問題」23[#「23」は縦中横]枚、「一九三四年度における文学の動向」30[#「30」は縦中横]枚、
作家研究
(一)[#「(一)」は縦中横]マクシム・ゴーリキイの人及び芸術(四十枚)
(二)[#「(二)」は縦中横]同 その発展の特殊性にふれて(四十枚)
(三)[#「(三)」は縦中横]同 によって描かれた婦人(二十三枚)
(四)[#「(四)」は縦中横]ツルゲーネフの生きかた(四十枚)
(五)[#「(五)」は縦中横]バルザックから何を学ぶか(七十枚)
(六)[#「(六)」は縦中横]藤村、鴎外、漱石(九枚)
随筆
最も長いので二十枚位(わが父)を入れて五六篇ぐらい。 (終)
三月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき)〕
三、十七日。十五日にはいろいろ御相談が出来て私は大変うれしく、いい心持になりました。貴方から私は多くのことについて教わるけれども、しかられる自分というものは考えて居りませんから、そういうものとして互を見てはいないから。とにかく本当にゆったりした心持になれました。きょうは「今日の文学の鳥瞰図」を唯研に送り、栄さんと風の吹く街へ出て、島田へのおみやげを買いました。父様へは夜具。母様、野原の小母さん、向いの家の人には裾よけ。達ちゃん隆ちゃん富ちゃんにはバンド。克子さんにはきれいな腰紐とカッポー着。あとは子供らのための小さいお菓子入りのいろんな袋。今夜はそちらもお寒いでしょう。きょうお母さんからお手紙で、待って下すって居ます。『リカアドウ』を入れました。『日本経済年報』も。
三月十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(佐伯祐三遺作「レ・ジュ・ド・ノエル」の絵はがき)〕
三月十九日 明日立つ予定のところ、仕事、旅費、そのほかの都合で、二十三日頃になります。これを出してもきっとあっちから出す電報と、おつかつに御覧になるのでしょうね。さむいことさむいこと、父上のお布団はいいのを西川で買いました。稲ちゃんと。
三月二十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき)〕
三月二十三日。今夜立つところ汽車に寝台がなくて、くたびれているので明日の午後三時に立ちます。いよいよお立ちです。窪川さん夫妻はうずらの玉子を、壺井さんたちは体によいというお茶を、M子はのりのつくだにとおたふく豆を。それぞれお見舞にくださいました。お父さんはこういうお見舞を考えていらっしゃらないでしょうから、さぞおよろこびであろうとうれしゅうございます。私は今二十枚ばかりの評論を終り、もう一つ夜終ります。
三月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県熊毛郡島田村より(厳島紅葉公園と広島駅の絵はがき二枚)〕
二十四日の午後三時のふじで東京をたち、ひろしま午前五時四十分、島田九時前でした。ひろしまから柳井線に入ったら、海と対岸の景色が珍しくて、目が大きくなったようでした。お家へ入って行ったら、中の間にお父さんが起きかえっていらっしゃるので、びっくりしたり、大安心したりでした。思ったよりずっとよくなっていらっしゃいます。ひる間、どっちかというとよくお眠りになるので、夜は御退屈のようです。気分も平静でいらっしゃるし、食事もあがれます。お母さんは相変らず御活動です。井戸がすっかりポンプになり、お店もさっぱりきれいです。
晴、島田の茶の間。
きょうは晴天、おだやかな日です。お父様は障子のそばへ床をうつし、今は座椅子によって上半身起き上っていらっしゃいます。上御機嫌。お母さんは、稲ちゃんがくれたウズラの玉子をわっていらっしゃる。隆ちゃんは丁度仕事からかえったところ。前の麦畑の麦は一尺ばかりのびて居ます。
家じゅうがいろいろと手入れをされていて、大変明るい感じです。うれしいと思う。達ちゃんはまだかえらず。野原から多賀子さん[自注9]が手つだいに来て居ります。
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[自注9]多賀子さん――顕治の従妹。
