ロの、とりあげられている範囲の現象は誇張なく熱心にこまかく記されています。所謂現地報告が昨秋の流行となって、さまざまのいい加減なものを見せた。石川達三は腕達者なところを一つ揮《ふる》って看板絵のような小説をつくったらしいが、これは発禁となり、目下編集責任者・作者・名儀人が法律問題にかかっている。久米正雄のような人は、こういう時勢になると却って石川達三のような人がたのもしくなって来る、というような時代ですが、そういう所謂玄人の通俗作家的な歎息はともかく、一般の人はやはりこしらえものは好かぬ、小説の代用品は好かぬ。スフ小説は求めていません。但現実から、どのようにとり出して来ている局面が、その範囲でうそでなく書かれているかということにまでふれて行く読書力ということはおのずから別です。
 上田さんは、兵火の間にも文学を手ばなさず、いつ死ぬかもしれないからこそ小説をかくという気分で「鮑慶郷」を書いている。その気組みは本気さで人を真面目にします。しかし、文学と生活との関係で考えたとき、その場でそのときその人しか書けぬものを書かず、題材的に描写的にごくありふれたものを、そして生活から或意味で遊離したものを、その必死のなかで書くということは、文学というものの理解の点で重大な疑念を生じさせます。小説にまとめるだけが第一の文学的価値でない。更につき進んで、どういう心理的経過によって、ルポルタージュをかくべき『新文学』によっていた人が、そういう、生《なま》でない、一寸そらした文学とのとり組みかたをしているかと考えると、複雑なものが在る。火野という人は一昨日軍の命によって、報道班のチャンピオンとして上海から放送しました。
 二十二人の作家が来るべき漢口陥落記録のために出発する由です。内務省情報部や何かのあっせんだそうです。女の人では吉屋、林が加ります。菊池寛から片岡、武田麟太郎、瀧井孝作も釣竿を片づけて出かける由。
 私は書きかけていた文学的覚書をつづけます。一月にゲラになってそのままある百二十枚ばかりのと合わせてこの二・三年間の文学の鳥瞰図が出来ます。この位まとめると、さらに改良すべき点、勉強を深めるべき点が一層はっきり眺め渡せて有益です。私そのものを、じかに読んでいる貴方というこわく、かけがえなき読者のために、私は最善の努力をつくしますよ。では又。

 九月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 九月三日夜(土) 第四十八信
 嵐のあとがまだすっかり直らなくて、街燈がついていない。そこここの板塀が倒れたまま。樹木もかしいだままです。そこへ何日ぶりかの月が澄んだ空に出ている。葉っぱを、すっかり嵐に揉《も》みちぎられて、古いはたき[#「はたき」に傍点]のような形になった桐の梢の上に星が大きく光っている。
 疲れた、あらされた地べたの上に、一片の月は輝いて、涼しい風も吹いているけれども、きょうの夕刊では、目下南洋から本ものの颱風《たいふう》が上って来ていて、五日の夜までには、この間の疑似よりもっとこわいのがやって来ると云っています。何という荒っぽい天候でしょう。この間の夜中、グラグラゆれる二階にいて、もう十分だのに。林町では土蔵の白壁が皆おちたり、裏の何間もあるトタン塀が倒れたり散々の由。板塀も竹垣も一間十円ばかり(五倍以上)。トタン板を門の屋根にふくのにも許可が入用。荒れ後の始末も一通りのことにはゆきません。この間うちの狭い風呂場の、三尺に四尺ほどのスノコを新しくしたら金四円也。流しのトタンのこわれを張りかえたら二円也。
    ――○――
 さて、九月一日づけのお手紙をありがとう。この間、お目にかかったとき改まった心持で特にお礼を云ったように、この八月一ヵ月は、実に一重二重のねうちをもって、私のためには有益でした。段々の話のうちに、貴方が去年の正月ごろのことを細かにお訊《き》きになった意味もわかり、周囲の生活的雰囲気と自分との関係の客観的なありようというものもわかり、貴方がそのことを、私に注目させようとしていらっしゃること、そのほかそれぞれにフムフムとわかっていたのだが、この間の土曜日の経験へ私の首ねっこをつらまえて面を向けさせて下すったことは、実に実に感謝に堪えません。
