た人の話で、その人は果樹をやっているのですが、本年は高級果物が大変な価上りだったそうです。メロンの上もの、五ヶ入りが米一俵の価でした由。大衆向のものはから駄目で、桜ん坊は前年の半価の由です。
 結婚の問題がやっと落着したばかりだそうで、そんな話も出、あちらでは、この頃都会と農村との交流作用が生じている。若い女の人で、町のミッションなどを出たり、教師をしたりしていたようなひとが、村の農家(と云っても中以上であるらしい)の嫁に来て、村育ちの女よりも決心かたく努力的でわき目をふらず働いている。ところが、村の中位の農家の娘は、同じような家に嫁入っても、なんだか落付かなく目をキョロつかせて、気が散ったような結婚生活をしている。村の中で不安な生活を見て都会になら何かいいことがありはしないかと思うからでしょう。ところが都会で本当にそこの生活をして来たひとは、どんな世の中になっても土についていれば最悪の場合でも食うにはことをかかぬという点で腹がすわっている。こういうことは新しい心理であり、いろんな偉い女史たちは、若い娘が都会へ出たがる心持の面からだけ、それを而も比較的表面の動機で判断して云々しているが、逆に町の若い女のひとの心に生じているそういうもの、は見落されています。なかなか多くのものがふくまれている心持です。食うことの安定感のためには、相当の因習にも堪えるというところ。因習に堪えないから、自活すると云って町へ出た時代と比べ、若い女の賢さの質が推移している。しかし、何しろ一粒の米も出来ない土地だからと、どこでも天候の工合で白穂の多い本年の米作について話していました。果樹の前は稗《ひえ》と綿だけのつくれた焼原であった由。毎年水を買う、金を出して、河の堰を何日間か買って部落への灌漑にする由。その村は一種の模範村らしいが、これは若い時代の男が大多数中等以上の教育をうけて、果樹にしろ蚕にしろ研究的にやっているからであるが、三十五ぐらいで未婚のあんちゃんが少くないとのことです。分家させられないから。そして、良人として妻に希望する文化上の要求と労働の求める体力、性質との一致したような女のひとが少いから。
 町に新しく出来たデパートでは日給三十銭。女学校卒。銘仙の着物を着て通勤せよ。それで娘さんが押しかけている由です。
 大都市に近くて、激動を蒙る村や町の生活のうつり変りの激しさ。コロンビアが主題歌をレコードにして売っているお涙頂戴から大して出ていない映画でも故郷の廃家をテーマとしています。
 Tさんは今度こそ商売をかえるでしょう。私にその商売(以前やっていた)のカラクリを大変さっぱりと話しましたから。ああさっぱりと見栄をなくしてその悪ラツさをひどいもんだと話す気分なら、戻るまいと思います。先頃は私がどう云おうと、決して話を、損する、儲けるという深度以上にはうけつけなかったし、一通り通用する商売をやっている体裁をつくって居ましたから。小母さん、その話をきいて、ホウ、まア何たら、と唇をとがらしておどろいていらっしゃる。
 さあこれから乾した布団を入れます。そしてTちゃんの洗濯物を乾させます。そして夕刻まで本をよみます。義務教育と称する本を。今夜はロールキャベジをこしらえます。招魂社で火花[#「火花」に「ママ」の注記]の音がしています。
 では又。日がかげって来たこと。私の体温は六・八が最高でつづいています。(こんなかきかたでは叱られそうですが、きょうはこれで御勘弁下さい)明日お目にかかって。

 十月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十月十七日  第六十二信
 夕暮が段々迫って来かかる。テーブルのところがすこしずつ暗くなって来ました。薄い一冊の文庫本をさっき手紙をかき終ってから読みはじめている。教科書類は大事にしてあるので、さし当り手元にあるのを、きょうからとしてよみはじめているところです。この本はなつかしい本です。手ずれて、万年筆の線がところどころにひっぱられている。更にそれから時をおいて、赤い鉛筆の条《すじ》がひっぱられているが、ペンの線と鉛筆の線との間には微妙な相異があって、ペンがより集約的な表現に沿うて走っているのに対して、赤鉛筆はより説明的な解説にまでひろがってつけられている。赤鉛筆をもってよんだときと今日の間には何年かが経っています。
