ナは又こまかく計って書きます。就眠、起床もかきます。(小学生の叱られみたいね)
 小母さん、可哀想にくすんで居られます。折角いらしたのだから上野、浅草、明治神宮、日比谷、エノケンからデパートまでおともしました。きのうきょうは、もと十条にいた本間さんに来て貰って、布団を新しくして、昨夜からはそれにおよりました。Tさんが来たら、しくのもなかったから。
 電報をありがとう。やっと電報らしく三時すこしすぎつきました。家のことについて、滑稽な笑話があるのですが、この次に。美しい顔をしてよい身なりをして、女の人って、何て途方もない脳みそをつめているのかとふき出す話。では又ね

 十月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月十六日   第六十信
 手の先の冷える雨ですね。こうやって手紙を書こうとすると、はじめてテーブルの木の肌がひやりと感じられます。あなたはお寒くないかしら。もう毛のズボン下着ていらっしゃるかしら。
 きょうはね、クスリと笑えるような、滑稽な家族的な日です。
 きのう、小母さまは、朝のうちTさんが面会したら、もう午後からでもかえりたくて、あなたが昼間の汽車にしたらいいとおっしゃったというのを、夜でよろしうありますと、八時半のにおきめになりました。何しろ一昨日の朝迎えに行って、ひる頃そちらへ行って夜かえると、すっかりきめていらしたのですから、案外手間どって一昨日は夕刻かえれないのでしびれを切らしていらしたわけです。
 八時半に立つというのに、おひるを少々おそうにしたら、はアお夕飯はいりまへん、という胸一杯の有様で、まるで夕方まで身のおきどころのない顔をしてムズムズしていらっしゃる。見ていられない。仕方がないから、では夕方まで映画でも御覧になりますかということになって、雨の中を帝劇へ三人で出かけました。光井のはチラチラするが、こっちのはようあります、というわけです。五時半ごろかえったら、あなたからの電報が来て居りました。
 よんでおきかせしたら、余り迷惑そうな、むくれ顔をなすったので、私もすこし子供らしさにむっとして、「これは何も顕治さんが自分のために会いたがっているのではありませんですよ、小母さまがフラフラしていらっしゃるから、それでは将来が不安心だからと思ってなのだから、そんな迷惑そうなお顔をなさるのは妙よ。そういうところがあるから、顕さんは心配しているんです。」
 ほんとに、あの位親切に思うちょっての人はほかにありません。それはそう思っていらっしゃる。やっと御気がすこし落付いて、夕飯をたべて、では十九日迄のばすということになりました。私が会って、顕さんの云うちょること手紙で書いてもろうたらようあります。というのはTさんが反対しましたので。
 きょうは、降りこめている。茶の間で、濡れた八ツ手や青木の葉が光っている庭、すっかり雨を吸いこんでしめったとなりの家の羽目の見える硝子障子をしめきって、小母さまは大仏の「由井正雪」を、Tちゃんは子母沢の「国定忠治」をよんでいる。私もそのわきでヘッセをよんでいたが、どうもどうも二人の読書の姿にユーモアがあって、ひとりで笑えて来てしかたがない。その神妙さが、何とも云えずユーモラスで、さぞ腹では、あの鍋だの、あの皿だのとそわついていらっしゃるだろうと思うと、可笑しいやら気の毒やら歯痒いやらで、本当に面白い。慰問のため、うちではきいたこともないラジオのレビューというのを午後二時半からやろうというプランを立てたり、私は叱ったりはげましたり、御機嫌をとったりに大童《おおわらわ》です。
 今度のことにつけても、人と人とのいきさつというものの面白さ、複雑さをつくづく感じます。小母さまたちは、永年の生活の習わしの結果、目先、その場その場のいきさつ、表面での浅い親切、泣く笑うで気持が刻々動いて行くから、Tちゃんのことでも、ハアさて大変、ユリ子はんにたのもう。それ助かった。顕さんにも会えた。ホラいのう。こういうテムポです。じっくりするということはちっともしらずに暮していらっしゃる。顕さんの親切はようわかっちょるが、顔を見て、泣いて笑って、もうすんだお気です。将来の方針ということでも、どうも私が見てもたよりなぁ[#「たよりなぁ」に傍点]ありさまです。勿論、再び元の道にかえそうとは思わず、御自分のわるいこともわかっていらっしゃるが。