 あの二時間ほどの時間は、云いつくせない内容で私の皮をひんむいた。単に処置の問題でない影響を与えられました。その苦しさと憎悪とが、きびしく自分のこれまでの態度というものを顧る方向に向けられた。謂わば、何の気もなしいつの間にか張り出していた庇《ひさし》がふっとんで、俄に万事が一目で見渡せる明るみに出たと云った工合です。
 貴方がおっしゃることがわかった[#「わかった」に傍点]と思っていた去年の正月あたりの事も、この情態で一層くっきりと、人間交渉の丸彫りの姿、小説にかけるだけの生々しさで(現実性で)再び浮んで来て、頭で、そういうことになると、わかったという領域から、今更ながらそれが見えていやだという感情にまで進みました。
 この庇のふっとんだ感じは、私の生涯にとって、真に大切なことであったと思う。こういう、身にこたえた教訓、思い知らされた思いは、これまでに一度あります、或る春。愛情というものの確的な質と行為の本質を見失うと、死んでも死に切れぬ目に会うということを知らされた経験。これは生涯の教訓となっている。私の一生にとっては一夜のうちに死し、而して辛うじて甦ったような経験でした。質は違うが、今度私が感じた庇のふっとんだ感じは、今の段階の私にとって、やはりこれからの何年間、或は全将来への警告となったものです。
 あなたは、いい気になることの危さとしてそれを云っていらっしゃる。いい気になっている、と云われたとしたら、きっと私は熱心に、いや、そうだとは思われない、どうしてそういい気になんかなっていられるか、と云うに違いない。(これまで何通かの手紙は、きっと貴方に、八分は腹に入るが、二分がどうもひっかかっている感じであったろうと思います。二分のひっかかりが、ここのことです)いい気になっていると云われて、成程ね、とそれが肯ける程、謂わば簡単明瞭な自惚れや、いい気になり得る諸条件があるなら、却ってその害悪も浅いようなものでしょう。生活の諸条件は、主観的にも客観的にも我ながらいい[#「いい」に傍点]ようなところはない。自分の気で精一杯努力しているつもりでいる。それで、一度頓悟して見れば、ふっとぶ庇があったというのは、どういうことでしょうか。私はその点をこの間うちからずっとずっと考えつづけた。そして、もしこの点に鼻をこすりつけるようにされる機会がなかったらどうだったろうと考えて、甚しい恐怖を感じた次第です。私は一応、世間の目やすで見て(文学上も)仕事の質量・日常生活、指をささせぬ生活で張りとおして来ている。努力をおしまない、という自覚がある。決してひっこまないぞという自覚がある。漱石流にこの心理を図解すると、つまり遠心的傾向[#図4、「心」に丸囲みの手書き文字。そこから斜め外向きに四つの矢印がのびている]こういう工合だったと思う。そういうものの一形態として内省も行われ得ます。ここから、私の云う庇というか、張り出しがいつの間にかついて来ると或は来たと思う。その張り出しの性質として、張り出しの尖端での感覚は緊張している。だが、張り出しの下に何を巣食わせているかということに周密な眼くばりがない。対外的な接触面での押しの自覚がつよいから。
 貴方はいつか、私の日常生活に、どこか押し切っていないところがあるのじゃないかと、文学上の仕事に連関して云って下すったことがあります。覚えていらっしゃるでしょうか。
 私は当時それを当時の心理なりに解釈して、よく会得されなかった。今は、この云われている押しというものは性質上、内向的なものであり、沈潜力の意味、自分の見きわめ方のギリギリ加減ということとしてわかり、そうすると、貴方の直感が健全なものにふれていることが、わかります。