 本は何と可愛いものでしょう。
 こう書いて、次の頁が書かれるまでに三日経ちました。
 十八日には私がそちらから帰ってから、Tさんと二人でお出かけで歌舞伎座。浅草のレビューか何か見ていらした(それは前日だった)。二十日にはそちらから三越へまわって、島田のお母さんへのお土産の羽織紐や何かを買ってかえりました。雨が降り出して、それでもどうやら電車で来られて、音羽へさしかかったら、折から野間清治の葬式で、講談社の前は電車一停留場の間だけ、往来の左右まで花輪と人垣、車の連続で、小母さま、一種の見物だと目を大きくしていらっしゃった。人間の心持の活々した面白さと思うが、野間清治が狭心症で急に亡くなった広告が夕刊に出たとき、おや野間が死んだね、と云って何となし笑うような気分が附随し、(十八日の夜で繁治さんのところにいたが)そこにい合わせた人が期せずして同じ気分を受けた。そしてかえって来たら、おひさ君が同じことを云ってやっぱり笑いがついて来た。同じ心持なのです。下らないようだが、人物が人々にいつしか与えている印象の総和的な表現だから、なかなか面白いものだと思う。人間に対する評価というものは、多くの場合こういう風に、はっきりした言葉や表現をとらないものとして(そういう表現を知らない人の心にも)たたまって行くのだから大したものですね。
 そんな、花輪の一箇一箇が出来るだけ大仰《おおぎょう》に足を高々とつけて、それを機会として自家広告をしているような葬式を通りぬけて、かえってからよせ鍋の夕飯を五時すぎにすませ、七時には家を出て車で東京駅までゆきました。
 Tちゃんのカンカン帽があって、それ一つだけがどこにも入らない。Tちゃんが目白へかえって来たとき、おや洗面器をもって来たのかしらと思って見た風呂敷包みの恰好そっくりのものを又小母さまがこしらえて、後生大事に膝にのせておかえりです。靖国神社の臨時大祭には(十九日)二百万の人出であったそうで、私が外苑や銀座を御案内したら、銀座の風景は全くふだんとちがっていて、黒紋付を着て、ホオに白粉をつけ、胸に遺家族のマークをつけた若い女のひとなどが、式服の白羽二重の裾からいきなり桃色の綿ネルを出して上ずった眼付で歩いているのに沢山出会いました。機嫌のよくない表情でいる。なかなか目にしみつく情景でした。大抵の女のひとが若い。実に若い。汽車の中にもそういう人々が何人か居りました。顔を見くらべると年よりに似た人が多い。兄とか良人とかを失い、実の親とつれ立って出て来ているのですね。
 そういう汽車の中に、小母さまとTさんが向いあいに席をとり、睦じいような、そうかと思うと小ぜり合いをしてフッと両方で気分のはぐれるような調子で発車を待っている。例えばTちゃんが洗面器のようなカンカン帽のつつみを見て笑いながら、又来年かついで思い出すさ、というようなことを云うと、小母さまはそれを狭く女のことを思い出すという風にとって何か仰云る。だからお母はんはいやや、すぐそうばかりとる、とTちゃんが苛立《いらだ》たしそうにおこる。あっちへかえってからもこの母子の感情の急所はこういうところにあることがわかります。「小母さま、そういうことは生活の根本の暮しかたで変って来るのだし、当人もそうだと云ってしっかりやろうとしているのだから、こまかいことの方を余り五月蠅《うるさ》く仰云らない方がTちゃんも気持がいいわ、気持で追いまわしちゃ駄目よ。」そんなことを私が云う。「ハア、大丈夫であります。」そして三人とも笑う。まあこんな工合でした。
 こんなお天気で広島へよるのも大変でしょう。私のコートをおかししてあるから、いくらかましだが。
