ワでいておかえりになりました。それから三四日して、私が午後から伺い、おそいお昼をメバル[#「メバル」に傍点]で御馳走になり、お母さんのお云いつけで、お墓詣りをすると云ったら伯父さんも一緒に出られました。村会議員の選挙などの話があってひとが来たりし、夕方私がおいとまする迄、やはり面白そうにお話しでした。「自分はいろいろ悲観するようなときは百合子さんの笑い顔を思い出して元気を出す」そんなことを云っていらしった。家の整理についてのお話も出ました。土地六百坪一括しては買い手がつきにくいから区画して手ばなしたいとか、鶏舎はよそへほぐして売るとか。
そのときも、私が着いた日も、伯父さんは私の前ではお酒召上らないが、やっぱり上っているらしい様子なので、よくよくそのことを申上げたら、タバコはやめにくいが酒はなくても平気と云っていらしった。あなたのお手紙にあったことを私は自分の出発の時刻をお知らせするハガキにわざわざ改めて書いて上げました。
九日の夜、私は十二日の上《のぼ》りの寝台券を買った。十日の午後七時頃、夕飯をたべようとしていたら、野原から電話。伯父さん口が利けんようになったから、多賀子をかえしてくれ云々。氷と氷枕を買って戻れ。
達治さんが丁度いて、私は心配だから一寸様子を見て来て注意することがあればして上げたいと、トラックで三人でかけました。冨美子をたった一人の対手で伯母さんはあわてていらっしゃる。中庭を隔てた日頃のお寝間に行って見ると、一目で昏睡であることが分りました。やがて医者が来て、瀉血《しゃけつ》を五勺ほどし、尿をとり、血圧を低めるための注射をしました。そして小一時間の後かえったら、激しいケイレンと逆吐《しゃっくり》が起りました。その時からずっとお顔の様子がわるくなった。私は富雄を呼ぶこと克子を呼ぶこと等一時頃までいろいろお世話しましたが、どうも御容態が思わしくないので、次の日の朝、貴方に電報した次第です。十日の日は暖かった。伯父さんは上機嫌でひなたで竹の鉢植をこしらえるためにお働きになった。そして、夕方珍らしく飯がうまいと、五杯もあがり、あと、よそから来た餅を二つあがった由。そして、そろそろ湯に入ろうかというとき、急に右がしびれ出し、こっちへ電話をかけるよう指図をして自分で床へお入りになった。冨美子が枕元についていたら「おや、目が見えんようになった」と仰云った
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