 正直に心持を云って、私は自分がただ一人の女、作家というばかりではないということを常に心におき、全く心を傾け力一杯やって来た。それが客観的に一般にうけ入れられ、正当に評価されるようになったことはよろこばしく、又社会生活の当然であるが、その間に、いつか一方では庇も出来ていたというわけになります。或性格の美点とか長所というものが、或関係の下ではマイナスの面をも示し、作用する一例であると思う。勿論、自分のお人よしを甘く買っているような、欠点としか云いようのないものも加っているのであるが。
 初めはいやでギューと首をつかまえられたような工合で面を向けたことを、観るうちに、感じるうちに、凡そ一年の自分の恰好《かっこう》がまざまざと浮んで来て、思わずも呻る有様であった。
 この発見では、私は貴方がこれまで書いて下すったどの言葉よりも、劬《いたわ》りなく自分を見て居ります。愛の手とその力の現れかたというものについても、真面目に感じます。
 今度のことで私は四つの心をそのむき出しの姿で目撃したのであって、自身をも全くつき放して見ることが出来ました。
 私は、自分たちの生活の形というものを、今あるよりほかの形で描くというようなことはしたことがなかった。これが必然なら最上に活かそうとだけ思って来た。今もそれに変りはないが、今度の経験で、自分がいつも貴方と一緒に日常を暮せたら、もうすこしはましになったろう、いつともしれず、庇なんかつかず、つよいきれいな力で洗われていただろうと思い、無限の思いに打たれました。いろんな、目にもとまらぬような細かい事々、気持、貴方というものを心の本尊にして外に対して護っている心持、そんなことからさえ、或意味では庇が育つ。それと全く反対の日々夜々を考えると、貴方が忠言者と仰云る、そういうことさえ気づかず、おのずから流れるように或ものが自分に浸透することを考えると、(ここで考えられる理想化もあって、)なかなかに堪えがたき心地ぞする次第です。日常的な打ち合わせ、そういう程度ではない。
 生活の形態の問題でないこと、自分の芸術家としてのリアリズムの問題であること。いろいろわかる。そして、貴方が一応わかるが云々というように使っていらっしゃる微妙な表現――まだ一分、或は二分が、何か本質的に疎通しきっていないという感覚から出る表現の価値を、非常に感覚上の同感をもって理解するわけです。
 この解毒剤のせいで、私は大変すーっとして本当の落付いた勇気に満ちて居るから、どうかおよろこび下さい。この手紙だって、そういう一種の雨あがりの明るい静かな爽やかさが漂っているだろうと思います。
 これから私は毎日午後すこし早めにそちらへ行って、かえって来てゆっくり休んで、夜は孜々《しし》として勉強します。楽しい心持です。そういう心持で、きのう省線の定期(半年)を買いました。こんど見せて上げましょうね。
「傑作」云々のこと。あの作はあの作として傑作だがという程度で稲ちゃんが云ったことです。おべっかとしてだけ云う人もあった時期だからと思いついて一言。褒められるという恥辱が存在することは判って居ります。
 この手紙は、決してあなたの心に、一応わかったがね、という味はのこさぬものと信じます。われわれの生活の深いよろこびと感謝とをもって。

 九月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 九月十一日(日) 第四十八信
 きのう、目白で省線を下り、駅前の市場の中にある郵便局で早速中村善男[自注9]という名を電話帳で調べたが出ていない。恵風園という方でしらべたがやっぱり出ていない。では仕方がない、月曜慶応に行こう。そう思ってうちへかえって来ました。中野さんが来ると云っていたから、来ていまいかと急いだのだったが、来ない。茶の間でパンをたべ茶をのんで休んでいたが(二階のベッドで)段々じっとしていられない心持になった。自分がそんなに病気なのかしら――。どうも納得されない。一年でも二年でも会わず養生しなければならない。そんなことなんてあるもんか! そんな病
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