フつづきで、すこし気の晴れる方向へ事が進んだので、どうしても一寸よって見たく雨のひどい裡を行った。でも本当にびしょぬれになった甲斐があってうれしかった。かえりに又長い長い高壁に沿って、ザッザッと傘に当る雨の音をききながら歩いていて深く一憂一喜という心の動きかたを感じました。勿論其は当然であるけれども。しんでは安心して居ると云うか、何かともかく不動の土台がある。しかしその土台に、殆ど高く鳴り響く波動を打って苦しい心配やその心配をめぐっての様々の考えやが動く。土台はそれでもわれることはないので凝《じっ》としたまま益※[#二の字点、1−2−22]激しくつよくその波動にこたえてゆく。この感情は人間に日常的な時間の観念を失わせ、日常の社交性を失わせるようなものです。
 けさは、きのうのつかれが出て、九時に一度目をさましてから、又ベッドに戻って心愉しさの中で可笑しい夢を見て、その夢の中ではあなたの肩と横顔と目差しばっかりを見ました。あなたの紺絣を着た肩のまわりには、あなたを歓迎している人たちが沢山居て私はこっちから近よれない、あなたはこっちをちょいちょい御覧になる。そしてそこは田舎でね、馬蹄型の山路も遠くに見えた。可笑しい夢!
 夜着は、きのう注文しておきましたから、二十日にはお届けします。
 夏の間じゅう下の四畳半を勉強部屋にしていたのだが、飽き果てたので、二三日前から二日がかりで、又二階へテーブルをもち上げました。この二階は六畳きりで二間南があけっぱなし。東の方へ机を向けないと形がつかず、そうすると右手の書いている方から光線が入って紙にかげをつける。南へ向ってはのぼせ過ぎますから。――
 私は勉強部屋だけはすこしゆとりがあってその部屋の中をいろいろ考えながら動きまわることの出来るところが欲しい。本気になって来ると私はひとと話もしたくないし顔も見たくなくなるから。
 島田へは年内に是非ゆきます。十一月に入ってゆけるようになるだろうと思います。フタの浮いたお風呂を思うとクスクス可笑しい。全くあれは奇妙なものね。あの風呂は長湯出来ない。心持から。あなたの烏の行水も子供のときからああいうお風呂だからではないでしょうか。
 高校の賄《まかない》のことその他は訊き合せて見ましょう。この二三日持って歩いて大仏次郎の「由井正雪」をよみました。前、中、と。これはこの作者の傑作の一つです。最近
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