 だから、ああやって電報下さると、何だか仕方なしなしいるみたいで、自分で自分がわかっていらっしゃらない。私たちに、あなたに何だか頸ねっこをギューと据えられたみたいな気もしていらっしゃる。笑えるけれど、腹も立つ。頼りない。Tちゃんがよっぽどしっかり腹を据えないと、ぐらつきます。話題にしろ、小母さまから、金の儲かった話、誰がなんぼある、又はすった話が、ここにいても出る。うちで母子顔をつき合わせていたら、きっと、それで終始するのではないでしょうか。生活の習慣というものは可恐ものです。東京の町を歩くのに、小母さまは、いつも我知らず右手を八《や》ツ口《くち》から入れて懐手《ふところで》をしてお歩きになる。ころんだらおきられなくてあぶないから手をお出しなさいませ、やかましく私が云う。これは、非常に小さなその癖、生活の根本気分を物語る特長です。面白いでしょう?
 十九日までいらっしゃるようになってよいと思います。いやいやいらして、私は気が揉めるが、それでもいいと思う。いやなところを二日も三日もかえりをのばさなければならなかったことも、何かの形でやはり小母さまのお気持に強い印象としてのこされるでしょうから。ああいう思いをした、とお思いになるでしょうから。事がらの重大性がすこしはしみるでしょうから。昔、私がごく小さかったとき、変な菓子があった。多分|飴《あめ》でつくったのですが、電気モーターにかけてフワフワとまるで真綿みたいにフワフワして華やかな色のついた菓子。それはフワフワしているくせに、口へ入れると、細い線のかたさがあって、いやであった。その菓子を思いおこします。実に浅いところをフワフワしている。沈む重みをもっていない。そのくせ、その軽さ、フワフワ工合に於ては、すっかりかたまっていて、もう変りっこなしと皮膚で云っているような。
 あなたが力を入れて身の立つようにと考えてお上げになるのは、本当に深い情愛です。それだけのうちこんだ肩の入れかたを他にして呉れるものは決してない。それはわかっていらっしゃる。ですから、全部無駄になるというようなことは決してないことです。あなたのいろいろのことのなさりようから、私は私として二重三重に学ぶところがあり、感じるところがあります。自分に対して注がれている心のいかに深いかということさえも、一層肝にこたえるようです。
 私の朝の出勤。朝の挨拶のプランを考えて下すったことにしろ、一ヵ月も実行して見て、その一つの事が日常にもたらす全体の価値がまざまざとわかって来ている。私はもう自分からもやめないでしょう。
 そういう風に、具体的に、生活へ何かをもたらす力について、私は屡※[#二の字点、1−2−22]考えます。
 沢山の賢い人々は判断はする。在る状態について。だが、その中へ現実に一つの流れをいつしかつくってやる力というものは、必ずしも判断力をもっているからと云って持ってはいない。而も、愛は真に活かされるために、常にそういう力を必要としているのです。親子にしろ、夫婦にしろ、友にしろ、広い人間の諸関係で。私も切にそういう力を育てたいと思う。私のそういう力は皆無ではないが、まだ未成熟で、所謂女らしい配慮のゆきとどく範囲から大して遠く出ていないと自分で思われます。御意見はいかがですか? 私は、自分が女であることに些も不平はないから、女らしい配慮、こまやかな輝やかしく愉しい日常性と共に、そういう推進力を確りもちたいと思う。頼りになるところを増したいと思う。これは、天賦の知恵にも負うところが多いから、果して自分がどの位そういうつやをもって生れているかしらとも考える。
 これらは総てたのしい思索です。おみやげの饅頭が腐るとか、くさらないとかさわいでいる間に、私の心の中でこれらのことが動いて、そして貴方に話しかけている。そして、手紙をかきたい書きたい心持になる。雨の音の中で手がつめたいでしょう? そう云いながら書いている。秋でもなし、まだ初冬とも云えない。こういう雨の日は何というかしら、一寸向き合って坐っている膝の上にものをかけたいようですね。
