ワす。同一水準で沢山かける、これでは悲しい、我々の年や業績の歴史から云って。やはりのろくても前進しなければ。よく眺めていると、作家でも、日常性というものを健全に把握せずそこへ足を漬けている人はすこし作品が調子にのってつづけて出ると忽ち下らない日常の描写になってしまうのは、実に教訓です。そして、その人々に日常性に浸ることと無条件肯定の誤りを誤ったところで、それはインテリ性という風にだけ感じるところ、何と微妙でしょう。いつかのお手紙に作家の理性をも科学的に育てることその他実に真理であって、しかもそれを自身の心臓で会得することの必要を知っている作家、又知ろうとする作家、実に尠《すくな》い。今日は複雑な理由によって作家センチメンタル時代です。芸術家としての勇気とか献身とかいうことさえ実質不明瞭の感傷でうたわれて居ります。センチメンタルでないとピッタリ来ないと云った風です。こまったものなり。読者のみがセンチメンタルでないところが今日の文学的特徴です。
 壺井さんもしかしたら又失業しそうです。鶴さん相変らず。この間の晩皆が呉々よろしくとのことでした。稲ちゃんいそがしくて保田からハガキも上げなかったがわるかったとしきりに云って居ました。
 ああ何と風がひどいでしょう。書いている紙の上に天井の塵がおっこちる。では又書きます。医術の本でも何だか苦笑し腹の立つような非科学的な類別をする者がありますね、南江堂の本の終りの部分[自注17]。呉々もお大切に。酸っぱい果物がよくないことは知りませんでした。

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[自注17]南江堂の本の終りの部分――南江堂出版の結核に関する医書に、思想問題をおこす人間は多く結核患者だという独断が書かれてあった。
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 九月十七日午後 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 九月十七日  第三十一信
 きのうは本当にいろいろと、ほんの一寸した小さな事柄まで珍しく嬉しく、そのうれしい波がきょうまでも響いて体の中に流れているようです。久しぶりであなたの身ごなしに特徴である闊達な線の動きも美しく見えてつよく印象にのこります。一昨日は非常に苦しい心持であの壁の外からひきかえしたので、どうしても真直家へ引かえす気がせず、戸塚へまわって、防空演習の暗い灯の下で白飯をたべてかえった。昨日は朝七時半から出かけていて、一昨日の気持
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