があった。覚えていらっしゃるかしら、歩きながら。
 今年の冬、私たちは冬をそういうような底流れの感情ですごすのではないでしょうか。今年私たちのまる五年目の生活は随分はりつめたものでしたね。肉体の強靱さと精神の均衡というものは何と微妙でしょう。一本橋をわたるとき、落ちやしまいか、落ちたらこわい、という恐怖が足をすべらせる。そしてそれと反対のもの。私は、扇をひらいて褒《ほ》めて上げたいと思う。もとより当然のことではあるけれども。あなたをとり戻したという感じ。そのはっきりしたあなたの姿が打って来る感じ、その感動がどんなだか本当に、本当におわかりになるだろうか。
 夜なかに霜がおりて、朝とけ、夜月がさして木の葉がおちているように、そういう絶間ない営みで生活力をたかめて行きましょう。すっかり新しいしっかりした地べたのところまで出切りましょう。うれしさから涙をこぼしながら笑って、或責任と義務の自覚による意力からだけ自分がやっぱり生きて行かなければならないものかと思うことは、殆ど堪え難かったと、今話すことの出来るのは何と笑える、そして又涙の出る心持でしょう。これを云ってしまえば私のくつろぎも底をついた形ですね。では又。呉々も大切に。決して今までの周密さを御自分の体に対してゆるめないで下さい。

