B只今ではすこし遠方になりましたし、良人が勤人だから細君としての用が多くて、そうちょくちょくは会いません。一週に一遍ぐらい会わないと、互に気にかかる、そういう塩梅。
 戸塚の細君の方は、御存知の通り。いろいろの会や何かの集りでは、女で一緒に出るのはこの人だけ故。尤もこの頃は(二三年来)私よりも文壇や婦人界的会合へ多く顔を出さざるを得ないようになっているらしいが。文学の話にしろ、生活の話にしろ、又私のそれらの点について批評なりして呉れる唯一の親友です。でも互に馴れ合ってはいない。馴れ合わないところに永続的な又正道的な成長力として互に作用出来るのだということを知りあっている。そう云うものの、公平に見れば、随分大目に見ているようなところもあるでしょう。お互にね。私生活について話しを、どっちかというとこれ迄余りしなかった。何かの折、どういう風にしたら一番よいだろうと相談するような場合も、私にはあったが、先方は余りない。良人との心持、生活の内容、それらについて最も率直な言葉をきいたのは、この間が初めてでした。この間は底の底まで吐露しました。あのひとには、よい意味にも、通俗的な意味にも、なかなか勝気なところがあるから、云ったってはじまらないと自分に考えられることは決して口に出さない。自分の生活、自分たちの生活、それははっきり区分をつけています。だから、この間の事にしろ、最初の決心も、次の別な決心も、いずれもあのひとだけの考えで行動されていて、私はその決心をひき出すために何の相談もうけません。
 女には、親友というものが、これまでないのが通例です。仕事の単一な目的のための利害で結ばれている人々はあるが。よいことも一緒にするが、わるいことも一緒にやる。そういうのはあるが。互の評価というものを大切に考えていて、その人の積極的な面と方向とを強めあうような努力をこめた女同志の友情というものは殆どなかった。まして作家の間などでは。様々の欠点もあり、弱点もあり、互の低さで見えずにあるところもあるでしょうが、やはり大切な交友です。
 この人の良人、又栄さんの良人達に対して、妻同志、女の友達同志は勿論ひっくるめて見てはいるが、女の側から、その人々の生活の範囲として見てもいるし、接触している。例えば、栄さんと鶴さんとが稲ちゃんぬきに別に話しをすることもなし、二人の友達の良人たちが、はっきりした用件のためでなく私のところへ来るというようなこともない。そんな工合です。日常生活では、まぜこぜ風の、長屋風の親しさでない。それぞれに一城一廓をかまえている。
 知人と云い得る範囲の中で、比較的近い人々には幾組かの若い夫婦、働いている女のひと(元から知っている人、そうでない人も入れて)健造が小さかったとき、キングコングをして遊んだ戸台の俊一さん等(池さんその他あの一かたまり等)この知人の関係は、Tさんが数日の滞在の間にびっくりしていたが、身の上相談(勉強のことその他)が多いことになってしまう。
 てっちゃん、徳さん、さあ、これはどのカテゴリーかしら。例外の部ですね。そちらへ頻りに行ってくれるが、こっちへは滅多に姿を見せぬてっちゃん。徳さんは折々よって、今日は元気そうだったとか、やっぱり下痢はやせる、などと云ってくれるが、親しい部にすぐ入らないのは、出て来てまだ十分落付いていず、考えかたが、ちょいちょいどっかに走っていて、よく納得出来ないところがあるから。勿論親切で、くさってはいないが。
 数年間の風雪は、弱いかたまりを粉々にふきちらしてしまっているから、偶然何かの会で顔を合わせれば口をきくという程度が、徳直その他。而も、その偶然たるや全く稀です。
 文壇的喫茶店での社交風のものは、御承知の如く全然昔から私の生活にない。大体私は社交というものはきらいですね。親類だって。(事がなければ集らないし)
 私が自分から出かけるところと云ったら、何と少いでしょう! 林町(これも折々)、あと栄さん、戸塚。ごくたまに重治さん。
