ヘあっちで作家ではなく嫁のみであるという在りようについても。やはり文化のことを考えました。実にいろいろ面白い。活きた圧力です。では又。どうか風邪をお大切に。あっちから廻送されるお手紙が大変に待ちどおしく思われます。

 四月二十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(クロード・モネの絵はがき)〕

 二日ばかり前の細かい雨の降った日、新緑の濡れている色が美しくてうちに居られなくなりずっと歩いて土管の沢山ころがっているところの方を散歩しました。カラタチの花が高いところに白く咲いていた。小さい家が樹のかげにあった。入れた袷《あわせ》は鶴さんとお揃いです。ネマキは母上から。襦袢は島田で私がそうやっているのもよく似合うと云われつつ縫ったもの。

 四月二十九日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

〔欄外に〕今日は休日で隣家に子供と遊ぶ父親の声がする。
 島田のをぬかして第何信になるかしら。教えて下さいまし。
『文芸』に山本有三論のようなものを書くために、この間うちから殆ど全作品をよんでいて、昨夜それが終り、今日から書こうかと思っていたがどうもつまらない。有三の正義感というものの根源を明らかにすることが私の眼目なのだが、その根源がまことに云わば日常的で。――
 四月十七日にあなたが島田宛に下すったお手紙うれしく、あなたがよろこんで下さることがうれしく、くりかえしくりかえし拝見しました。私に与えられたヨシヨシについても。ありがとう。私は島田からは多分第五信ぐらいしか書いていないと思います。殆どもう皆御覧になったわけね。その後お母さんのところからは頻りにお手紙下さいます。大阪からかえって来ている克子さんがお嫁の話があるのでこちらにいて島田の方をお手伝いしている由。富雄さんは広島へ戻って居り、土地の処分は、比較的有利に行きそうな由。
 お父さんも、野原のことでは突然であったし、大分ショックをおうけになりましたが、それが鎮り、この頃は熱もおありにならないそうで、これは何よりです。熱がつづくと疲労するから。その点で私はひそかに心を痛めていたのだったから。送ってあげたゴムの袋は大していやがらずにつけていらっしゃいますって。あなたもよくお使いになるようおすすめ下さい。お母さんが大きな洗濯物のために川にゆき、まして梅雨にでもなれば本当にお困りなのです。でもよかったわ、お気にかなって。
 貴方は、蔵の前の漬物小舎をこわした話、前の手紙で書いたこと覚えていらっしゃるでしょう。あれが新しく建ったそうです。台所口から庭へ出たところにイチハツの花があるのを覚えていらっしゃるかしら。その花が白く咲いたそうです。その花や、大きな茂みになっている赤いバラの花が、今年は広々としたガラス障子越しに見えるわけですが、その障子にガラスをはめた人は、ほかならぬあの縁側のところから、往年泥棒と間違えられて貴方におっかけられた人です。何という罪のない可笑しさでしょう。何と思ってあすこのガラス入れたかしらと思って。その夕方(何年か前の)中気になったお婆さんがあったでしょう? そのお嫁さんが今病気全快して店にいて、帰りに柳井まで一緒に話しながら来ました。
 顕さん顕さんと云って皆が私に話します。(タオルもってお辞儀して後は)そして、私は東京のお后《ゴー》さんよ。いつか達ちゃんがお父さんに私をさして「あれだれで」ときいたら、お父さん何とも云えない笑顔で、「ユリちゃん」と仰云った。でも私をお呼びになるときは「東京の、ちょっと来て」です。「お父さん、面倒だからお后のかわりにおユーとおっしゃいましよ」そう云っても今度はまだよ。いつかおユーとおっしゃるかしら。
 寿江子が今度はすっかり留守番をしてくれました。昨夜鵠沼へかえりました。一ヵ月以上ここにいたわけ。それから二日ばかり前に伊那からお久さん[自注13]という女中さんが来ました。いろんな友達が心配してくれて。三十日一杯でこれまでいたのがかえります。おひささんに縁があること。眼鏡をかけ、うたをうたうのがすきな十九の娘です。女学校を出ている。稲子さんの心配です。
 私の盲腸は切らないことに決定したので、野上さんが盲腸の余後にのんだ※[#「くさかんむり/意」、第3水準1−91−30]苡仁《ヨクイニン》湯という漢方の薬をのみはじめました。ききそうです。のみ難《にく》いもの。さし当りの仕事としてその有三をかき、『改造』へ四五十枚の小説をかきます。今月は、それでも白揚社の本が出たので何とかやりくれましたから御心配ないように。本当に今度は六芸社の本にしろ思いがけない役に立ちました。待望の書として六芸社のはレビューされています。
『冬を越す蕾』と今度のとの間には大きい成長が認められている。そのことも当然ではあるが、私としてはやっぱり少しは安心してもいただきたいと思って。
 林町の連中には、私がかえってからまだ会いません。あっちが国府津へ行って居たので。太郎にお母さんが下さった大きなコマをもって近々出かけます。栄さんは「大根《ダイコ》っ菜《パア》」という子供を主題した独得の小説をかきました。これは面白い。稲ちゃんは地方新聞に長篇をかいています。これもよい修業です。M子は毎日よく働いて月給四十円になりました。うちで御飯をたべている。
 この頃、二階の北の小窓から見ると欅《けやき》の若葉が美しくて、美しくて。新緑の美しさは花以上です。お体は大丈夫なのでしょう? 近いうち、活々とした初夏の模様の手拭とすがすがしいシャボンをさしあげます。それらのものはここで新緑をうつしている皮膚の上にも。
 仕事をすましたらお目にかかりに行きます。

