ことですから気をつければ大丈夫です。御飯ばかりたべるから用心にオリザニンものんで居りますし。お風呂をたく匂いがする。さあ行ってやって来よう、では又ね
六月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
六月二十七日 第三十三信
昨夜野原の小母さんがおそく広島から戻って島田の方へ泊られたので、多賀ちゃんは夜番にあっちへかえりました。昨夕からきょうおひるもお母さんと二人で台所をやっています。(夕方には多賀ちゃんがかえる)二人で喋りながら、あの台所で洗いものをしたりお鍋を洗ったり雑巾がけをしたりしている。今午後一時。店へ誰か来ている。私は勉強しに二階へ。この机(低い四角い赤っぽい木の)はあなたが野原の小父さんにお貰いになったのですってね。随分私の役にも立って居ります。
お母さんは私がずっといたので大変よかったとおよろこびです。妻の心持としてのお母さんの気持の通じるのは今のところ私一人ですものね。そして、それこそお母さんとして一番切実なものであるわけですから。お二人は結局深く結びついた御夫婦であったと思います。お父さんは実にお母さんを愛していらした。カンシャクはどんなに起してもね。お母さんのお気持ではカンシャクで苦しい思いをしたのも、けんかしたのも、とび出したのも、やはりお父さんいらしてのことというつきぬ思い出があるのです。私には実に実によくわかる。お母さんも本当によい可愛い女房であると思います。若い女のひとたちが良人に死なれて殉死する気持がよくわかると云っていらっしゃる。こういう心持のキメのこまやかさというものは、決して通り一遍のおかみさんの感情ではありません。そして私はそういういろいろの瑞々しい活々とした感情の故に、おかあさんを一層一層可愛く身に近く、同じように熱い血をもっている女性として愛します。そういう心持を底にもっていながら、日常はこれまでと些も変らないように店をやり昔の世話をやき、体を畳に倒して私が可笑しいことを云うと笑っていらっしゃる。何といいでしょう! お母さんもまことに横溢的なところがあります。私はいろいろの点で仕合わせです。私の母も一通りの女ではなかったが、お母さんは全くちがったタイプで、現在の我々にふさわしい多くの美点をもって、やはり我々をよろこばせて下さる。
六月二十八日
きょうはお母さんはお店のテーブルのところで、月末のか
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