1−84−22]も花柳小説を昔ながらの花柳で描く恐らく最後の作者であろうが、荷風を比べると、その蕩児《とうじ》ぶりがちがう。※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]が花柳の中に「まごころ」を云々するところが※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]の持味であったのだが、この発生は何処からでしょう? こういう一つらなりの日本文学の消長を何かしら語るものがあると思う。水上瀧太郎が云っているとおり、「まごころ」も身勝手しごくであるが、粋の要求も身勝手なものですね。
 洋画では、特にこれこそというものはなし。中村研一などやはりうまいことはうまい。高間惣一が「日の出に鶴」なんぞかいているし、文部大臣賞を去年貰った男が、いかにも人をくった模倣の露出したコンポジションと不快な色感で通州というのをデカく描いている。私たちのすきであった絵ハガキをお目にかけましょう。
 かえりには、『日日』へよって、細君が随筆をかいた稿料をとって、三人で不二家で食事をして、私は現代ドイツ音楽の夕へまわりました。今日の作曲家たちのものです。私たちぐらいからの年頃の。何だか大して面白くなかった。演奏の技術が弱く貧しいためも
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