烽フお金で入れてくれたのです。鶴さんは大変まじめによい仕事をして居ります。あのひとは私が徹夜がいけないとかいろいろいうと、常識[#「常識」に傍点]を笑っていたが、この頃私のいうことも本当と身にこたえて来ているらしい。熱は出して居ります。稲ちゃんずっと書いています。すらりとしてあの人らしいもの。とにかく私は、この夫婦を実に大切に思います。私にみ[#「み」に傍点]になるような気付を云ってくれるひとは外にない。六芸社の本[自注16]などについて批評を書いた鶴さんの文章は、友愛の珠玉です。
私は二十日頃から仕事をはじめ、小説だけにかかってずっとやっている。毎日いくらかずつ書いて。沢山の時間を考えて。本質的に勉強しながら、自分を発育させつつ学びつつ書いて居ります。徹夜はしてはいないけれども、小説を熱中して書いていると、そこの世界が二六時中私によびかけて招くから、気が立って、頭が燃えて、床の中でやはり長く眠らない。しかしそれはお察しのように愉しいし、その時間は有益なのです。あなたに喋りかけて、そうでしょうといったり、ひとりあなたのこわいろをつかったり、いろいろ芸当があるのです。そして、猫と遊ぶ。この猫は前便に書いた猫、ひどい好人物的猫で、猫を好かないものの家にいついてしまいました。仕方がないから戸に切穴をつくった。仕事をしていると別の椅子の上で丸まって他愛なく眠っている。夜中になると黒い真丸い、美しい表情になって、私が下へおりるとついて二階にあがって来る。犬の子のように先へハシゴをかけ登って。ところが私は何としてもニャーを寝るところへは入れられない。いやなの。下へおろすに、一寸遊ばしてホーラ、ニャーと足袋を片方下へ投げると、この猫はいそいでおっかけて降りる。その間に私はかけてスイッチをねじって障子をしめてしまう。このような余興。
島田がおよろしいのは何よりです。この時候のわるいことは、だが、何ということでしょう。
六月に『文芸』へ「山本有三氏の境地」という作家論をかきました。勉強して書いたの。
それから今、ウィーンのワインガルトナーというオーケストラのコンダクタァが夫人と来ています。二十八日にききに行った。いろいろ芸というものについて、こういう出来上った大家の持ちものを観察したわけですが。ベートーヴェンの第六シムフォニイ、田園交響楽というの、あれはやっぱりその理解の点でききものでした。貴方も覚えていらっしゃるでしょう? あの曲。静かな小川のほとりの部分もよく、特に楽しい農夫のつどいの部分(雷雨になる前の)、あすこはヨーロッパの村の祭、そこの音楽、雰囲気、ビール、踊、その気分が絵画的なまでにつかまれていて、私はききながらドイツの十七八世紀の風俗画を見るようでした。日本の楽人はこういう生活感情がないから、いわゆるベートーヴェン式に把握して、ロマンティックな自然感だけを描き出します。面白かったのは、その細君のカルメン・ワインガルトナー夫人の指揮です。ヨーロッパにも女のコンダクターは一人か二人です。いかにも細君風なの。バトンをもって立ったところが。ドメスティックなの。そして手法は非常に年長で大家である先生・良人に従っているので、何だか生粋でもないし、その人[#「その人」に傍点]は感覚もないし、刻み目、つっこみが浅く、いい人であることと、いい芸術家であることとは必しも一致しないという実例でした。暖い感じの人なのだけれど。なかなか暗示の多いところです。一つもピリッとしたところがない。女であるだけ私は残念でした。主観的にはまじめなのです。もちろん。こういうことも私は、前便で書いた、芸術は在らしめること、客観的に在らしめなければ、どんなよい意図もないに等しい、というあのことを感じ直させました。カルメンさんはあんな偉い人の細君だから、一つ背中をぶってハッとさせて、帯をしめなおさせてくれるような人はいないかもしれないから気の毒です。私は云ってやりたいが、素人[#「素人」に傍点]だと思って、やっぱりきかないにきまっている(これは冗談)。