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三月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(浅野泉邸の絵はがき)〕
三月二十六日 今丁度正午の時報。ラジオは株式をやっています。
きのうは野原の御父上も見え、お向いの御夫婦も見え、兼重さん(山田の)も見え、なかなか賑やかでした。今は野口さんのお父さんが見えています。私のために大変キレイな座布団をこしらえて下すってあり、テーブルも出来ている、何でもあなたが野原でつかっていらっしゃったのというの。そのザブトンは大きいのに達ちゃんか誰かもっと大きいのがよかろうと云ったと大笑いです。毛布も布団もお気に入り、かけていらっしゃいます。いずれゆっくり手紙をさしあげます。
三月二十七日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
三月二十七日 晴天の午後三時前。
二階の部屋。父上は今おやすみ中。さっき隆治さんが一寸かえって来て御昼を土間で食べて、又仕事に出て行ったところ。すこし風はあるがいい天気の日です。裏に面した窓をあけ放して、山や農家の様子を眺めながら、私はさっきからあなたのこちらにおよこしになってある手紙を整理して、さて、いろいろとうちのことを申しあげようと思って。――
お父さんの御容態は電報やハガキで一寸申上げたように大変平静です。食慾もおありになり、朝二膳ひる三膳夕三膳ぐらい、おかゆと御飯とをあがります。おさしみや野菜をあがる。カステラ、ういろう[#「ういろう」に傍点]等もあがります。いい舌をしていらっしゃり、通じも一日置き自然についていて、この四五日は用便も御自分でおわかりになるようになり、皆々大よろこびです。皆夜中の間のコタツのまわりに集り、お父さんのまわりを囲むと、いかにもうれしそうな御機嫌で、ニコニコなりづめです。御飯を私がサジでたべさせてあげ、臥たり起きたりのお手伝いもしてあげますが、お母さんのお上手なのにはかなわない。何かやっていらっしゃるのを此方でよくよく観ていると、やはり急所があるのです。そこをエイヤッと私も真似をするの。「お后《ゴー》[自注10]や、一寸来て」お父さんはお后《ゴー》様なしでは立ちゆかぬ有様で、又お母さんが、明るく、てきぱきと、優しくしてあげていらっしゃる様子というものは実に見ものです。美しいというべき眺めです。達ちゃんにしろ隆ちゃんにしろ、病人として片づけず、生活の中心において実によくやっている。何とも云えない親しさ、睦《むつま》しさ。私は、林町のうちの睦しかった、その性質とここの人たちの睦しさの性質とを考え比べて見て、斯ういう一家の仲間に加われる自分を仕合わせな者だと深く感じます。そのことは、深く、深く感じます。あなたは、本当に立派な御両親や弟たちをもっていらっしゃる。心からおよろこびを申します。こういう心持の暮しというものは、人工的にこしらえようと云ったって出来ぬことです。全体の気分がね。私は、お父さんの扱われていらっしゃる様子を見て、親切とはかくの如きものと感服している次第です。単なる丁寧ではありません。いろいろ私は感動いたします。
家の財政のことは、お母さんから詳しく伺いました。丁度二月の七日に講の整理がついて、お祝をなすった由。十日ばかり経ってお父上がおたおれになったのですが、やはりよっぽどの御安心でしたのです。こちらの家は、今はすっかりこちらの所有になったわけで、二階などすっかり畳がえが出来、雨樋も壁もさっぱり白く手入れされ、家の中は、一つの清潔で静かな活気に充ちています。お店の方も、明るくなって居る。野原の方はこちらのように手堅く行かず、あすこは全部売却して、Tさんのいる、広島の方へ行こうと云っていられる由です。二千百円ぐらいの整理をし、あと千四五百をあまして、出かけようとして居られる由ですが、その価では買手が見つからぬ由です。きのうもゆっくりお母さんとお話し、野原は、あなたも思い出をもって愛していらっしゃるが、将来、若い二人が仕事をしてゆくには、どうしても、今の場所の方がよいから、ここは年の地代 \60 でやはり持っていて、向い側に九十坪ほどの横長い地面が \1200 ほどで手に入るから、達ちゃんの結婚のための必要もあり、出来るだけ早くそこを手に入れておいて、貸家にしてもよいということに大体御相談がまとまりました。