ナ保田からかえって来ました。勤め一ヵ月休み月給もらっていて、又つとめるのです。今度は仕事ぶりを整理してすこし疲れを減らしたいと云っていますが、うまくゆけばよいが。――
 島田のお母さんから先日伺った菊池、越智氏のことについて御返事が来ました。お母さんのお話では、あなたの思いちがいでいらっしゃるようですよ。当時あなたがひとの[#「の」に「ママ」の注記]迷惑をかけるのを大層いやがっていらしたので、ずっとお家で出していらしったとのことです。何かの覚えちがいしていらっしゃるのかしら。そのような金は一銭もないと仰云っているのですけれど。――何か其那話[#「話」に傍点]でもあったのではなかったでしょうか。
 それから島田と野原の負債の表をつくるようにとのことで、私こまってしまっているのです。それはね、お母様が手紙はあなたへおつたえしたら置いておいてくれるなとおっしゃったので、又材料がなくなっている。そう度々きいて上げることも出来ず。どうかあしからず。
 野原の方も、このお手紙によると買手が二三人ついたそうです。そして主屋《おもや》とその敷地ぐらいは十分のこる勘定になるそうです。そう例の爺さんがお母上に申した由です。大変結構です。あなたもいろいろ配慮してお上げになった甲斐があるというものです。
 お父様、すこし心臓が弱くおなりになったらしい。私は十月一杯はどうしても動けないがそのうちに又折を見て、今度は短い期間お見舞に行こうかと思って居ります。お目にかかれば本当に本当によろこんで下さる。相すまない程うれしがって下さる。もうすこし近かったらねえ。でも十月以後にはどうしても一遍ゆくつもりです。そして行ったら野原と島田が負債のことで感情的になっているようなことのないように、よく大局的に話して来ようと思います。一人一人の生活態度に対して抱く批判と、家と家との心持とは一つものではないのだから。
 私は一つ感想をかいて、それから又小説。国府津には、出征した従弟のことや何かで四日東京へ戻って前後七日と五日いたわけですが、それでも今度は『報知』の月評、『科学ペン』、『自由』とみんなで五十五枚ばかり仕事したからよかった。八月は体が苦しくて能率低下と思ったが、それでも八九十枚の仕事はしていました。しかし、私は様々沢山仕事をしている人の仕事の質をも考え、自分の仕事はどうかして質量ともに高めたいと切望し
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