vに傍点]において捕え描写することが、文学でどのような意味をもっているかということ、その深大さ(トルストイのように「まざまざとした体の動き[#「動き」に傍点]、声と目の動き[#「動き」に傍点]」の範囲で、動きをとらえるのでさえあれだけ大したことなのだから)をつくづく感じていたからでした。「歴史的な、即ち絶えず変化するところのもの」ここに大した秘密があるわけですものね、文学上の。武田武志という人がリアリズムのことを云っていて、岸田、志賀のリアリズムに比すべきもの(リアリズム)をもった作家は一人もいない(新しき世代に)と云っているのを見て、リアリズムというものも、まだまだ多難なものだと思いました。こういうリアリティーの点から、再三私はあなたが、無根拠な楽観はしないと云っていらっしゃることを考えて、その生々とした意味を感じます。見るべきものを見るということの全くの当然さというかあたり前さをも感じます。段々自分の心も見えて来る。これは何と面白いでしょう。私はこんなところがあったと思う。根本的なところで、自分はシャンとやったしというところ。ね。滑稽のような、こわいようなものですね。勉学を全く自分
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