、計温、二十三日からちゃんとやりはじめたから、月末、一まとめにして表にします。
ユリの勉強を祝福しつつ、ポンポコどてらを召して下さい。
十月三十一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十月三十一日 第六十八信
ああひどく曇ってすこし落ちて来た。いそいで帰って来てよかったこと。きょうは朝ラジオで俄雨アリと云ったので、コートを着てつま皮のかかった足駄をはいて出たら、あつくてあつくて。気持わるくて歩いていられないようなので、一旦家へかえって、コートをぬいで、下着をうすくして、それから三省堂、東京堂、丸善、本店をまわって今かえったところ。
三省堂の洋書は殆ど無いに等しい有様となりました。お金の制限でやり切れぬらしい。その代りに一杯語学勉強の本を並べて居ります。東京堂へ行って、「地名人名辞典」をきいていたら、見知らない人が丁寧に帽子をとって、失礼ですが「地名辞典」でしたら云々と、国際情報が出している本がよいと教えてくれました。「人名」も清朝末期までのならば Playfair という人のがよくて、それは東洋文庫と文化振興会のライブラリーにありますと教えてくれました。私も「どうもありがとうございます」とお礼を申しましたが、『ジャパン・タイムズ』の、私たちの求めているのはもう売切れで、来月末に再版を出すまで待たなければなりません。予約をしておきました。楽しみにおまち下さい。
それから丸善に行ったが、御注文の分はなにもなし。別に、シドニイ・ウェブ夫妻の書いた本(Longman)版で Soviet Communism: A new civilization? という本がありました。上下二冊。大部なものです。大変売れている。ごく客観的解説であって、ソヴェトとは何ぞやからはじまり、生産者としての人間、消費者としての人間、その他全生活の面にふれている、極めて記述風のものです。こういう本は常識をひろめるに役立つ種類です。興味がおありになるでしょうか。二冊で三十二円いくら。おききしないうちに買わない所以《ゆえん》です。日本の外務省の情報部で、日本教育史、外交政策などに関する外人向パンフレットをいくつか出して居ます。
仕方がないから本店へ行って見たら、『マーチ オヴ ア ネイション』がありました。ともかく買ってかえって、小包にしましたが、フランコ側の進軍への従軍記事です。文章に魅力があるというのでもない。しかしマアこういうのもある、というようなわけです。全くひどい挑発的な本も出ていました。きっと全部はおよみにならないかもしれませんね。オーストリアの前首相で、ナチの侵入と共に監禁された Kurt Schuschnigg の My Austria という本がありました。これは内容のある面白い本だと思います。大戦後からイタリーとドイツの圧力の下に苦しむオースタリーを書いている。それから、英語で書かれた無名の原稿によって出版された Why Nazi という本がある。非難するためでもなく、ひいきするためでもなく、それがあるままを、と序文にある。イギリス人でその場に列席した法律家が Trial of Radek を書いて居ります。冷静に見ている。何故一般がびっくりする程のことを皆喋ったかということについて、それは国内にいるのこりをうまくのこしておくためであったと見ている。これもつまらなくはないらしいと思います。法律の相異から書いている。改めてアンケートに書いておきました。顔なじみの人がいて、本のとりよせの困難の話をききました。結局ちょいちょい足まめに行って、而して高いことには目をつぶることです。種目をせばめまいとしていると、冊数がすっかり減ってしまう由。『クラッシュ イン パシフィック』は地方の支店をきいてくれるそうです。Japan over Asia は或はあるかもしれずとのことです。
私の方は、日本上代文学や歴史とてらし合わせて、綜合的によんでいるので、なかなか興味があります。順よく進んで居り、これまでより、追々ひろがって行けそうです(読む範囲で)。
白揚社から、新しい方法をとり入れた日本文学史が(源氏前後)まで出ました。きいたことのない筆者の名です。文学を社会の背景から書いている。どんな本かしら。
中央公論の出版目録は直接そちらへ送るように書きました、そう云えば、岩波から『図書』の八月よこしましたろうか。
本間さん(もと十条にいた)が仕立ものをもって来ました。今年はあのひとが戸塚に来たので、どてらの直しや何かたのめて、レコード破りのポンポコになりました。普通の仕立をするところでは、程[#「程」に傍点]があるという気持で、なかなかこう徹底してポンポン綿を入れませんから。云っても駄目だから。今年はその点はいくらかましな冬です。
では、今夜は、本屋めぐりの報告で終り。お約束の表を添えて。ではおやすみなさい。早く気候が落付けばいいのにね。
お約束の表 十月二十三日――十月三十一日
起床 計温 就寝 計温
午後五―六
23日 午前六時十五分 六・六 九時半 六・四
24日 午前六時二十五分 六・五 九時四十分 六・四
25日 午前六時十分 六・四 九時二十分 六・四
26日 六時四十分 六・四 十時 六・三
27日 六時半 六・五 十時十分 六・三
28日 六時二十分位 六・四 九時四十五分 六・二
29日 七時五分前 六・八 九時四十分 六・五
30日 七時(日曜日) 六・五 十時三十分 六・四
31日 六時四十分 六・六 今八時二十分。きょうは眠くて風呂もやめて、
もう十分もしたら床に入ります。今六・四