 出かけていらした甲斐もあり、見物もゆっくりなさり(島田のお母さんよりずっといろいろ見ていらっしゃる)ようございました。お母さんの方には折々これからの機会もありますが。中村やのおまんじゅうを百四十も買ったというのは、恐らく記録ですね。あちらではこれが大変お気に入りなのです。島田へ40[#「40」は縦中横]、野原へ30[#「30」は縦中横]、すっかり揃えたら、かえりがのびたので又買い直し。それも思い出でよろしい。
    ――○――
 さて、けさのお手紙ありがとう。私は十三日のあと、十六日、十七日と出しました。追々届くでしょう。「婦人」の筆者のこと。私は判断が全く符合していて愉快でした。
 去年の初夏、その作家論を書き、その核心の欠如と、時代の良心の成果としての「女の一生」。それを頂点として「真実一路」では真実そのものの社会的内容を見失ってしまっていること、そして再び、市井の勤直さに逆もどりする危険について書いた。「路傍の石」は一番最後の段階に属す本質をもっているのではないでしょうか。本当に今日の小説家のコースは様々です。だが共通に云われることは昭和の九年以来、あらゆる流派の線が、それ自身下向していることです。そして、しかもその下向が下向として自覚されていないことを特色としている点です。目下生産文学と云われているものにしろね。(「あらがね」の作者、「探求」の作者などによって)。重治の「汽車の罐《カマ》焚き」ごろ(二年以上前)からそういう名詞が文学上にあらわれたが、現在の文学作品においては質のすりかえと役立っている。
「苦々しさ」云々について云っていて下さること。本当です。ああいう表白の心理的原因としてあげられている点は、その通りだったと思う。ああいう時期のああいう憤りは、単に作家対作家としての感情からだけでない面も大いにあるのだが、やっぱり今日ああいう風な表現の曲線をもたないだろうということを考えると、憤りの本質は全く正当であるが、感情の曲折の心理が焦燥をもっていたことが判る。
 私はあなたがこういう点を、きょうの手紙で書いて下すって大変面白いと思う。自分で丁度別のことから同じ点にふれて考えていたところでしたから。私が腹立ちを感じたり、妙だと思ったりするのに、土台狂った目安ということはない。大抵の場合、そういうもの(原因)は客観的にあって、それをうけ入れないことは正しいのです。だが、そういう場合の私の感情の線は、必要以上にうねりを打ったり、敏感さに負けたりする。均衡を破る。何故そうかと云えば、ここに云われているとおり、本質の概括力が弱いところがあるからなのです。これはなかなか微妙、多様に影響致しますからね。
 前の手紙で書き、又きょうのそちらからの話の中でもふれられているように、現代文学は来《こ》し方行く末の程も判らぬうねりの波間に、主観的必死のしがみつきを芸神として崇《あが》めているのだから、そういう雰囲気を生活人の意力、現実性で克服して、文学以前の人間的強健さを保ち、それにふさわしい文学を生み出してゆくということは、どうしてどうして。仇おろそかの努力では達し得ない。最も小さいよい努力をも評価してまめに心を働かせなければならないということは、一般にはとかく最低限をそれなり認めるという安易さにひきずりこまれ勝です。文学というものは、永い過去に於て所謂こころの姿に我から惚れているところがあるから、特にこの点は弱いと思う。
 人間及び作家として、ある直感的な力をもっていること、それに従ってゆく力をももっていることは、自分としてありがたい一つのことだと思いますが、幸にして、そういう自然発生的なもちものの限界や、健康な内容づけの方向や方法やを知ることが出来るのは一層の幸福であり、生き甲斐であり、冥加《みょうが》と思う。
 きょうから生活が又軌道にのりますから、読んだり書いたり、愉しく勤勉にやってゆきます。人間の性格というもの、それへの関係について考えたことがある。でもそれは次の手紙で。
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