 十一月二十五日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十一月二十四日  第三十九信、
 きのう、夕飯後十枚ばかり「若い婦人のための書棚」をかいて、終ってお風呂に入ったばかりのところへ「光子さんがいらっしゃいました」「どの」「岩松さん」絵かきの光子が来た。雨が降っていて十時半頃で、さては神戸から出奔して来たかと思ったら(夫婦ゲンカをやっていたから)そうではなくて、一水会という石井柏亭や安井曾太郎のやっている会へ絵をもって来たのでした。夜、二時頃までいろいろ絵や文学や女の生活の話をして、けさおそくおきてかえった。月末までいるというので、私は自分の大好きな動坂の家のスケッチと、本郷の或高台、一方は長いコンクリート塀になっていて、ずっと遠く小石川を見晴す風変りな道のスケッチ、をして貰うことにしました。私の勉強している部屋にこういう可愛らしい都会の隅々の絵があったらどんなにうれしいでしょう。大変たのしみです。其にしても光子は、自分の絵の道具をもって来ないとはけしからぬ。かりにも十日ばかり東京に来て、しかも刺戟を与える人々の顔を期待して来ていながら。まだただのおかみさんと画家とが分裂している。渾然《こんぜん》一つになっていない。心で一生懸命で手がまだ怠けている。こういう状態を多くの女の芸術家が経ているし、男も70[#「70」は縦中横]%まではこれで一生を終るのね。
 若い女のための本をいろいろ考えていて、私に体がもう一つあったら、本当にいい味と力と鼓舞のこもった女のための本を極めて綜合的な内容で書きたいとさえ思いました。すべてが切りはなされていて婦人問題、医学の問題、法律の問題、ばらばらである。それが一人の女の日常生活のすべての部分にとけこんでいる。一人一人の女が、自分から世の中に働きかける可能をもっている。そういうことを感情から分らせてゆく本が一つもないというのは何たることでしょう。世の中に本は溢れているが、こういうクサビのような本はかかれていない。
 笠間さんの随筆は面白うございましたか、第一のを数行一寸見たが、何だか目があらい。
 シャルル・フィリップの「ビュビュ・ド・モンパルナス」(これはお手紙で下らなさがわかった)をふとよみかえして、ここに描かれているパリの下級勤人の生活や娼婦の生活に対する作者の心持と、荷風や武麟や丹羽のかく市井風俗との気稟のちがいを感じます。どうして後者の作家らは目先の物象しか見ないでしょう。浅はかにそれにひっぱられて喋くっているのでしょう。精神というものが低い。戯作者気質が「当世書生気質」で終っていない。そこが日本の文学の美の内容をひきずりおろしている。或壮麗な恍惚にまでたかまる悲劇。歓喜に迄貫通する悲劇というものの味いを生活の中に持して行くだけの精神力のはりつめかたをもたない。
 私は音楽も絵にも文学にも実にこの強靭きわまりない高揚と、それと同量の深いブリリアントな忘我を愛するのだけれども。私の仕事が文字を突破してそこまで横溢することが出来たらどんなにうれしいでしょう。輝きわたる人間の真情のままが躍動したら。
 今夜は今に寿江子がここへよって、七時から新響の定期演奏をききます。
(二十五日になってからの分)
 昨夜はベルリオーズという人の(クラシック)夢幻交響楽というのがなかなか面白かった。題の如きもので、情熱的第一楽章。円舞曲(舞踏会)第二楽章。野原での風景。絞首場への行進曲。悪魔の祭日の行進曲。大体テーマは(文学的に)分るでしょう? このひとは楽器のつかいかたが面白く、太鼓のつかいかた(雷)として実に芸術的につかいヴェートウベンのパストーラルの嵐の太鼓のように説明的でない。又或場面、楽しき野原が次第にそこでのシニスタースの光景を予想させながら最後には遠雷と鳥の声とでやや「枯枝に烏とまりけり」の灰色と黒を印象づけるところ。そして、この全体の曲に、一つずつモーティブとなり得る要素が沢山あってなかなか刺戟された。私が音楽家であったらきっと今日こんなにしていられないでしょうと思う。メイエルホリドの音楽をつくったりして、二十一二歳で第一シンフォニーをつくったシュスタコヴィッチの音楽は、現物をきいたとき深い疑問を感じた。又写真にあらわれている相貌からも疑問を感じていた。音楽がフランスの後をついている外《ほか》何があるのかと疑問だったところ、この間新しいオペラのコンペティションのようなことが行われ、「ティーヒドン」(デルジンスキー作曲)、この男の「|マクベス《オペラ》夫人」(|明るい《バレー》小川)が並んで上演され、明るい小川、マクベス夫人は絶対的に否定された。これは題を見ても文学をやるものには内容がわかります。世界的名声にあやまられたものとしてシュスタコヴィッチもエイゼンシュタインもメイエルホリドもある。(日本にもあります)私は音楽について直感的に抱いていた評価がやはり正しいのが証明されてうれしい。絵についても音楽についても私はこういう直感の科学性を豊富にしてゆきたいと思います。私の絵や音楽の批評は大抵はいつも当っているのだが、素人だから日本的レベルというものを自分では知らずにとび越しているので玄人《クロート》は所謂エティケットを知らぬ奴と思う。文学において文壇をことわっているのに、絵や音楽やの通《ツー》に追随する必要もない。
『二葉亭全集』は買いますから、そしたら御覧になるでしょう? 中村光夫、『二葉亭四迷論』あり。では又。私たちは月の美さを好きですね。この間の月夜は灯のない街と共に小説「二人いるとき」の中にかいた。お大事に。ずっとあの調子でしょう? 猶々油断なさらないで下さい、お願いいたします。

 十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(竹内栖凰筆「若き家鴨」の絵はがき)〕

 十一月二十五日、これがこの間の手紙で話した栖凰の絵の右の方です。左の方もつづけて御覧下さい。私たちの批評の当っていることをお認めになりましょう。きょう、やっとお手紙が届いたが、十二日の分は来ず、いきなり十八日の分です。十二日のを待って待っていて来なかったわけです、どうしたことであったろう。
 見ぬ魚の大さ。※[#丸A、261−9]

 十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(竹内栖凰筆「若き家鴨」の絵はがき)〕

 十一月二十五日。この間お目にかかったときよく伺った野原島田のことは私によくよくわかって居ります。あなたのお気持の中から。島田へはこのお歳暮にさしあげましょう。私はお父さんを笑顔にして上げたいから。野原は冨美子が女学校へ入ったら。来年三月。丁度フミちゃんの教育費に十分なわけです。大変によいと思う。皆安心出来て。月謝の心配は女の子は辛いだろうから。※[#丸B、261−14]