十一月一日からそちらは八時半からになります。けれども寒中にでもならないうちは、今の時間でつづけて見ようと思います。そうしたら第一のグループに入るわけですから。
十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
十一月六日 第六十九信
きょうは心持よい晴天になりましたね。きのうの夕方の地震相当つよくお感じになったでしょう? 金華山沖が震源地ですって。はじめの五時すこし過のとき、丁度夕飯をたべていて、段々ゆれ出すので心持わるくなって玄関の外へ出ました。そんなことは珍しかった。しかし時計が止らない、大したことにはなるまい、そう思いながら、やっぱりドキドキしはじめて出ました。二度目のときは七時すぎで、そのときは日比谷の公会堂の二階にいました。おひさ君と並んで。舞台では高田せい子舞踊研究所の発表会で、子供の「桃太郎」をやっている。鬼の踊をやっている。そこへゆれて来てユッサユッサ何千人かを詰めてゆれ出したら、女、子供が多いから忽ち将《まさ》に共鳴があがりそうに騒然として来た。するとどっからか男の声で「皆さん大丈夫です。おどろかないでも大丈夫です」と怒鳴り、舞台もつづいて、やがて、小さい子供の桃太郎が舞台へ出て来たら、何よりそれで安心させられたように落付きました。舞台だけ明るく、巨大な円天井にボンヤリついた照明の下に何千の黒い頭があって、ユラ、ユラ始まると、独特の感じでした。一軒の家の中だと家がつぶれても惨状という直感がしないが、ああいうところだと、すぐ人命の危険が迫ります。今朝の新聞で見ると、たった一寸五分程ゆれたのに。然し三陸の大地震以来の由。戸塚の達枝が高田せい子のお弟子なので義理の切符を買い、お久同伴出かけたわけです。中頃以後にやっと戸塚の一家と栄さん、さち子さん姑嫁の一行を見つけました。かえりに栄さん、私、ひさ、三人で数寄屋橋の先まで出て、お寿司をたべて、有楽町からかえりました。
高田せい子の舞踊というのは初めて見ましたが、なかなか大変なものですね。つまり生活の内容、生活を貫いている音楽の感覚と舞踊というものが、溢れるように感じられず、大変考えてこしらえている。或文学的内容はあるのだが、舞踊として、音楽がおのずから肢体を律動せしめるような横溢がない。日本の生活感情の中に音楽のよろこび、表現力が実に欠けている。それがじかに出ている感じでした。
私は、そんなことを次々に感じながら、それらの感じは小波のように感じて、きのうは一晩じゅう、あることを思って居りました。きのうの朝手紙を頂いた。その終りの部分が私につたえる感情を。あの部分は、何とあなたらしいでしょう。心持の篤さ、繊細さ、そして明確さに於て。あの部分は無限のぬくもりと勇気とをつたえます。文字から声が聴え、そして、終りに、「ね、そうだろう」と私の背中に与えられる掌の感じまでこもっている。私たちの生活への愛と思いやりとが心にとまって、くりかえしくりかえしそれを思わずにはいられなかった次第です。
確にここで云われているような場合というものはあるわけです。私は確にばつのわるそうな顔付もしますし、赭《あか》い顔になるのを自分で感じることもある。しかし辛さと感じられる感情は、私としては謂わば外部的なそういう条件が、その場で現れている形に対してというより、その条件がもっと影響している微妙なものが原因で苦しかったり辛かったりするように思えます。二十四時間が私たちにあれば、その内容は実に豊富流動的で、幅ひろく流れる情感のあらゆる面が、刻々にとけ合わされるでしょう。自由自在な表現があります。五分六分では全く集約的で、しかも最も重要な点にだけ集注するから、重要さが、いろいろ忠言的な性質をもっていると、その部分、その面、その点だけに焦点がおかれます。他のもっとひろい部分との釣合は、感情の背景としておかれる。そのときの声、顔つき、目差し、それが完全に翌日までの感情、気分の中心として作用する。おまけに私は子供らしく貪婪だから。窓が開く。いなや、眼でかぶりつくから。いろいろなよろこばしいものを吸いとろうと、ひどく慾ばって構えているから。日常的なことであって、而も決して、毎日毎日に馴れて、事務的反覆になっていない、心持が、ね。だから、そういう主観的な色調に対して、何だか辛く耳にきこえ、心臓を痛ましめる話の種類も、当然あるというものです(話さざるを得ない現実が在る以上は)。きっと、私はそういう情けなさそうな、それでいてがん張っているような顔も可笑しくすることでしょうね。こみ上げて来るものを、それなりの言葉でましてや動作で表わされないのですものね。原っぱを歩きながら、自分の主観的な感情から一応はなれて、云われた言葉について考え、その真の意味を理解し、それを自分の心の裡にあるものとの関係で考えて、判断して、腹に入れる。それだけの精神的過程を常に経ます。それが原っぱを横切る間で終るときもあり、又バス、電車、そして欅の葉の落ちる道、家、二階、遂には床の中までつづくことさえある。
手紙で率直にならざるを得ないと思います。言葉では時間さえないのだから。そして、生活を大切に思う心持は、そういう点でのひっこみ思案というか拘泥をはねとばして来ているのではないでしょうか。私の気持では、私たちの生活の全感情が公開的な本質だと感じられてもいます。うけとる方にとっての辛さは、やっぱりこんな小さい紙片一枚ということから主として生じるのでしょう。
でも、いいわ。私は余りそういう点ではくよつかないで、生活の条件として大局からつかんで、とにかく掃除だの勉強だのを、元気に、熱心に、美しい単純さでやって行きます。そうすれば結果として、大小様々の
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