フひとたちを送りがてら管制の往来へ出て、駅前で林町へ電話をかけ、検尿のやりかたを国男さんにききました。管制でも月があるので助かります。闇夜だと、女は歩けませんね。
検尿は朝、昼、夕と各食前、及食後二時間をとり、更に全体一日総量を計り出してその中から試験管二本とって調べるのですって。今朝から早速着手して居りますが、殆ど無意識に処理されていることを、それだけキチリキチリやるのは、やはり一つの仕事になるから妙なものです。
私としては、そして又病気としても結核より糖の方がいやです。どうも出ていそうもない、そう思います、欲目でなく。糖の出る尿の独特なトロリとした重さがないから。勿論わかりませんけれども。
ところでこの手紙は今朝から二つ目。そのわけは、一つを書き終りかけたら不図気がついてテーブルの奥の半ペラ原稿紙をあけ第四十八信として、三十一日の夜更けに書いたまま出さずにいた手紙を見つけ出したからです。とんちんかんのようになったので、初めの分はおやめで、これを書き直しはじめたわけ。あなたが九月六日に書いて下すった返事に、二十八日の(文学のことを書いた分でしょう)二つ目と三日に書いたのとを読んで下すった感想があり、三日のは切手三つはった分で、大切なのだったと思う。それの番号はどうついていたでしょう。
三十一日の夜のあの大嵐でこわくて眠れなかったので起き出して書いたらしい、短く。あなたももしや目をさましてこの凄じい風雨をきいていらっしゃるかしらと書いています。カーテンのないガラスのひろい空白にこの稲妻や雨はどんな夜の眺めでしょうとも書いている。
あの晩は家がゆさゆさゆれて眠れなかったから出すのを忘れたのか、三日の手紙にもっとこまかに内容を書きのばしたので、これは出さなかったのか。そこがはっきり覚えていません。三日の手紙四十八信として居りましたか? こんど教えて下さい。この出さなかった分で、特に伝えたいことはないけれども。あなたが、先達《せんだって》中の手紙に、よく一応は判るが、とユリの手紙に答えていらした、その気持。一応わかるが、まだ何か底をつき切っていないという感じが、三日の手紙を私が書くまで貴方のお気持にあったことの必然を認めていること。八月が我々の生活、特に私にとって実に内容に富んだ意味ある月であったこと。それらを話して、瞼《まぶた》からウロコの落されたことのよろこびを話して居ります。
瞼からウロコの落ちたこまかな有様については三日にかき、それを貴方も肯《うべな》って下すった通り。
一般の生活の混乱が著しいときこそ、益※[#二の字点、1−2−22]自分を甘やかさず、事情を甘く見ず、自身の到達している箇所の動的性質をはっきり知って、押しをゆるめぬということ。本当にそうです。友情というもののもつニュアンスにしろ、やはりその時期の事情を反映するから、その微妙に変化しつつある現実を見ずにもたれかかっていればやはり共倒れですものね。しゃんとしたことを云う何のよりどころが貴様にある、そういう居直りが横行しているのだから。
私が、幸にして、鼓舞と叱責とに値するということは有難いことです。
この間うちからのことで深く感じたことですが、私の生涯にとって、あなたの暖く、しかも決していい加減のところでは引込めない手の力が、実にどれ程の価値をもっていることでしょう。私は正直に告白して、やっぱり自分にしぶとさがあると感じ、おそろしく思いました。あなたが私の手紙の或ものに対して執拗に、一応わかるがと、反面にまだまだと主張していらした間、ものの見かたと云いかたに、やはり私の固執(正当化)が作用して居り、それは、何かしぶとさに感じられます。愚昧さから来る頑固ではなくてね。骨節のつよいという言葉にすぐ置きかえては、やはり自惚《うぬぼ》れになると自覚されるようなものです。
私がそういうシンを知ったのは、大したことです。私はつよい人間は好きであるが、しぶといの等は大きらいですから。自分の内にそんな大きらいのものの破片を見るだけ眼を据えられたということは、これからのために並々ならぬ収穫です。しぶとさは人間の発育の蕊《ずい》を止めるものでありますから。ガリリ、ガリリとそのしぶとさを健全に愛の手で粉砕される、そのような噛みくだきを受け得るということ、それはこの世の中でまれにめぐり合えるよろこびであると思う。万一、そういうつよいいい歯とその歯が根気よく噛んで呉れる互の結び合いとがなかったら、私は或は金かもしれないが、あっちこっちに多くの無駄なもの、堅いものをもったままで終ったでしょう。そして、それは金であるとは云えない。遂に、金なるべくして成りとげなかったものというだけです。
どういう事情からにしろ、糸の切れたタコの状態があって、それが客観的に賞讚されないものであるということは、よくよく肝に銘ずべきと思う。この間の日曜も重治さんと文学談をやって、現代文学の大目付という言葉が出された。何か私にはピーンと響くものがあり、思わず力をこめ、居る、というだけが大目付ではない、どうしている、ということできまることだ、と自分に云いきかすように云ったことでした。
全く、この間、私がいやがって右や左へかわそうとする首根っこを、柔かく、而もしっかりつかまえられて、逃げも出来ず、くさいきたないものへ眼を向けさせられ、鼻面をすりつけられたこと、忘られない。涙をこぼしながら、ウムウムと、そのきたなさやなにか承認しなければならなかった、その味も忘られない。その後の爽やかなすがすがしさ、涙顔ではあるが、本当に納得行って心地よく笑い、首ねっこを抑えていた手に一層の愛着を覚える、そういうようなうれしさも忘られない。
――○――
いろいろこの頃の気持は、そういうようです。その気持で二科を見に行って、いい加減なのでいかにも詰りませんでした。この春国展、春陽会を見たりしたときより遙につまらなかった。自分の境地というものをつきつめている画家さえ、二科にはいない。鍋井などという人もボヤッとしている。つまらなそうにしている。うち興じている人さえなく、これに比べれば国展の梅原龍三郎の二つの絵など、多くの疑問は与えながら、今猶絵としてまざまざと印象をのこしています。今度の二科は出たら何一つのこらず、あなたにせめて一枚エハガキをお送りしたいと思いましたが、それさえなかった。
二科は琉球流行でね。いろんな人が藤田嗣治その他琉球の布《きれ》、人物、風景を描いている。木綿がなくなることから琉球の絣、染に人の懐古的目が向けられた。それもありましょう。
婦人画家が殖えて来ていること。婦人画家の裸婦には鑑賞によけいなものがないから非常に清純で卑俗でないこと。
――○――
芸術家が、現象的でなくなるには、何という大した修業がいることでしょう。二科の画でも火野氏の作品でも、樹の一本一本を描き、リアルに描き、だがその樹の生えている山や林の地形と土質にはふれられない。本質というものはさながら実在しないように扱われている。だからリアリティーとは云いかねること。これが芸術上一般の通念となるために歴史はえらく揉みとおされるわけなのでしょう。芸術家にとって日常生活のリアリズムの深化のかくべからざる所以はいかに深く遠いかと思う。それについて最近一つ勉強したことがあり。いずれ別にお目にかけます。志賀直哉の「暗夜行路」後篇についてです。「二人の婦人」はオハナシね。壺井さんの「大根の葉」(文芸)好評で、稲子さんも私も鼻が高うございます。
九月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十五日 第五十信
万歳! 万歳! いかにもうれしくて、明日の朝お話出来るときまで待たれない。糖はちっともありません。ちっともありませんよ、と調べたのを却って不思議そうに慶応の医者が云いました。糖が出ていやしまいかということは、どんなにかいやだった。菌が活動中というのよりいやだった。糖尿というのは、いやな、こわい病気ですよ、頭がメキメキと駄目になる病です。逆に、過労(脳の)からもかかる。記憶力はなくなる、根気はなくなる、文学的な本気の仕事は殆ど不可能になる(非常によく直さないと)私はこれ迄一番いやなのは気違い、それから糖尿。そう思っていた。自覚があるので辛いのは糖尿。その位おぞけをふるっていたのだから、試験管を八本抱えて、けさお目にかかっていて、決して平然ではなかったのです。だから、うれしい。念のために、又背中、胸よく見て貰いました。「今のところ異状はあると云えませんね」