 私のように若年のときから、いきなり仕事で世の中に出て行って、様々の箇人関係を通してのし上って来たのでない人間は、而もその分野でその分野の社交に順応しなかったものは、知っているような人はうんと多いが、つき合う範囲は狭いという現象になるのですね。よかれあしかれ、自分の肩をもって何か云ってくれる人間というようなものをもっていない。そんな先輩もいない。身ぐるみ、世の中に突き出ていて、そういう生き方の価値で、数人の友と、私の知らない、而もその辺に満ちている読者、自分に対して抱かれていると感じ、それに対して責任を感じている信頼が生じているわけです。
『東日』や『朝日』『婦人公論』、そういうところが、それぞれ婦人の諸分野での活動家をあつめてグループをこしらえている。そのどれにも入っていません。こういう会では社の親玉が出ます。時によると芸者も呼ぶ。(そういう話をきいた)男の或種の人々(作家)が、或ゴルフのグループに入ると、それが一定の社会的標準となるとよろこぶ。それに似ている。そういうつき合いの面で、私がけむったがられるとしても、其は全く自然で、結構です。
 ジャーナリストとは仕事を通しての交渉しかない。現在のような状態だと、従って用事のない記者など一人も現れず。仕事の縁故でずるずるというのはない。尤も、仕事はジャーナリズム関係でも良質の友人があってよいのだが、殆どそういう場合がなかった。
 ロシア語の人物は、きょうお話しした通り。間接に、今東京にいず、鵠沼辺に住んでいることなどきいています。これからの将来においても、つき合うことはないでしょう。
 これらのことと、この前の手紙で一寸書いた私の一日の時間割とを合わせて見て下さると、きっと生活のこまかいところがいく分はっきりしたと思われます。
 野原の人達が今度のことの成行きをよろこんでいることと云ったら! そちらへも手紙がゆきましたでしょう? 多賀ちゃん、富雄さん、克子さん、其々から来て、きょう又小母さまから来ました。春立ちかえる家の内と云う有様がうかがわれます。顕兄さんにもよくよくつたえて、と云って来て居ります。県立の学校があるのですってね、そこへ入る由です。富雄さんの気分も一転して明るくなったそうです。東京にすこしいて、今までとちがう雰囲気にふれたのは大層よかったらしく、骨折り甲斐があって何よりです。ではこれで、この手紙はおしまい。

 十月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月三十日  第六十七信
 二十八日づけのお手紙をありがとう。これは今朝例によって新聞や何かと一緒に現れました。
 きょうの手紙はくりかえし拝見しました。特別な注意と吸収とをもって。ここに書かれているいろいろな点は非常によくわかります。所謂こわい手紙風に、感情へのいきなりの感覚ではなしに。
 これは、これまで私の頂いた数多いよい手紙の中でも、一層ねうち深いものであり、伝えるものも深く、そして勁い。心からの御礼を申します。
 悪質な空気の中での成長のためには、空気のわるさや、それによって窒息してゆく者の姿を描き数えることではなく、現実にそれとの正当なとりくみを行って、健康性を創ってゆかなければならない。そういう意味で、語るところが実に意味深いお手紙です。
 私は一度も作家一般におとして自分の将来を云々したことはなかった。人間の真の幸福のため、合理的な叡智の明るさを、少しでもこの世にもたらす芸術家としての自分の生活しか規定したことがない。あらゆる[#「あらゆる」に傍点]場合と書きものに於て。さもなければ、何のために、一人の芸術家として生きている意味があるのでしょう。だが、そういう主観的な意味づけは、それがあるだけで、希望するものとして現実に存在していると云うことにはならない。例えば、ここに、発端的な時期として示されている期間の私の状態にしろ、当時はそういうことは許されていないのだから、と云われたことを、それなり本気にして、貴方から教えられて、マア何だろう、ひどい嘘つき、と思った。そういう程度だった。本気になどする自分、というところまで及んでいなかった。その点で、発端的と云われるのは当って居ると思います。