[#ここから2字下げ]
[自注13]お久さん――埋橋久子。信州の人、目白の家で三年間位百合子とともに暮した。
[#ここで字下げ終わり]

 五月六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(外国風景の絵はがき)〕

 五月六日。何というひどい風が吹いたことでしょう。きのう「山本有三氏の境地」三十九枚ばかり終り。本気で書いた。お体はいかがですか。私はこの二日ばかり前から一日二ヶのリンゴを励行しはじめました。一日に二つリンゴをたべて二年経つと体が変る。それほどよい。私はそれをやる決心をしたのです。努力して継続するつもりです。貴方もおやりになってはどうかしら。

 五月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

 五月十六日 日曜日  第十四信
 きのうの朝九時頃目がさめて下へ来て長火鉢の前のテーブルへ来ている手紙を見て行ったら、ハトロン封筒があり。おとといのお話で少くとももう二三日は先と思っていたのでうれしく、何だか案外早かったように感じられたが、落付いて見れば、書かれたのは七日なのですものね。
 あの日、お目にかかって外へ出たら雨になっていました。そこで私は傘と一緒に持っていた黒いフクサ包から別の下駄を出して、草履をしまって、玉子のことや何か云いつけて、珍しく戸塚へゆきました。二階の大掃除をやって古雑誌が出た、面白いものが出ている。長椅子の上にのっかっていろいろ話し、御飯を食べ、それからフラフラ散歩して新宿へ出たら、丁度時間があったので「裸の町」という文芸映画を2/3見て、高野へよってかえりました。日本の映画も追々心理的なものを捕えて表現しようとしているところへ迄来ている。だが、まだまだ不十分。女の内的なものの表現が弱いのでこの作は大分弱くなっている。チャンバラでないものを作ろうとする努力に対してはこういう試みも支持されている訳です。文芸映画の陥る危険は散文的なものと映画的なものとの区分の不鮮明さですね。
 タカノの店がすっかりひろがって派手になりレビュー的セットになってから私ははじめて――だから去年以来はじめて。美しい果物は万惣をも思い出させ野菜サラダの味なども思い出させました。
 一昨日は、島田からかえって一仕事マア終ったしお目にもかかったし、いね公曰く「きょうはやっとホッとしたでしょう」きのうは何とあつかったでしょう。土曜日で昼迄働いた若い女の人たち数人遊びに来ているところに手塚さん市川|苺《いちご》をもって来てくれ、暫く皆と話し、運動ズボンを買うとか云って新宿へ出てゆきました。戸塚の二人は別々に勉強部屋をもっていることをお話ししましたかしら。妹さん夫婦が転任になって来たので近くに一軒もってその二階に鶴さんがいます。御飯はこっちの家。細君の方は二階に大体ひとり仕事するようになった。でも出入りで、やっぱり昼間はザワザワしているが。――
 きょうは又斯うして霧雨で、しずかで、私にはいい日曜だが、体には全くよくない。どうか呉々お大切に。実は[#「実は」に傍点]などと、汗をとっていらしたところを歩いて来たりして。――夜はよくおやすみになりますか。おかゆは十日分。パン一日おきは本月中云いつけておきました。本も注文してお送りいたします。私の方は※[#「くさかんむり/意」、第3水準1−91−30]苡仁《ヨクイニン》湯という漢方の煎薬をのんで、徹夜廃止で、早いときは十一時頃床に入って大いに自重して居ります。何となし少しずつましになって来る感じです。この前の手紙に申しあげたように今来ているお久さんという十九歳の信州の娘は淡白快活で常識もあり大変気が合い、私はお安さん以来の落付きです。そして兄の感化もあるのか、さっぱりして、安より明るい。私はこの好条件を十分活用して仕事をよくし、体を直すつもりです。どうか御安心下さい。
 島田の家の事情が却って私たちについて物わかりよくしているとお手紙にあることは全く同感です。それは本当です。私は島田の家に深い情愛を感じて居ります。あすこには林町になど全くなかった生活の空気がある。
 あなたが少年の時代から御自分の周囲に感じていらしったものと、私の周囲にあるものとは、社会での場処がちがうとおり質がちがっている。あなたの経験していらっしゃるものの中には(家族的に)皆察しのつく、そしてその条件ではやむを得ないと理解され得る質のものです。
 私はあなたが周囲に対してもっていらっしゃる思いやり深さやさしさを殆ど驚く程ですが、あなたにはそれが可能な根拠がある。
 虹ヶ浜へおつれしようという話も、かえる頃には不可能らしいとわかりました。お后さまは家をお離れになれないし、お父さんにはお后さまは不可欠である。そして店も。やはり活動の圏外にいることはおいやなのです。動かし申すだけ疲れるだろうというようなことで。――夏は葭戸でもこしらえ、新しいきれいな蚊帖《かや》でもあげようと思います。そして秋またゆきましょう。これは親愛な笑話ですがよくよく覚えていらして下さい。私が島田へゆくときあなたのお手紙で、ユリも暫く滞在したいと云っている云々とおかきになった、お母さん方の時間の標準で暫くと云いゆっくりと云うのは最少限一ヵ月なのよ。一ヵ月以上なのよ。私は笑い出したが何だか困ってしまった。わるくて。早くかえらなければならないと云うのが。長くいるように云って下さるの、うれしい。でも島田で仕事することは不可能です。だから秋に又ユリもゆっくりということは何卒保留しておいて下さい。ほんとうにわるいから。がっかりさせ申すのは。――野原にはよっぽど前、長いお見舞をかきました。仏壇の話も添えて。
 あなたがこの手紙で本旨だけと書いて下すっていること、私の妙てこ理屈についてあなたが書いて下さるのは大変にいい。楽しみにして待って居ります。私はあれを書いたときの心持で今日は居ないから。しかし、ああいう妙な押し出しをしたことの根底には、私のバカなむきがあったのですよ、分っていらっしゃるでしょう?
 あのとき貴方は、ユリが作家としての生活、その名の中では幾分安易な気分もあるだろう二つに足をかけている生活云々と仰云った、その言葉を、云われていない言葉の内容にまで入らず、そこに出ている角度でだけ、しかも全身的にうけて、私はあの当時の不快な条件もあったから、まるで一匹の山あらしのように苦しくなってしまったのでした。ああ、貴方が私に[#「貴方が私
前へ 次へ
全24ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング