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[自注12]あの家――顕治が学生時代夏をすごした家。
[#ここで字下げ終わり]
四月十日夕 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
四月十日 午後 暖い晴天。島田からの一番終りの手紙(第五)
私は五日頃かえるように云っていたからもうこちらへは手紙を下さらないのかもしれない。店で、お母さんがあなたに上げるとおっしゃる肌襦袢を縫っていると、「ユービン」と云って河村さんへ自転車にのった若者が何か入れてゆくのが見えました。河村さんに郵便が来てこっちに来ないのは大変不思議に思えた。そして、又縫っていたら河村さんの細君がキビの餅をもって来てくれ、達・隆はそれを頬ばって仕事に出てゆきました。
この河村さんの娘が結婚している写真屋さんに来て貰って、二三日後一家全員で写真をとり、大さわぎでした。あなたにお目にかけるために。七日に、背戸《せど》を見晴すガラス戸が出来上り、大満足です。二尺三寸の一枚ガラスをはめたから雨の日も外が床の中から見えます。きのうは、金物屋のおくさんが字を書いて呉れということでした。夜は、おかあさんが、私をつれ、三越から届けさせたタオル三枚入りの小箱をもって、近所にあいさつにまわりました。「よいお日和《ひより》でございます。あの、これが顕治の嫁でござります、どうかよろしく。日頃御厄介になっちょりますから今度見舞いに参りましたについて、一寸お物申したいと云って居りますから」云々。そうすると、私が「どうぞよろしく」とおじぎするの、お母さん大安心の御様子でお店の敷居を跨《また》ぎつつ「サア、こうしておけばもうおおっぴらにお歩きさんし」
おじぎをするとき私は大変お嫁[#「お嫁」に傍点]のような気が致しました。
きょうは蓬《よもぎ》つみに島田川のせまい川辺へ行きました。橋(フミ切りのところ)で達ちゃん達がそのときはトラックを洗っていました。その道で荒神さんの高いところにものぼりました。その石の段のところに野生のわすれな草が咲いて居た。勿忘草《わすれなぐさ》など通俗めいているけれどもああいうところであなたは子供の時お遊びになったのでしょう? 何だかそれこれ思ったら子供らしい愛らしさがあって、その花をつまみました。今押してあるから出来たら又お目にかけましょう。島田川の白菫《しろすみれ》も。皆、実に自然主義文学以前の、日本的ロマンティシズムの素材で
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