ハ白くて仕方がない。藤村の詩など考え合わせると、日本のその時代の文学の地方性=フランス・ロマンティシズムの都会性に対する=が感じられます。私は十二日の朝ここを立ちます。来るのはよいがかえすのはいやだとしきりにお母さんがおっしゃり私もその心持です。いろいろ、お味噌だの、かきもちだの草餅だの外郎《ういろう》だの小さいすりこぎ[#「すりこぎ」に傍点]だの頂いてかえるの。私を可愛がってくれた祖母が田舎から私にくれたものを思い出して、私は大層うれしがって居る次第です。
お父さんは腎臓に障害が起って居ります。やはり順々にそういう新陳代謝には故障が起るのですね。この手紙がここでかく手紙のおしまい。私が、こんな島田川の手紙をかくなんて、なかなかいいわね。では又。お目にかかる方が早いのだから、そのとき他のことはいろいろと。
〔欄外に〕この桜は室積の桜。潮風に匂う桜は大変ここら辺のより豊かに美しいと思いました。
四月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(はがき)〕
四月十一日。昨夕七時頃野原から電話で、叔父上急に右が痺れて口が利けなくおなりになった由。達治さん多賀子私うちのトラックにのってゆきました。既に昏睡《こんすい》です。瞳孔反応なし。今朝十時富雄さん帰り。三時(午後)克子大阪より。私は明日の出発をのばして御様子を見、且《かつ》お世話をいたします。血圧二百二十。この前の発病は百八十であったとのことです。第一信
四月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(はがき)〕
野原伯父上今度の原因は、日頃やはりお酒を相当あがっていたところへ、昨日は好天気だったので、ひなたで植木いじりをしていらっしゃり、夕方大変いい心持で、風呂に入ろうなどいって居られたところでした由です。「おせん、右へ来たぞよ。おれは奥でよこになるから駅へ電話かけえ」とおっしゃったきりになった。あなたのお手紙のことを改めて申上げたら、もうこれから絶対やめるといっていらしたというのに。
四月十三日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月十三日 島田。晴天、暖し。
野原伯父上の御急逝には実におどろき入りました。さぞびっくりなさり御残念でしたろう。前後の御様子をかきます。
この前の手紙で書いたように、私が着いた日、光井からお出かけになり、いろいろの話をし、愉快そうに夕刻
前へ
次へ
全118ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング