フタテヨコの混乱が影響しているのではないかと思います。一日のうちにヨコをよみ(外国語)そしてタテをよむ。そういうのは果して害がないかしら。あなたは折角眼がよくっていらっしゃるから、わるくしたら惜しいと思います。中国の若者も眼鏡が殖《ふ》えているし、お会いして伺いますが、上海にいて魯迅全集の仕事をしていた内山完造の『支那漫語』(改造)、イギリスの一九三三年以後の文学批評の新しい潮流を代表するラルフフォックスの『小説と人々』The Novel & The People およみになる気がありますかしら。前者は手許にまだないが、後のならやっと着きましたが。では又別にいろいろと。
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一九三五年十一月十六日(咲枝宛より抜書)
私の勉強の眼目は(一)[#「(一)」は縦中横]現在についての具体的知識、(二)[#「(二)」は縦中横]社会経済史、(三)[#「(三)」は縦中横]新しい科学の三つの源泉である近代古典(スミス、リカアドオ、哲学のヘーゲル、フォイエルバッハ、ラ・メトリイ、残りではサン・シモン、オーエン等)(四)[#「(四)」は縦中横]軍事科学、(五)[#「(五)」は縦中横]文学、芸術、(六)[#「(六)」は縦中横]語学ですが、この一年度は大体各部門の概括的展望を心がけ、不十分ながらある程度まで目標どおり進み得ました。大体総数一七〇位で、内(一)[#「(一)」は縦中横]及び(二)[#「(二)」は縦中横]が五〇(三)[#「(三)」は縦中横]一五(四)[#「(四)」は縦中横]七(五)[#「(五)」は縦中横]五〇その他歴史伝記が二〇雑誌五〇位です。
十一月二十二日(壺井栄あてより抜萃)
今年の十二月で読書の第二年度に入るので次年度の予定の大要を書いておきます〔中略〕
(一)[#「(一)」は縦中横]相変らず統計類を利用しながら日本産業、日本農業、法制等(法学全集等もつかいましょう)
(二)[#「(二)」は縦中横]『明治維新史』および以後の軍事、憲政、経済史『明治文化全集』朝日の明治大正史等も利用しましょう。
(三)[#「(三)」は縦中横](イ)[#「(イ)」は縦中横]価値論を中心としてスミス、リカアド、(ロ)[#「(ロ)」は縦中横]ヘーゲルをやってフォイエルバッハおよびフランス唯物論、(ハ)[#「(ハ)」は縦中横]十七世紀以後の啓蒙思想家。
(四)[#「(四)」は縦中横]ナポレオン以後の戦争史、クラウゼウィッツの再読、陸軍省の操典等、地図と対照してやります。
(五)[#「(五)」は縦中横]文学、芸術では読み落してある近代的古典をやりましょう。
〔中略〕時間の振りあいの度合いを仮に比率で表せば、(一)[#「(一)」は縦中横](二)[#「(二)」は縦中横]が四、(三)[#「(三)」は縦中横]が三、(四)[#「(四)」は縦中横]が二、(五)[#「(五)」は縦中横]が一の割合です。
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八月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書 速達)〕
八月十九日 第四十三信
きのうは、出てから池袋の駅でプラットフォームを間違えて、長いこと来ない方向の電車を待っていました。やっと気がついて別の方へ行って有楽町まで行って、用をすまして伊東屋であなたからの手紙を整理するためのスクラップを買って雨の降る人ごみの中を歩いていたら、ずーっと思いつめていたいろいろの考えの波の間から、段々にわかるよ、わかるんだよ、と笑って云っていらした貴方のいかにも確信のゆるがない顔や声や眼と、自分が赤くのぼせて貴方から視線を引きはがすことが出来ない気持、もっともっと云いたいことで喉がつまったような気分でふくれて立っていた様子とが対比的に浮んで来て、独特のユーモアを感じ、思わず胸の中を一抹の微笑が流れた。そしたら大変気分がひらけて来てすこし楽になった。