つまり、自然な警告なわけです。私は、今度はこれ迄のように、夢中で何かやっていて、いきなり病気につかまったのではなく(肝臓のとき、盲腸のとき)ジリジリおどかされて、こんな気持は生れて初めてでした。おそれろ、おそれろということなのね、きっと。図にのるな、ということでしょう。
だから、早ねをして、早おきをして、秋の朝風の吹く原っぱを歩いて、あなたにお早うをして、そして、午後はすこしずつ勉強をやって(熱が出なくなってから)夜の客はことわって、すっかり体をつくり直します。朝おきの気持は、煙草のけむの匂わない部屋の空気のようなもので、身についたら、ねボウはいやで、きっとたまらなくなるのでしょう。
うれしいから、子供のように、心の中で、朝《あさア》とくおきよ、おきいでよ、という古風な歌の節をうたう程です。
けさ、智恵子さん[自注11]について、あなたが一寸お云いになった言葉、もし良さんがあの半言表現してくれる態度の人物であったら、智恵子さんは、同じ命が持てなくても、どれ程のよろこびをもって生きることが出来たでしょう。私は妻という(しての)気持から、あなたとしては極めて自然に云われた数言を、耳へしみこませ、わが懐の奥ふかく蔵《しま》う心持です。
だから、私は自身の不注意などの原因で弱くなったりしてはすまない、一層そう思います。糖を出していなかったり、虫にくわれていないことは、せめてもの申しわけです。ああ、ああ、何とほっとしたでしょう! このしるしをつづけて雨だれみたいに並べたい位。私は病気がきらいなの。自分が病気なのは一等きらいです。臥て、動けなくているなんて。ましてこの頃。いいお灸と申すべし。ちゃんちゃんといろいろしらべて本当によかった。
御心配をかけたことをすまないしするが、今はうれしくて、手をつないでピンつくピンつく跳ねまわりたいようです。これからも益※[#二の字点、1−2−22]食事にも気をつけ、現実的に合理性を発揮します。
ああ、こんなうれしさは何と珍しいでしょう。お赤飯たいていい位だと思う。では又別の手紙でいろいろ。
[#ここから2字下げ]
[自注11]智恵子さん――杉山智恵子、杉本良吉の妻。
[#ここで字下げ終わり]
九月十八日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十六日 第五十二信。
きのう、きょう、朝出かけは裏の上り屋敷から池袋まで出ることにして見ました。省線駅の段々がなくて、これは大変に楽です。駅の段々が意識に上ったのは初めてでした。昔、詩人の細君[自注12]が、弱くてよくそのことを云っていて、信濃町を辛がっていたが、きのう上り下りをして見て、本当にそれがわかりました。体力というようなものはどこを標準にしてよいか分らないようなもののようだが、実に微妙にちがうものですね。びっくりする。
びっくりすると云えば、朝起きは、何と昼間がゆっくり永いでしょう! 私は昼間が決してきらいでない。読むにも書くにも。静かな昼間、(お客が来る心配の絶対にないというときの)落付き心地には、飽きない愉しさがあり、充実がありうれしい。そういう静かな光の満ちたような昼間がこれから続いたら、きっと新しい力で勉強が励まれるでしょう。
目白の駅を下りたら十時すこし過で、あの野っぱらの真中できいた空襲警報のつづき。飛行機が編成で上空に来て、戸山ヶ原の方へ去ると、こっちでは、二千米ぐらいのところで、一機が一機を追うように「盛に
前へ
次へ
全48ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング