@八月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 国府津より(封書)〕

 八月二十六日  第二十七信
 今朝十六日づけのお手紙が来ました。東京からお久さんの付箋《ふせん》がついて。
 二十二日にこちらで書いた私の手紙はきっと今月の終り或は私がお会いしてから後についたりするのでしょうが、このお手紙に、ユリもどっかへ行って休めとあるので私は大変気が楽になった。去年の夏は体がしゃんとしていなかったのに馬力を出したからいけなかったし又、疲れを休める適当な方法を知らなかったのでドライブしたりしてしまいました。
 今年は疲れかたのタイプも休むタイプも会得したから、ドライブなどしないし、ここでも日中は日かげでいてつよい光線に直接当らぬようにこまかく注意して居ります。きのう寿江子が太郎をつれて来て、私の顔色がましになったと云っている。二十三、二十四、二十五と、毎朝十一時に国府津へ行って原稿を送り出し、五回の時評が終って、きょうは休み。
 作家が客観的に全面的に押し出されていないと作品においても萎靡《いび》するというのは真実です。今日のような社会の雰囲気の中では、この点が実に実に決定的な意義をもっています。どこか
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