うこともそう大してないと思う。逆説的に云えば複雑な形で、大層大きい期待と張り合とがあるようなものです。だから、大変だから一層本気で暮さなければということの実質がここにあるのだと思うわけです。
ずっと昭和文学史補遺のようなものを、年々まとめて書いておくことも大事であると考えて居ります。昨年の末から書いた現代文学の展望のつづきとそれ以後の作品の現実について。これは有益なことであるから必ずやるつもりです。
文学としての諸潮流のありよう、或はあらざる有様もその変遷もなかなか面白い。
昨夜一寸『婦人公論』を見たら、ラジウムのキューリー夫人の伝をその娘の一人が書いているのをよみました。キューリー夫人が、女としてどんな幸福な妻であったかということ、その豊富な夫妻の共感共働が貧窮の灰色をさえ光らせているのを見て、感じるところが実に深かった。世の中には見事な生涯を送る夫婦というものが、いろいろの形でどっさりあるでしょうが、キューリー夫妻は、その傑作であったと思う。今のある種の若い人々にこれをよませると、ともかくそれだけ熱中出来る目的があったのだから幸福ですわ、というでしょうね。目的のないこと、才能
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