ムをもって生きることが出来たでしょう。私は妻という(しての)気持から、あなたとしては極めて自然に云われた数言を、耳へしみこませ、わが懐の奥ふかく蔵《しま》う心持です。
だから、私は自身の不注意などの原因で弱くなったりしてはすまない、一層そう思います。糖を出していなかったり、虫にくわれていないことは、せめてもの申しわけです。ああ、ああ、何とほっとしたでしょう! このしるしをつづけて雨だれみたいに並べたい位。私は病気がきらいなの。自分が病気なのは一等きらいです。臥て、動けなくているなんて。ましてこの頃。いいお灸と申すべし。ちゃんちゃんといろいろしらべて本当によかった。
御心配をかけたことをすまないしするが、今はうれしくて、手をつないでピンつくピンつく跳ねまわりたいようです。これからも益※[#二の字点、1−2−22]食事にも気をつけ、現実的に合理性を発揮します。
ああ、こんなうれしさは何と珍しいでしょう。お赤飯たいていい位だと思う。では又別の手紙でいろいろ。
[#ここから2字下げ]
[自注11]智恵子さん――杉山智恵子、杉本良吉の妻。
[#ここで字下げ終わり]
九月十八日朝 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
九月十六日 第五十二信。
きのう、きょう、朝出かけは裏の上り屋敷から池袋まで出ることにして見ました。省線駅の段々がなくて、これは大変に楽です。駅の段々が意識に上ったのは初めてでした。昔、詩人の細君[自注12]が、弱くてよくそのことを云っていて、信濃町を辛がっていたが、きのう上り下りをして見て、本当にそれがわかりました。体力というようなものはどこを標準にしてよいか分らないようなもののようだが、実に微妙にちがうものですね。びっくりする。
びっくりすると云えば、朝起きは、何と昼間がゆっくり永いでしょう! 私は昼間が決してきらいでない。読むにも書くにも。静かな昼間、(お客が来る心配の絶対にないというときの)落付き心地には、飽きない愉しさがあり、充実がありうれしい。そういう静かな光の満ちたような昼間がこれから続いたら、きっと新しい力で勉強が励まれるでしょう。
目白の駅を下りたら十時すこし過で、あの野っぱらの真中できいた空襲警報のつづき。飛行機が編成で上空に来て、戸山ヶ原の方へ去ると、こっちでは、二千米ぐらいのところで、一機が一機を追うように「盛にやっている」(これは角の果物やの若い衆の表現。)私も立ち止ってそれを仰ぎ見て、その若い男に訊きました。「どっちが敵機なんでしょうね」「サア迚も見えませんね、白い布の尾をふき流して居りますそうですが」暫く立って見ていたら「あすこへバク弾を落したよ」と、呑気《のんき》そうに太った防護団のおっちゃんが云っている。別にかけ出す人もいない。やがてヘルメット帽をかぶった団員の若い一人が白い紐のついた毬《まり》を手にもって、どこが変ってるんだろうというようにして交番へ渡しました。その毬がバク弾なの。やはり駅の周囲ですね。パンとトマトを買って横丁へ曲って来たら、さっき一機[#「機」に「ママ」の注記]うちをしていたのか別なのか相当にスピードの出ている速さで前後して追うような勢で西方へ翔《と》んでゆく。一種の緊張がその機勢にあって、私は地べたの上から樹の梢越しに見上げつつ、兵士たちが演習のとき、突撃のとき夜などつい気が入りすぎて負傷者を出すということを思い出し、地上に見物人を意識しているこれら上空の人の心理を一寸想像しました。
今夜で防空演習もすみます。
A・Kさんの小説が久しぶりに『文芸』に出た。小さい作品であり、云々するほどでないと云えるかもしれないけれども、作者も昔からの友人たちも、特別な心でこの作は見ました。△氏という△大の△△さん門下の哲学の人が、あのひとの作品をよんで、何とかしてこのひとを助けて立派な作家にしてやりたいと思って結婚を申し込んだ。私などが外国にいたとき。
A・Kさんは、自分から進んで結婚の対手をさがし出す人でもないし、間違ってでも掴《つか》んでゆく、そういうたちでもないので、この申出を考えて結婚した。
七八年結婚生活をしたわけですが、その△さんというひとは、(ここまで書いていると、玄関が勢いよくガラリとあいて、その音に合わしてはあとがしずか。あらあら健造さんがお使いに来ました。あした智恵子さんのお見舞に誘った返事をもって。丁度又空襲ケイホーの間なので、健ちゃんと物ほしにのってすこし飛行機を見て、本棚のところへ来たらそこの岩波文庫のうらの目次をくっている。「なんなの?」「南総里見八犬伝買ったんだよ」「ふーん」と私はびっくりして「わかる?」「わからないとこ母ちゃんにきく……でも余りわかんないから新八犬伝を買うんだ」そして下へ来て豆たべながら「あれ書いたひ
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