昨夜は小さい蚊帳の外からさす電燈の灯を眺めながら、五時頃まで目がさめていました。さっき坂井さんがそちらに行くとよって呉れたところです。栄さんの(うちの)兄が入営が早くなり十月頃なのでいろいろ相談と云って出かけ、家じゅうに私一人。貴方に向って坐っている私一人。
きのう、私の云いたいことが後にどっさりのこされたようになったにはいくつかの原因があると思います。
根本的にあなたの示された点はわかっているつもりです。私のルーズな点と云われることについても私は弁解しようとは思いません。自分があらゆる点で統一された張りで生活したいと希望しているとき、その及ばない点がある場合、何故それがそうあるかと究明する必要はあっても、貴方に向ってああこうと説明するには及ばないことですから。
私が俄に頬っぺたがカッとしたようなのは、(一)[#「(一)」は縦中横]ユリにもそういう性格が云々ということ、(二)[#「(二)」は縦中横]あちらの一家族という方へユリの在り場所を力点づけてあなたが仰云った点、(三)[#「(三)」は縦中横]ユリがいろいろ考えているからだが、もしそれがなければ云々。これらのことが私の心の中へ工合よくおさまらなかったわけでした。特に第二のことが。
広い意味での環境として、ああいう家庭生活があるということ。而もユリの近くにあるということ、それは事実です。私がある時期そのうちに育ったこと、今日も或面での接触があるのだから、常にそれを客観的な見とおしで洞察し、まきこまれず、積極的な歴史性として作用してゆくだけの努力が当然要求されているというのも全くのことであると思います。そういうところで私が厳しさを欠いているということ、つまりそれが自分の生活感情のうちにあるルーズさとして、あなたが云われることも、私は自分の生活の成長のため、昨今は他から殆ど一滴もない養液として、ありがたく頂きます。
元より、ユリのそういうやわ[#「やわ」に傍点]な面とあちらの生活のありようとの間には、連関がないことはない。ひろく、微妙な意味で。然しながら、その点を見きわめ、又とり出して見ることで、ユリというものをあの程度に、あっちの方へ力点づけた在りようで云われることは、当っていたでしょうか。
書きはじめて、これはユリのこの十年の成果として文学史的価値を与えようと決心している長篇小説は、複雑な内容をもっていて、一口には云えませんが、ある一家族の歴史的推移を扱う場面の最も骨格をなすテーマは、父親である男がその人間的美質や技能にかかわらず、自分の属す社会の故に、極めて卑俗な生活面を持ったことを発見して、次代の者である娘が、父への愛、悲しさ、残念さの故に一層より合理的なものへの献身に進んでゆくことが、一つの歴史の性格として把えられています、そのほかいくつかの愛と呼ばれていて愛でない人間関係の究明とともに。
丁度二月の初めのひどい雪の日、霏々《ひひ》と降る雪を小さく高い窓に眺めながら、激しい疲労ですこし気が遠くなったようになって横になりながら云いつくされぬ感慨で、そのことを考えた。
ユリ子がああいう心持でああいう生活をしているのに(貴方との面です)、俺には云えないと云って詩を私にのこして亡くなった。私たちの生活そのものが、偽善的な意味でなしに、その人の人間らしい面にふれて、その良心の護《まも》りとなったということ、そういう地位や年齢に厚かましくなり切れなかった心を、私は二様の点から忘られないわけです。
我々の生活の意味の大切さ、与えるところの無形の深さを、重い責任とともに痛感しました。(このことはこれまで一度も書きませんでしたね)技術家並に経営者としての錯綜した社会性についていつかあなたも書いていらしたその通りです。だから、この上なく愛しながら一緒に生活出来なかった。
今の人は、時代の性質に応じて、質はずっと低下して居り、形式上現代の徳義を破らなければ安心していられる。或生活面のテクニックでは先行者の技術を学びとっているわけですから。