私はこの頃、あなたにかぶれて、或は刺戟されて、時間というものを実に内容豊富につかいたくてたまらない。仕事というものがわかってきた。時間がすぎてゆくその感覚なしに、のんべんだらりとしていられると、SUでもジリジリしてきます。私はよく仕事して、休むとき音楽がやれたら本当にうれしいのだけれど。私には文学・音楽・絵の順ですね。今仕事五十枚。半分。十日までにもうそれぐらい。チェホフは仕事にぴったりする気持を、紙と平らになるという表現でいっている。落付き工合を現わしてはいるが。私どもはもっと角度をもっているな。ただ平らではない。心の角度があって、いわば彫り出し、築き、現わしてゆくので、彫刻的な精神労作だから。平面をかいてゆくのではないから。ペシコフは単純に、夜灯の下でやるこの苦しいそして楽しい仕事といっている。何とそれぞれその人でしょう。私は何というでしょう。昼間の平均した光の裡で、刻々に人生を再現してゆく、そのむずかしさ、楽しさ。私は本当にまぶしくなく、さわがしくない昼間、誰にも邪魔される心配がなくて、せかずに書いてゆく心持は名状しがたい。時々改正通りが一筋ひろくそっちへつづいている様子など思いながら。
あなたもお忙しいでしょうが、どうか時々は私を夢で訪ねて下さい。シャガールの絵ではないが、いきなり天井をぬいて、こぼれていらしってもびっくりはしませんから。林町の連中にはよろしく申します。アヤメとツバメの手拭はうちにもつかっています。あのシャボンの匂いはさっぱりしていると思いますが、どうだったかしら。
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[自注15]何とも申しようなし――拘置所の監房がせまいので、足がつかえ、顕治は膝をのばして寝たことはなかった。
[自注16]六芸社の本――宮本顕治『文芸評論』。
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七月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
七月十一日 日曜日 曇、小雨 第十七信
さて、きょうは私たち、この小さい仕事部屋で久しぶりに二人っきりです。おととい仕事をすまして、きのうはくたびれていたが三越へ行って野原へあげるものを見て来て、きょうはのびのびとして貴方とさし向い。
一昨夜の晩は豪雨がありました。割合におそくなってから。林町から自動車でかえって来たら、豪雨|沛然《はいぜん》たる夜のなかに、連って光っているあなたのところの電燈が眺められました。きのうは可笑しい日でね。くたびれてポケンとしていたものだから健坊とタア坊のお土産に買ったマリと、あなたのために涼しい下ばきを買ったのをタクシーの中に忘れてしまって、いねちゃんのところの玄関でター坊に歓迎の声をあげられて、ア、忘れたと又戸外へ出たがもとより後かたなし。でもマアどこかの子供とあの男がよその知らぬ人の計らざる御中元を貰ったのだからいいと思いなおしました。まして、その自動車はボロでしたから。
健造とター坊は 私が仕事にくいついていて二十日ばかり現れなかったら、この頃来ないね、と云い、二銭ずつ二人でためて私のところへ来ると云ったのだって。私はそれに心を動かされて、先ずマリを買って出かけたのに。――そのうめ合せにきのうは其から二人の子供をうちへつれて来て御飯をたべさせて、おひささんに送らせようとしたら、たよりなさそうにしているんで又私が送って行ってやって。健造たちはさしみがすきなので御馳走してやったら、その一切を特別なお志をもって猫にやりました。この猫何ていう名なのかい? 名はないよ、オイオイニャーと呼んだり、わるさをするとネコ! と叱るよ、と云ったらフームという。名をつけてやっておくれ、そしたらその名を呼ぶからと云ったら、健造考えていて、きまりわるそうにしていてミミと縁側に書いた。何かの話に出て来る猫の名でしょう。ター坊に、兄ちゃんが猫にミミって名をつけたから、家へかえってお話し、と云ったらター坊、あたしが話してやる健ちゃんきまりがわるいから、だって。六つと九つの兄妹。大変に面白く、そして林町の太郎のようにスポイルされていないから、いかにも「小さい人々」で心持よい。子供たちの母さんは『婦人之友』への小説できのうは大忙し。私のは『文芸春秋』。新聞の方も母さんはつづけていて、前月は先方が金を渋ったのでねじこんだが、今日は一ヵ月先どりしたから、とキューキュー云っている。まあこんな工合ですね。