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  〔欄外に〕
 ○今一騒動して来たところ。何しろ退屈らしいからレビューをおきかせしようとしたところ、第一放送をいくらきいてもヴェートーヴェンの第八をやっている。きのうからか、波調をかえた由。やっと今フルエ声をおきかせしている。
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 十月十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月十七日  第六十一信
 きょうはお天気になってようございましたこと。きのうのような雨ではすこし困りました。今年は本当に珍しい御誕生日です。小母さまたちは母子水入らずで、いかにも嬉しそうに十時すぎお出かけ。Tちゃんが夏仕度なので壺井さんへ使をやって袷をかりて着せて。入れちがいに、甲府の方の人がよって、立派な黒っぽい葡萄《ぶどう》を二房くれました。それを、父の持っていたので私がもって来ているノルウェイ辺の木の盆に入れて茶箪笥のところへ飾りました。その人が築地を見るため十一時すぎかえったので、私はサアお久さん花を買って来るよと足袋をはき更えて、市場へゆき、すこし紫がかった中輪のと、白の中輪のとを買ってかえり、白い方は机の上。色のある方は茶の間に。茶の間の正面、私の座る場所の右手の三尺の壁には、『冬を越す蕾』の扉の原画がかかっていて、その雪解の川水を描かれている薄灰色のような色や白っぽい額縁と菊の色とは大変よくうつりました。お久さん、マアきれいですこと、いい配合ですねとよろこんでいる。赤いポンポンダリアを三本買って来たのを、お久さんが土産に持って来た白樺細工の掛花瓶にさし、一本だけお久さんにやった。ポンポンダリアはまんまるくて、赤くて、暖かそうで、二輪並んで插っている。こうやって書いていて、微かに菊の匂いがします。そちらにどんな菊があるのでしょうね。黄菊か白菊かの筈だけれども。そして、やっぱりこういう日差しの中で微に匂い、あしたの待ち遠しい心の上に薫っているのでしょう。
 去年も一昨年も多勢よって御飯をたべました。その前の年は、登戸の方へ出かけた年。本年は、不思議なことで、小母様母子と私とです。この間うちからつづいて、ごたごたしつづけたので、きょうがこんなにしずかで、菊の匂いをまいて、二人でいられるのが却ってうれしい。お二人があちらはあちらで満足して、出かけていらっしゃるのもいい心持です。
 いろいろな年のいろいろな御誕生日がめぐり来りますね。こうして、くつろいで、原っぱの上に濃くおりている夜霧や、その夜霧を劈いて流れている工事場の電燈の光の色やを思い出すのも愉しい。
 昨夜は、夕飯がすんだとき、さち子さんが岡山の栗をもって来たので、小母さまがそれをむいて、私もむいて、火鉢の灰にうずめて焼いて、私は初めてやき栗というものをたべました。Tは、焼きかたを忘れて、いきなり火に近くおいたので、はじめの分はこげて妙でした。二度目はうまく行った。子供のうち、あなたもよくなすったってね。先へひろってたべてしまうので、Tさんがさがして、ないようになったと目をパチクリさせたと大笑いでした。
 野原での伝説にはいろいろあるが、顕ちゃんの風呂たきの一条は小父上さまもお話しになったし、小母さんも何遍も何遍も仰云る。昨夜も又出てそれを又私が飽きもしないで、はじめっからおしまいまで話して貰って、初めて聴いたとき同然可笑しがって笑う。大人になっても、きき飽きないお話をもっているというのは、やっぱり仕合わせの一つにちがいありません。
 むいた栗ののこりは、今下の火鉢にかかって居ります。ふくませに煮ます。
 甲府から
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