人間が真面目に成長を努力すれば、条件としてその過去の在りようを十分にはっきりさせなければならない。その場合、主観的に語られる方と客観的に評価される方とあり、例えば私が最初の小説を書く頃から、自分の環境的なものに疑いをもっていたこと、追々一方の社会的経済的生活が膨大になるにつれて、そのギャップが甚しくなり、自分は一生懸命にその中から健全な新しい要素として生育しようとして来たという主観的な自覚は、それだけで肯定され得るものではない。客観的な達成から見られて、その主観的なものも評価されなければなりません。
客観的に不十分であり、怠慢があると云われることを、決して私はこわがってもいず、又あくせくして陳弁これつとめようともしない。けれども、客観的に在るところまでは、その線をはっきり自他ともに確保した上で、更により高い進展のために一層努力されるわけでしょう。こう書けば、そんなことはわかっているよとお笑いになるかもしれず、又、それがなければ土台出ない話だとユリの頓馬ぶりをお感じになるかもしれないと思う。けれども、お前もその一族という風に焦点をおいて云われると私は辛い。堪えがたいようなところがあるのです。
いつかよっぽど前の手紙に、ユリは毎年どこかへ行って暮したのだろうから云々とあったとき、生活の細部というものはわかり難いものだと思ったことがありました。私は二十歳位から折々家族と暮したが、何年も一緒に暮したことはなかった。この三・四年ぐらいちょいちょいすこし長く暮したことはなかった。
今度のことで、私がルーズな結果になったのは、親密さの余りというより、見きっていたところがあった。あっちの生活、自分の生活、その間に本当の血脈は通っていない、それをつよくつよく感じていたために、或意味での不親切があり、それが、自分の生活感情に或点での究明追求の放棄となって作用していたと思います。ルーズさを十分認めるとして、私にはそういうように思われている。近似性や類は友を呼ぶ風なものであったとはどうしても思われない。迂《う》かつであったということには私の敬して近づけられていない或点からもある。(よいことではないが)
月曜日にお会いして話が出たとき、私はいろいろを尤もと思い、念を押して、仰云ることはすぐやることにしているが、この次までには結果はもって来られないからと云ったとき貴方はゆとりをもって、「ああそれはそうだよ、考え甲斐のあることだからよく考えてやるといい」と云って下すった。
二日の後に、そのつづきの気持で行って、あなたの方の気持のテンポと呼吸が揃わなかった上、何か私をもひきくるめて感じていやな心持らしいようでもあり、私としては云いつくせないことがどっさりのこった感じだった次第です。
あちらの家へ行くことは月に二度ぐらいです、大体。狭い言葉のつかいかたでごくそばの日常的接触としての環境というような風に云われて、ぴったりしないということもおわかりでしょう?
私はあなたに、私と家族との間にある心持の実際のありようと、私が客観的にルーズとなった内部の事情とをわかって頂きたいと思います。隆ちゃんやお母さんの御生活に、暖い近さを感じている反面には、そういう質的な不一致が一方に感じられているからでもあるのです。
私が只いろいろ考えているからというだけで或一貫性を生じ得るのではないと思う。頭だけの問題では決してない。最も複雑微妙な生活的蓄積の上での決定的な選択と評価とが心と体とを貫き流れているからこそ、好きという一言に、全生活の歴史の方向がかかっているのだと信じます。性格としては同じだが考えがあるからなどというような根の浅いものではない。考えなら或は変るかもしれないではないでしょうか。それは体質的近似があるように心理的な多くの共通性をも与えているだろうから、一般的に似たところがないとは云えません。それを警戒しなければならないということもわかる。けれども、似ているからぐずぐずになっているのでは絶対にありません。
今度その解決にとりかかっている問題は、私という人間の鍛煉のためにも多く役立つことですから
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