 それから、これは一寸直接の答えにならないようで、実は大変直接な私の心持の一つ。我々の生活の初まりの時期、私は健全ではあるが生活全体の意味や内容をおぼろげに直覚しているだけの単純さで、あなたと自分というものを、ごく単純化された程度で、肩を並べた感情で感じていた。素朴なよろこびと信頼とに充ちる状態で、おくめんなく一つのものに感じていた。
 次の時期に入ると、生活の諸内容が少しずつ分って来るにつれ、貴方への評価が私の内で高くなりまさると同時に、自分の様々の持ちものについて、元のような素朴さで、それなりいい気持で肩を並べたような気でいられなくなった。自分が多くの点で劣っていることを知った。そして、自分の気持では、自分をあなたにひっぱられる必要のあるものを感じる面が生じた。それは甚だ微妙に作用したと思います。主観的には一層努力が自覚されているだけに、つまり自分の努力をそれなりよりどころ(心持の)にしているようなところがあって、あなたからの心付や注意や励しには受け身な敏感さが生じているため、却って、それに対して感情的になり易く、そんなに云ったって、とか、でも、とか、そういう起伏が頻発する心理にあった。自称しぶとさ、は単なる驕慢というようなものとすこし違っていたのです。本質的には、弱さです。そういう微妙な状態の根底には、あなたへの評価、自身の卑下に於て、甘えたものがあった。だから、そういう妙な波のチラチラが起ったと思われます。
 現在では、そういう点が大分ましになって来ていると思っている。例えば、あなたがそう仰云るからというような、それに対する従順さのようなもので着手したことが、次第に、自分にとって、自分のものとしてどんな価値があるか明瞭になって来て、成長のためのカルシュームとなって作用している。心理的な妙な凹みが癒って来ている。狭く、前へゆくあなた、ついて行く自分という感情から再び広くなって(広いところへ出て)、昨今では、おくれたり、遑《あわ》てて駈け出したり、何かにひっかかったりしながらだけれども、自分でこぼす涙を手の甲でふりとばしたり、笑ったりしつつ、自分の劣っている面への意識にこびりつかず、伸びようとする意欲にしたがっている。
 この間うちから、私が、生活へ新しい道を示す力の価値についてくりかえし歎賞した意味が、これで猶よく分っていただけたでしょう。あなたへのみの褒め言葉と御礼でなく。そういう智恵をもたらすより大きい目的についても。
 こういう状態だから、今の私の激しい知識慾は、成長が必然に感じさせているものであり、今、読んで置く、というようなものでなく、もっと営養食、治療食的な味覚と吸収の快感と発育の希望にかられています。我々にとって意義の深い折だし、私は当分、こういう勉強だけを追いつめてゆくつもりです。ゴミくたのようなあれこれを漁《あさ》る興味が益※[#二の字点、1−2−22]なくなっているし。
 ここで、私は何をかくかという前に、何ものであるかという問いを、自分のものとして自身に向けて、入念に、そして専念に一つ大掃除をやりましょう。私は自分の低さで、あなたに引っぱられるための者として存在しているのではないのですものね。私のよりしゃんと、より豊富に生きようとするそのところでこそ結ばれているのですもの。バタリコ、バタリコ歩くなどはもっての外です。自分の描くものに甘えずに、実質的な成長をとげてゆくことは、絶えざる力漕《りきそう》を要します。極めて現実的な、よく研究され、整理された、真の敏感さが必要とされる。比重の変化ということについても、今は、それの新しい変化への方向にとりかかっているよろこびと確信との上で、ひねくれずに承認いたします。
 初めて手紙を書くようになってから今日まで、恐らく私の書くことの内容、色彩、随分変って来
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