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二十二日ごろ、光井の方へ 500 お送りしておきました。あなたの方のお小遣いもあれで当分間に合うし。いい正月と云うにはばかりなしですね。
きのうは、午後五時までかかってやっと夏以来の宿題であった「今日の文学の展望」96[#「96」は縦中横]枚かき終り、夢中で終って雨の中を林町へゆきました。太郎の誕生日は十日であったが曾禰博士[自注20]の御不幸でいそがしかったのできのうにしたのです。河合の息子(咲枝の姉の子)たち、その身内の男の子四五人男の子ばかりで来ていて二階をすっかり装飾し、どったんばったんの大さわぎ。寿江がプロムプターであるが、この前からの風邪の耳がまだなおらず、繃帯《ほうたい》に日本服姿でふらふらしていました。丁度私の行ったのは六時半ごろで、程なく昼の部は終り。子供ら引上げ。忽ち太郎孤影悄然となったので、歓楽きわまって哀愁生じて、泣いてしまった。実にこの子供の心もちわかるでしょう? 一人っ子なんてこれだから可哀そうです。
それから夜の部がはじまって、こっちは大人の世界。御飯一緒にたべて、寿江へ買ってやった小幡博士の音響学の本の扉に字をかいてやったりして、珍しく昨夜は林町に泊った。おひささん一人故泊ることがちっともないのです。仕事の荷が降りたところなのでフースー眠って、目をさまして、すぐには起きもせず、私にいただいてある黒子《ほくろ》のごくそばで遊んで、懐しがって、優しい感情と切ない感情と、てっぺんではどうしてこう一つなのだろうと感じ、凝っとしていた。
それから起きて、食堂で太郎がトランクへちょこんと腰かけてお箸で食べているとなりでシャケで御飯たべて、「アラ百合ちゃん奈良漬がすきだったわね、一寸きってさし上げて」「アノー、もうみんなになって居るんですが」「ほんと※[#疑問符感嘆符、1−8−77]」というような会話があって、締切をサイソクの速達が来ているという電話でかえって来ました。
隙間風がスースーと顔をなでる家ながら、我が家はよろしい。まして、ちゃんと一つの封緘《ふうかん》がひかえていて見れば。
二葉亭の手紙や日記類の方への興味は全くそのとおりお送りする順として考えて居りました。安井氏の画に対して利口すぎるとの評がある。尤もです。奥行きなさは、愚かさではなくて、その利口さのために生じている。この頃の絵も妙に引込む力をもっていない。画面一杯にせり出して並んで、迚《とて》も目をひき、うまい[#「うまい」に傍点]がどこまでも心を引っぱりこむというところはない。ああいう本で梅原龍三郎のがあります。又見ておきましょう。絵というものは頭のためにいい(私たちのような仕事との関係で)。音楽は聴き込んでいって、こっちの心がこっちの心の内部で啓《ひら》ける燃えもする工合ですが、絵はやっぱりその芸術の特質で、眼の前がパーッと絵に向って開いて行って、こっちから入りこんで行って、散歩をして、フムと思ったりハンと思ったり出来て、やはり楽しいものです。スケッチが出来たら、下手でもさぞいい保養だろうと思います。寿江子は上手《うま》い。それでも絵は気まぐれにしかやる気がしない由。
あなたがお礼を出したく思っていらっしゃる人々には皆よろしくつたえますから御心配なく。親しい人達と賑やかに越年しましょう。百枚近い文学のこの三四年間に亙る鳥瞰図的な推移図のかけたのは、不満もあるが、よかった。生活の中で幸福を発見する能力や仕事のそれが増してゆく諸事情というものは何と複雑でしょう。
この間、国男宛に下すったお手紙、あっちがお歳暮に来たとき呉れました。わざわざありがとう。国男は、自分が書かないのにすまないと云っていた。皆に対してあなたの配って下さるお心持をありがたく感じました。緑郎はこの間初めて手紙をよこして、パリのエトワールの近くの或一寸した作家の未亡人の家に暮すようになり、フランス語がまだよくこなせないから御飯のたびに大汗の由です。あのひとなりにいろいろ学んで来るでしょう。紀《ただし》は負傷しました。但生命に別状はない。島田の方では多賀ちゃんのたよりで、お店へ米俵をつみ上げて、トラックも休みなしの由、収入のある方らしい御様子で、父上も炬燵《こたつ》のある中の間でこの頃は御機嫌よろしいとのことです。結構だが忙しくてお母さん又腎臓をぶりかえしになるといけないと思って居ります。ではこの、今年と明年とに亙る手紙はおしまい。あさって(二十七日)お目にかかりにゆきます。寒くなって来たこと。年内に雪が降るかしら。かぜをお引きにならないように。どうぞ。
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[自注20]曾禰博士――曾禰達蔵博士。百合子の父中條精一郎と協力して建築事務所を長年経営された。
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底本:「宮本百合子全集 第十九巻」新日本出版社
1979(昭和54)年2月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
※初出情報は、「獄中への手紙 一九四五年(昭和二十)」のファイル末に、一括して記載します。
※各手紙の冒頭の日付は、底本ではゴシック体で組まれています。
※底本巻末の注の内、宮本百合子自身が「十二年の手紙」(筑摩書房)編集時に付けたもの、もしくは手紙自体につけたものを「自注」として、通し番号を付して入力しました。
※「自注」は、それぞれの手紙の後に、2字下げで組み入れました。
※底本で「不明」とされている文字には、「〓」をあてました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:花田泰治郎
2004年7月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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