 十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(鏑木清方筆「鰯」の絵はがき)〕

 十一月二十五日、これが例の清方の鰯です。画面の奥までちゃんと描いているのだが、やはり插絵風になってしまっている。芸術家が単に情緒に止った場合この如き技術をもっていてもやはり低俗にならざるを得ないことは実に教訓ですね。日本画にも或る意味でのバーバリスムが入って来ていて(藤田嗣治の田舎芸者のモホー)其様なのも見かけたがまだ外側のものです。※[#丸C、262−5]

 十一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(中野和高筆「ひととき」の絵はがき)〕

 十一月二十五日 この絵は父親のイギリス風なおじいちゃんぶりが林権助伯を思い出させ、又何となく林町の父をも思い出させます。したしみのある面白い絵です。軽井沢辺と見えますね、遠景の工合。何年ぶりかで今年は絵を見て、芸術家の感興ということをいろいろに考えました。感興の色合、深さ、リアリティー。清方だって身にそった感興でこれをつくっているのですからね。※[#丸E、262−10] これは※[#丸E、262−11]までで終りです。

 十一月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(菊池契月筆「麦※[#「てへん+臣」、262−12]」の絵はがき)〕

 十一月二十九日夕方。
 そこにも豆腐やの音が夕方はきこえるでしょう。きょうは、本当に久しぶりで苅られ、分けられている髪を見て何と珍らしかったでしょう。
 まだ四時すぎだのにもうすっかり夕方になっている。この娘の顔は原画は非常に清潔な美しさを持っているのですがよく見えませんね。どうか猶々お大切に。今の肉のつき工合はもう一遍ひきしまらなければ本ものではありません、本当にお大事に。

 十二月一日(消印) 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(新作帯地陳列会より「頴川陶象綴錦」の絵はがき)〕

 光子さんが動坂の絵をかくので一緒に来ました。あのまま木小屋があるしポストがあるし。おいなりさんの赤い旗が昔より大変|賑《にぎ》やかにひるがえっていて通りの広さと云ったら。
 この絵はがきの帯はなかなかいいでしょう? しめたいと思う、但し空想の中で。あなたに買っていただいて。エイセンは父の好きな陶工(クラシック)の一人です。国男さんから手袋をお送りいたしました。光子さんの子供は五つ、太郎より兄さんです。

 十二月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(安井曾太郎筆「承徳の喇嘛廟」の絵はがき)〕

 十二月四日。安井曾太郎の画集の面白いのを文房堂で見つけましたからお送りいたします。画集中にこの絵の水彩のようなのがある。こっちにまで発展して来ている跡もくらべるとなかなか面白い。きょうは光子さんが油の方をしあげて、二人でその額ぶちを買いにゆきました。可愛い絵です。いずれ写真をお送りいたしますが、思いがけず今年の暮はいいものが出来ました。

 十二月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 十二月五日 日 晴れて風がある。 第四十一信
 十一月二十五日づけのお手紙をけさいただきました。お体はずっと調子を保っておりますか。きょうあたりから吹く風がいかにも師走風になりました。綿入れ類ももう届いておりましょう。このお手紙に三つよく読めない字がある。「『科学知識』は時折達治に送っている」のあとにすぐつづいて「のものは矢張りやめにした。」その上の三字がよめない。珍しいことだがよめない。何でしょう。この次お目にかかって伺います。大したことではないらしい。
 あなたが、本をよめなかった間に得たものの価値について云ってらっしゃることは、大づかみではあるが私にも推しはかることが出来ないとは思いません。
 私の仕事について考え希望して下さること、全く私自身が考え努力していることと等しく、それ故一層はげましとなるのですが、私は箇々の作家のおかれている箇人的な事情、歴史的諸事情がその錯綜推進の間でどのよう
前へ 次へ
全24ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング