Cをしているなんて承知出来ない。病人の仲間入りをして、朝から晩まで病人ばっかりの中に生活するなんて、そんなことは我慢《がまん》出来ない。いやだ、いやだと声になって出るように、感情がせき上げました。
夕飯になっても中野さんが来ないので、すこし腹が立って(約束していたのだから)いるうち、あした日曜日でまる一日何だか分らない苦しい気持でいるのは下らない、安田さん[自注10]に診察して貰おうと思いついた。すぐ電話をかけたら、九時すぎにかえる由。出かけました。体の工合は、先にも診《み》て貰ったことがあるので、ホホウというわけ。だが、こんな景気のいい肺病は見たことありませんがね、まア拝見しましょう。すっかり細かに聴いて、叩《たた》いて、「何もきこえませんよ、肋膜もないし、きれいなもんですよ」念のためと云って、血圧を計りました。130。「ずっとあるかと思った」これも成績良好。次に動脈から血をとって赤沈《せきちん》をしらべ、別に何か注射して反応をしらべました。注射した薬は、もし体内に活動中の菌がいれば、二十四時間内に、ひどく膨《は》れて水|腫《ば》れになる由(壺井さんのマアちゃんが、何かの試験で腕が膨れて痛くて動かせないと云っていたのは、このことでした。)赤沈(赤血球の沈澱《ちんでん》によって見る)は三〇。タイピストや事ム員の女のひとの夜の平均だそうです。医者の本では、日本の女の赤沈の平均は七|―《カラ》十としてあるそうですが五十六十になると、必ず結核があり、二〇―三〇では只の疲労の由。注射の反応はありません。熱は、安田さんで計ったのが六度七分。けさ六度、ひる六度三分、夕刻七分。
全体くたびれが出ているだけだから、ゆっくり休んだらいいですよ、大丈夫とのことで、大変うれしかった。何でもないと判って、こんなにうれしいとは、これまで想像もつかなかった位です。注射の反応の程度は、都会生活をしている人の平均以下です。
御心配をかけてすみませんでしたが、どうぞ、この私のうれしさをたっぷりわけて下さい。そして、一年でも二年でもと云われて動顛した気持は私として忘られないお灸《きゅう》だから、今の生活事情を十分活かして、夜はおそくも十一時に就眠の家憲を立てて守る決心をしました。あなたはニヤニヤして、信用しないと仰云ったが、それは九時だとか十時だとか云えばウソをつくことにも実際上なるかもしれませんが、十一時なら、あなたに十分満足されないかもしれないが、うそはないところですから。
血圧の高くないこともうれしい。私は痼疾《こしつ》と云っても肝臓や盲腸で、手当や日頃の注意で癒って来ているものばかりであるし、本当に安田さんにゆく迄はいやな不安な気持でした。私の背中に音がすると云ったのは順天堂の横田さんという医博でしたが、どうしたのでしょうね。もしその当時感染していたのなら、その注射の反応がこんなに弱小ではない筈ですもの。休火山になっているにしろ。全くわからない。気管支が鳴っていたのかしら。さもなければ、おどかしたのかしら。
本当にうれしい。よろこんで、有難がって、せっせと早寝をして疲れをぬいてしまいます。
それから、これは万一の場合のために今からかたくお願いしておきますが、私がもしそういう病気になっても、どうぞサナトリアムに入れることだけは、かんべんして下さい。普通の病院は、いろんな種類の病人がいる。経過もまちまち。生死もまちまち。だが、サナトリアムというところは、或危急をもちこす必要でもあるのでない限り、同種の病人だけいて、而も一種の雰囲気をもっていて、迚もやり切れるものでない。精神的に快癒がおくれる。そう感じます。二三のところを見てのことですが。だから、どうぞお願いをしておきます。私はこれでも度胸を据えれば立派な病人になれる人間ですから、一律的なサナトリアム世界へは御免です。本当にそれを考えただけで、いくらだって早寝をし得ます。
叱られた子供のような滑稽な手紙ですが、私は本当にうれしい。よかったわねえ。安田さんは湯治にゆけというが、私は却ってこちらで早寝してキチンと食事して十分疲れをなおす自信があります。生活の日常にそういう癖をつけなければ何にもなりませんもの。では安心の御通知として
