ナあるということは、よくよく肝に銘ずべきと思う。この間の日曜も重治さんと文学談をやって、現代文学の大目付という言葉が出された。何か私にはピーンと響くものがあり、思わず力をこめ、居る、というだけが大目付ではない、どうしている、ということできまることだ、と自分に云いきかすように云ったことでした。
 全く、この間、私がいやがって右や左へかわそうとする首根っこを、柔かく、而もしっかりつかまえられて、逃げも出来ず、くさいきたないものへ眼を向けさせられ、鼻面をすりつけられたこと、忘られない。涙をこぼしながら、ウムウムと、そのきたなさやなにか承認しなければならなかった、その味も忘られない。その後の爽やかなすがすがしさ、涙顔ではあるが、本当に納得行って心地よく笑い、首ねっこを抑えていた手に一層の愛着を覚える、そういうようなうれしさも忘られない。
    ――○――
 いろいろこの頃の気持は、そういうようです。その気持で二科を見に行って、いい加減なのでいかにも詰りませんでした。この春国展、春陽会を見たりしたときより遙につまらなかった。自分の境地というものをつきつめている画家さえ、二科にはいない。鍋井などという人もボヤッとしている。つまらなそうにしている。うち興じている人さえなく、これに比べれば国展の梅原龍三郎の二つの絵など、多くの疑問は与えながら、今猶絵としてまざまざと印象をのこしています。今度の二科は出たら何一つのこらず、あなたにせめて一枚エハガキをお送りしたいと思いましたが、それさえなかった。
 二科は琉球流行でね。いろんな人が藤田嗣治その他琉球の布《きれ》、人物、風景を描いている。木綿がなくなることから琉球の絣、染に人の懐古的目が向けられた。それもありましょう。
 婦人画家が殖えて来ていること。婦人画家の裸婦には鑑賞によけいなものがないから非常に清純で卑俗でないこと。
    ――○――
 芸術家が、現象的でなくなるには、何という大した修業がいることでしょう。二科の画でも火野氏の作品でも、樹の一本一本を描き、リアルに描き、だがその樹の生えている山や林の地形と土質にはふれられない。本質というものはさながら実在しないように扱われている。だからリアリティーとは云いかねること。これが芸術上一般の通念となるために歴史はえらく揉みとおされるわけなのでしょう。芸術家にとって日常生活のリアリズムの深化のかくべからざる所以はいかに深く遠いかと思う。それについて最近一つ勉強したことがあり。いずれ別にお目にかけます。志賀直哉の「暗夜行路」後篇についてです。「二人の婦人」はオハナシね。壺井さんの「大根の葉」(文芸)好評で、稲子さんも私も鼻が高うございます。

 九月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 九月十五日  第五十信
 万歳! 万歳! いかにもうれしくて、明日の朝お話出来るときまで待たれない。糖はちっともありません。ちっともありませんよ、と調べたのを却って不思議そうに慶応の医者が云いました。糖が出ていやしまいかということは、どんなにかいやだった。菌が活動中というのよりいやだった。糖尿というのは、いやな、こわい病気ですよ、頭がメキメキと駄目になる病です。逆に、過労(脳の)からもかかる。記憶力はなくなる、根気はなくなる、文学的な本気の仕事は殆ど不可能になる(非常によく直さないと)私はこれ迄一番いやなのは気違い、それから糖尿。そう思っていた。自覚があるので辛いのは糖尿。その位おぞけをふるっていたのだから、試験管を八本抱えて、けさお目にかかっていて、決して平然ではなかったのです。だから、うれしい。念のために、又背中、胸よく見て貰いました。「今のところ異状はあると云えませんね」
 つまり、自然な警告なわけです。私は、今度はこれ迄のように、夢中で何かやっていて、いきなり病気につかまったのではなく(肝臓のとき、盲腸のとき)ジリジリおどかされて、こんな気持は生れて初めてでした。おそれろ、おそれろということなのね、きっと。図にのるな、ということでしょう。
 だから、早ねをして、早おきをして、秋の朝風の吹く原っぱを歩いて、あなたにお早うをして、そして、午後はすこしずつ勉強をやって(熱が出なくなってから)夜の客はことわって、すっかり体をつくり直します。朝おきの気持は、煙草のけむの匂わない部屋の空気のようなもので、身についたら、ねボウはいやで、きっとたまらなくなるのでしょう。
 うれしいから、子供のように、心の中で、朝《あさア》とくおきよ、おきいでよ、という古風な歌の節をうたう程です。
 けさ、智恵子さん[自注11]について、あなたが一寸お云いになった言葉、もし良さんがあの半言表現してくれる態度の人物であったら、智恵子さんは、同じ命が持てなくても、どれ程のよろこ
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