あしたお目にかかるのだけれどもお体はどうでしょうか。この間の暑さ! 六十年ぶりの由。私は腕の汗が机にきしむので手拭を当てて仕事しました。苦しくおありになりませんでしたか? 氷の柱をあげたいと思った。それからフーフーあつい番茶を。夏ぶとんは不用のように仰云ったけれども、心持のものですし色彩のものだから二日ばかりのうちにタオルのを入れます。しぼりの浴衣はいいでしょう? きょう袷せ類が着きました。
先月から今日までにかけての私の仕事は、いくつかの新聞に短いもの三つ、映画批評三つ、中国における二人のアメリカ婦人=スメドレイとバックのこと、社会時評のようなもの一つ、小説。すべてで枚数にすると百五十枚以上。これから二十日すぎまでに短い小説を一つに文芸時評一文化時評二つだけはいや応なしです。なまけて居ないでしょう? それに小説について、私は、「雑沓」、「猫車」から今度のにかけて、少し発見したところがあります。いつぞやあなたが作品の実質で漱石や鴎外ならざる時代を語ることについて書いて下さったことがあった、ああいうことも原論としてはわかっているのだけれども、書いてゆくそのことで新しい世界をひらいてゆくこととは、考えて分っていることとやって見てわかっていることとの間に在る微妙なちがいのようなところがあって、そのやって見てわかるところが漸々《ようよう》身について来たようなところがあるのです。本当に今年は沢山小説を書こう。作品の中に作者の肌と体温と現実の社会的血行がうずいているような作品こそ書きたい。書いてゆくに際して、そこまで出し切れる迄修練したいと思う。私の持っている作家的水準は決して単純に低いとは云えないものであるが、私が自分に求めているだけの闊達《かったつ》さ、強靭《きょうじん》さ、雄大さはまだわがものとしていません、まだその手前での上手《うま》さであり、確《しっか》りさである。
昔の小説家が主観的な力《りき》みで、そういう箇[#「箇」に「ママ」の注記]性の範囲での闊達さに到達した、そういうのではない内容での闊達さ、美、簡素な力、そういうものが本当に欲しい。そしてそれは作者の生きかたからだけ求められるものですからね。こんどの小説を書いて行くうちに何だか私は自分のリアリズムの扱いかたが高め得る方向を見出したようでうれしい。どうかこの方向がのびるように!
一生懸命に努力し、自分に与えられる賞讚や批判の中からむだなく養分を吸って育ってゆく、その生活感は何とよいでしょう。自分の努力、自分の熱心、そういうものが、とりも直さず真心からの愛と一致し、その具体的な表現であるとさえ感じて(その経験と摂取において、自分の目に入れこになっている眼を感じて)、信じて生活してゆけることは、何と貴重なよろこびでしょう。私を努力させる力、私を生かしている力、それは何という根づよい強健なものでしょう。抽象的に書いて何だか妙だが、おわかりになるわね勿論。私が絶えず探し求めていて、自分を一層ひろげたり強めたり本ものに近づけたりする小さいキッカケでもピンと来たときどんなに私はあなたと共に其をうれしく思うでしょう。ありがたいとさえ思う。つまりこれらすべてのことは、私が比較的健康の工合もよくて、心が情愛に満ちていて、仕事にはり切っていて、その仕事を一つ一つあなたに、全く、実に、ほかならぬあなたに見て貰いたく思っているということなのです。こう書くと何だか暑い盛りに一層あつっぽい息をかけるようですみませんが、でもこれはあなたの不幸にして幸福な良人としての義務だから、生かしているものの義務だか
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