この家を達ちゃんのものにしても土地がないので、この辺では結婚の話にもなり難い、まア土地も一寸あるというところで嫁に来させても、となる由。それで私は、私たちで、その半分でも出来るだけ早く都合して、そっちを解決して、出来ることならお父さんに達ちゃんのお目出度《めでた》を見せてあげたいと思います。私たちのお目出度はあんまり本質的すぎて、世間のお祝儀は高とびした形だったから。ああやって、お父さんがニコニコ楽しそうにしていらっしゃるとほんとうに、そういうよろこびもさせてあげたいと思うし、お母さんのそばにいる、若い女のひとの手も実に入用なのがわかります。これはいい案でしょう? あなたもきっと賛成でいらっしゃるでしょう。講の方が片づいている以上、それがよいと思います。
隆ちゃんは、目下の考えでは運転の方でやってゆきたい由で、兵隊まで(一年予)うちを手つだい、あとはよそにつとめて、という気らしいが、お母さんは、達ちゃん一人では無理だから、月給制にしてずっと協力してやらせたいという御意見です。そして、ここのお店も会社組織を改めて、達ちゃんの名儀になさる由。お母さんは今まで女の社長でいらしったのよ、御存知? うちには、なかなかアマゾンが出ますね。きのう、お母さんと二人で大笑いしてしまった。だって女の社長なら、婦人雑誌に出さなけりゃならないでしょう? これは冗談だが。――野原の方の土地家屋は講をつくるときに、信吉さんが父上の御承知ない間に、自分の名儀にしてしまっていらっしゃる由です。その他お二人としてはいろいろのことで、この際、あちらはあちらとして生活の責任をもってゆくようになることを御希望です。あなたは御存知ないかもしれなかったが。――お父さんの昔仲間の野田さんはこの頃の激しい時期に株にひっかかって、皆々心配して居ります。
お母さんは、近いうちに、私を宮島見物につれて行って下さるそうです。こちらへ来る迄、私は父上のことも心配だったし忙しくて忙しくてひどかったし、着いて、お父さんのお笑いなさる顔を見て安心したら、何だかポーとなって、久しぶりで、まるでのんきな休まる気分です。お母さんの娘になって、少し遠慮しながら甘ったれて、冗談を云って笑って、真面目な相談もして、そして夜は十時すぎにもう寝て、それでも朝九時頃まで眠ります。どうも、眠くて眠くて。それは眠いの。あなたに、これだけ書いて、家の中の空気おわかりになるでしょう? 林町がああ腰をぬいて暮して居るし、私はキリキリまいをしているし、ここでは、お母さんを中心に活々《いきいき》と軸がまわっていて、又別な楽しさ、安らかさです。
今度来て本当によかった。
お医者も特別に誰というお好みはありません。しかし、お父さんは昼間お眠りになりすぎます。これは、やはり全体の御衰弱ですから、余り油断はならないと思います。あなたの方はずっとおよろしい方ですか? 食慾も出て居りますか。どうか、どうか、お大切に。ここにいると何だか遠いようです。私はこちらですっかり疲れをなおします。では又
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[自注10]お后《ゴー》――顕治の故郷の地方では、おくさん、おかみさんをお后《ごう》はんとよぶ。
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三月二十九日(消印) 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 厳島より(安芸の宮島廻廊より千畳閣を望む絵はがき)〕
ここは大変に明るい美しいところでびっくりしました。清盛という人物が只ものでなかったのがよくわかります。よい天気。お母さんと、砂と松の間をふらりふらりと歩いて、よい散歩です。あなたもここは御存じでしょう?
三月三十一日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
三月三十一日 ひる少し前 曇天。
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