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[自注9]中村善男――一九三八年の夏ころ微熱を出して、寝汗をかくようになった。夏だのに、どうしてこんなにヌルリとつめたい汗をかいて目がさめるのかと思っていたら、それが寝汗だということがわかった。顕治は面会のときその状態を知って、結核専門の中村善男氏の診察をうけ、きびしい療養をして、そのために一年や二年面会できなくなっても治療しなければならないと言った。
[自注10]安田さん――安田徳太郎医学博士。
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九月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十三日 第四十九信
今かえって、お茶をのんで、二階に上って来たところ。この頃はおとなり(大家さん)で倒れた塀を直すためにずっと大工が入っていて、昼間はずっとカンナ、ノミ、丁《ちょう》ナの音が絶えません。何だかきのう大工が来て、寸法をはかって、玄関をはり出して三畳をつけ、そうすれば二階にもう一間出来るから住みよくなると云っていた由。どういうことなのかよく分らない。この頃貸家払底で家賃も上って来ているので、ここの大家さん、勘定だかく、家をすこし間数ふやして40[#「40」は縦中横]か¥45[#「45」は縦中横]とる魂丹[#「丹」に「ママ」の注記]かもしれず。こっちへ何と話をして来る気か、とそのときまで放っておくつもりです。家賃をこの位にしとうございますが、それでいらして下さればこれに越したことはない、もしお高すぎるなら御無人ですし云々、そんな口上を述べるつもりかとも思う。マアそのときのことです。庭の竹垣越しに並んでいる材木を見ると、塀だけではない柱材が立てかけてある。家主心理というものは面白いでしょう? 家賃値上げを禁止しているが、間どりを変更するのは家主の自由、それに従って高くするのも自由、つまり方法によっていくらでも上げられるのです。他の一方では、あげられないことになりましたから、と材木高を口実に、ひっくりかえりそうな家が、あの大嵐に遭《あ》っても材木一本手入れせぬ。(壺井さんの例)景気が片よってよいのと、空襲をおそれて郊外分譲地はこの何年にもなかった売れようです。一反百円の着物(それも女もの)が大百貨店ではいくらも並んでいる。これも久しく見なかったこと。
さて、十日の午後のお手紙をありがとう。私がお会いしたあとお書きになったのらしいと思いました。
心配していただいてすみません。時あればユリが早寝早起きをするようになるだろうと、そのときがいかにも来たとしか考えられません。云われているとおり、今の条件で体を悪くしては何とも申しわけがない。これまでは、強《あなが》ち耳をふさぐのではなくても、早ねしかねたこともありました。日曜の手紙でかたくお約束したとおり、最もおそくて十一時迄、早くてはもっと早くねることにします。当分の間は、夜は出来るだけ早くねて、ひるもちょいちょい横になることにします。体のこと、漠然としか書きませんでしたから、すこし溯《さかのぼ》って申します。
盲腸が折々つれたり、左脚の痛むの(これは内からの土産)がいやだから、七月二十日頃から凡《およそ》一ヵ月ばかり、三共のモクソールという、お灸で発生する精分の薬の注射をやっていました。これは、副作用のないもので、永くつづけてよいのだが、注射をしてくれるSという看護婦のひとが旅行に出るので、八月二十日ぐらいでやめました。すこしは利いたらしい、盲腸に。
抑※[#二の字点、1−2−22]モクソールを云い出したのは、疲労感があって、それがたまる感じだったからでしたが、八月の中頃以後(下旬ね)折々熱を感じてとって見て七度二三分まで出て、つかれの故と思い、注射が直すだろうと思っていた。それがひっこみ切りにならず。疲労の感じは増して来て、胸にひろびろと力のあるいい気持が失われ、座っていると、いつか胸と腹とを落している。それは、今もそうです。それに右の肩が千金[#「金」に「ママ」の注記]の重さという風なので、自分で気になり出して、つい貴方に訴えたという次第です。今の条件で病気―疲れをつくっているのではなくて、疲れにしろ、疲れが出た、というのでしょうね。今目前を見て、何でつかれる? と考えて、これでつかれると云い得るほどのものはないのですもの。
糖の検査は昨夜もやる必要があると思いました。これは慶応です。林町の者が浅野さんという人にかかってやっている。そのひとにたのみます。これは早速やります。もしかしたら明日やります。一日がかりの仕事故。それで何もなかったら、もうたしかに疲れだけです。
こちらが健康喪失などしたら遺憾どころではないということは全くです。何か腹立たしささえもって、早く寝ろとあなたがお思いになる気持が、まざまざとわかります。二食のこと。これもちゃんと三度にして食餌の選びかたも気をつけますから、どうぞ御安心下さい。
現実に私がすっかりしゃんと丈夫にならなければ、安心して下さいというのも礼儀のようですみませんが。
この手紙(あなたの)、しばらく無一文状態も加って、とあり。私は実に切ない切ない気がする。云っても仕方がないが、私は健康の当時の事情とそのこととの結びつきを考えると、いや、あなたの体を考えると、そのことに焦点が一度は必ず行って実にやり切れない気がします。小さい小さい一つのプラス、それがチビチビと全体をかえるときがある。そういう時だったのに、と思う。そして、私が会うたびに、「あっちお金ちゃんとしてあるだろうか、御弁当は?」ときくと、「ああ百合ちゃんの云った通り、ちゃんとしてあるわ、安心して大丈夫よ」と答えていた丸い罪のない顔を思い泛べ、今更攻められず、攻められぬこともやり切れぬ、そういう気持です。あなたにこの切なさ、おわかりですか? 私があの窓から笠を指にひっかけてのび上って、そういつもいつも訊いていた、殆ど真先にきいていた。そして、そう答えられて気を休めていた、その気持。そして今その気持を思い出す気持。察して下さいますか。
手紙に時刻を書かなくなったのは、きょうお話したとおり。このインペイ法[#「インペイ法」に傍点]はよんでいて笑い出してしまいました。あなたは実によくない悪弊だと思っていらしたと見え、蔽うの下(代り)に弊をかいていらっしゃるから。インペイ法とは、わるいと思ってインペイするのでしょう? 私はそんなにわるいと思う内容での夜ふかし(只喋るとか遊ぶとか)はしないという腹でいて(コレ迄のことよ)インペイはしなかったわ。只夜中の二時や三時に、先のように一種の楽しみに手紙かいたりしなかったからだと思います。私はそうこまごま頭をつかう質ではないわ。
早朝の出かけのこと、ありがとう。ありがとう。そのように考えて下すったのを有難く思い、あのすこしずるそうなあなたの笑い顔をなつかしみます。でもラッシュ・アワーとかちあってひどい混雑だろうとすこし心配です。木曜日に試みて又方法をきめましょう。早いのは、ようございますね。ずっと歩ける距離なら本当に申し分なしだのに、片道だけでもね。もうすこし涼しくなって汗ばまなくなったら近く行ける道の探検をして見ましょう。ラッシュ・アワアのこみかたは言語に絶しますから。
前後して、この次(つづけて書く)が、九月一日づけのお手紙への補足だのその他になりました。枚数が多すぎるから、これで一寸区切って。
九月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十四日 第五十信
前の手紙にお約束の体温をかくのを忘れたから一寸。
夜は八時半ごろ
十二日朝五・八 ひる六・三 夕六・七 夜七・一
十三日朝五・七 ひる六・二 夕六・八 夜七・一
十四日朝五・八 ひる六・三
昨夕お客で、その若い女
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