りでしょう。富雄さんも、七円から二十円へ着目して、この頃は外交員仲間をかりあつめて株屋をはじめたいなどと云っているそうです。外交員では、株の社会でもまともには通用しない存在だから、しっかりした店の店員として働くなら話は分るが、株屋をはじめると云うのは。どうも、実にどうも。お母さんへの啓蒙をこの頃やっているらしく、同じ興味をもたせようとして、送金の出来ぬ月はやすい株を上げておくからよく気をつけていて価の出たとき売るようにと云ったりしている風です。今日において価の出ていない株に価の出る可能はなかなかないことを私は常識から昨日もおばさんにお話ししました。母子ぐるみで株に気をとられたら、その結果はどんなになるかということを、私は遠慮なく申したので小母さんも涙を出して傾聴していらした。商売として考えず、儲け儲けとしてあせるからどうにもなりません。富雄さんはどんなに儲けようとどんなに損をしようとも冨美ちゃんと小母さんとの生活は地道に立ってゆくように計画して、そのような野原がひらけるなら又手頃な小店でもやってきっちりなさるよう申しました。
私はこちらに十四五日頃までいるつもりです。目白はひさとその友達で留守番をして居ります。きのうは組合のひとが出発のあとで一杯やる、そのお給仕をしました。明日は恵比寿講とかがある由。どういうのかよくまだ分らず。何か組合仲間だけのもので三ヵ月に一度ずつあるらしい。お店には今様々の肥料が一杯つまっています。では又、お体はずっと順調でしょう? 呉々もお大切に。
五月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
五月十四日 島田からの第二信 第二十三位?
きょうは南がきつく吹いている日です。アンテナが鳴っている。隆治さんは明け方の三時三十何分かの汽車で広島にいる達治さんの面会に出かけている。野原の先に普賢様というのがあって、そのお祭が今日だそうです。貴方も覚えていらっしゃるかしら。いろいろの見世物などが来たのはこのお祭り? この間から仲仕に来ているリューさんという十八かの男は(これは朝鮮の人ではないけれども、そう呼ぶだけで字が分らない)大いにはり切りボーイとなってお祭りに出かけています。この男のおなか[#「おなか」に傍点]には切腹のあとがあります。親子げんかをして切腹したのに誰もとりあわなんだと笑っている。
父上は今うとうと中。母上と多賀ちゃんとはお店で、高山の息子が出征するために送る旗を田中さんという人に書いて貰ったのをメリンスにはりつける仕事中。私は二階ですこし妙な顔つきでこれを書いている。というのは、十二日からひどく下痢をはじめて十三日一杯えらい目を見て今日はどうやらフラフラおきている、という有様です。原因はどうも、何とかいう家から端午餅をよこした。そのとり粉がわるかったらしく前の河村さんでも三人やっている。よそでもやっている。私が臥《ね》ていると、お母さんは気をもみなさり、食べないと気をもみなさり、なかなか食べずにねかしておいて下さらないから苦笑ものです。でも、これだけお喋りが出来るのだからどうぞ呉々もお心配ないように。私は十六日の寝台を買いましたから、体の工合さえ悪くならなければ十八九日にはお目にかかりにゆきます。
この前の手紙で、十日に恵比寿講がある話をしました。あの晩は組合の人だけで、達ちゃんの世話になったお礼だと云って、十何種かの御馳走を拵え、お酒を出し、大いにもてなされました。私もお母さんのお尻にくっついていろいろやった。組合というのは十軒ずつなのですね。何とかいう理髪屋の爺さん、覚えていらっしゃるでしょうか? 妙にからんだ、もののわかったようなことを云うくだまき男。それが最後までのこっていた。
十二日には、朝六時五十五分の汽車で広島にゆきました。お母さんのお伴をして。広島の第二高等小学校に駐屯していて、十五日頃には渡支するというので出かけたのです。達ちゃんは石津隊の本部付の側車です。これは、ソクシャというのだそうです。世間でサイドカーというもの。伝令づきの由。それに中隊長三人のうち二人は、同年次であった由、又伍長、軍曹などいずれも達ちゃんの教育を受けた初年兵であったそうで、いろいろ便宜の由。御二人は大安心ですし、何より結構です。十二日はその小学校の校庭で昼頃まで兵隊がいろいろやるのを見物し、連隊長の訓示というものも拝聴しました。それから分宿している箇人の家へ行って一休み。午後は六時頃までいろいろ不足の品を買いものして夕飯は軍曹殿と達ちゃんの食べるのを見物して、十一時三十五分で広島を立ち、こちらに二時ごろかえりつきました。お母さんは御自分の目で、軍装のととのった姿を御覧になったし、元気な様子を御覧になり仕度も兵としては相当手落ちなくととのえたので大分御安心でようございます
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