袴に靴という姿で、大いに気取って歩いたものでした。その時分は、森鴎外も、私が肴町へ出る時刻、馬にのって、立派な顔立ちでよく通りました。
土曜日は茂輔氏の『あらがね』(小山出版)の会でいろんな人の顔といろんなテーブルスピーチをききました。高見順君「テーブルスピーチというものをやります」という冒頭。
日曜日には、わが家として特筆大書すべきことがありました。子供たちが皆一年だけ進級したので(達枝は来年だが)そのお祝いをしてやることにしてあった。子供は大楽しみをするからあまり前もって云って、何かさしつかえると実に相すまないから前晩までふせておいて、日曜日は栄さん、本間さんの細君、ひさ、私もちょいちょい手伝って、お釜二つに五目ずしをつくりました。細長い台を二つタテに並べたところへ、高女四、高等二年六年三年三年と並んで、賑やかに食べること、食べること。私は前掛をかけて首をまげて見物していて、「一寸ゆっくり、沢山たべなけりゃだめだよ」とか「お腹ギューギューならバンドおゆるめ」とか云っている。「もうさっきゆるめちゃいました」健造は総代だったって。新しい服がすこし大きいので首が細く見えるのもいかにも進級風景です。健造新らしい服のせいか膝にハンカチをひろげて食べている。別に何とも私は云わなかったが、この子の性質が出ている。ハンケチなんかかけないでいいし、思いつきもしない方がいい。年よりがいるとちがうのかしらなどと思って眺めました。女の子二人はもう大きくもあるのだが、男の児等とちがっている。稲ちゃんも私も女びいきのくせに男の児の方がすきで、面白い。男の児みたいに面白い女の児がざらにいるようにならなければ嘘だと沁々思います。男の児はどれも、どんぐりでも、何かくっきりした輪廓《りんかく》をもっている。粒々がある。だから面白い。女の児は女の児という一般性の中に流れこんでいて。
夜、又あとから寿江子、さち子来てたべて、総計十五六人が出入りして、私はすっかりくたびれました。いい心持に堪能して。子供らをたべさせたりするのは実にいい気保養です。これからたまにやることにきめた。
きのうは、雨であったが一仕事してから慶応病院へ古田中という母の従妹に当る夫人の見舞いに出かけ、途中三越へまわって貴方御注文の羽織紐を買おうとしたら28[#「28」は縦中横]日でやすみ。8の日はああいうところは休日です。近所の店で買いました 春らしい色をしている、胸の前に一寸下げて下さい。私もふだんのを一つ買った。赤い縞のついているの。
きょうはこれからずーっとやって、午後は栄さんのところで例のノエ式をかけて貰おうかなど考えて居ります。背中がつかれているから。まるでトンネル掘りの土工が、そらもう一シャベルとはり合をつけてやるように、せっせせっせとかかっているので、頭より背中がくたびれる。しかし生活が与える新しい経験というようなものは実に面白い。
冨美ちゃんの試験は 26,7 日で終ったわけですがどうだったろうかしら。体が腺病質なので。東京の小学校では、体によって肝油をやっています(金を払ってですが)。あっちではそういうことはしない。三十日すぎたらきいてあげて見ましょう。
新協で朝鮮の伝説春香伝をやっている。「若い人」(映画)の女主人公をやって好評であった市川春代が春香にとび入り、赤木蘭子を対手の男にしてトムさんレヴューばりです。まだ見ない。近いうちに行きたいと思って居ります。原泉、病気をおして春香のおふくろさんをやって居ます。どうかお元気で。きょうもこれで余り暖くもないようですね。又近いうちにいろいろと書きます。
四月五日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月四日 第十六信
落付かない天候ですが、ずっとお体の調子はつづいて平らかですか。けさおきて、下へ行ったら、例の茶箪笥《ちゃだんす》の上に、桜の花の枝がさしてあったので、おやまあ、どうしたの、と云ったら、往来でどっかのお爺さんが太い枝をおろしていたのの、あまりを貰って来たのだそうでした。仄《ほの》かに匂う。何年も前、国府津で、四月六日の朝、長テーブルの青銅の瓶に活けられていた奇麗な山桜の房々とした枝を、忽然と思い出しました。枝の新鮮な艶を帯びた銀茶色がやはり似ている。花はずっと貧弱だけれども。それから上へあがって、物干しに上って四方《よも》の景色を眺めたら、あちらに一本、こちらに三四本と八分通りの桜が見えました。そこには桜の樹はなさそうですね。
ところで、冨美ちゃんは、室積《むろづみ》の女学校へ入ったそうです。お祝に字引きをやりましょう。室積に通うということは、つまり元の野原の家に住みつづけるということでしょう。それなら体のためにも、気分の落付きにもよろしいでしょう。広島というせわしない町の、ごみごみ
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