驕B在らしめること[#「在らしめること」に傍点]。そのためには碎心《さいしん》しなければならないこと。何と面白いでしょう。この感じは評論のような仕事で、私が最近経験した一定の段階までの成長で、却って小説とのちがいとして自覚されて来たものです。私はこの点がわかって、何だか作家として底がもう一つ深くなったようなよろこばしさです。評論のようなものでは私は疑問をつらまえて最後まで手を放さずその矛盾や疑問の発生点をつきつめてゆくたちです。そしてそれは、研究というか、語るというか、とにかく小説の在らしめてゆく[#「在らしめてゆく」に傍点]感じとはちがうものであり、小説が何とそのようなものであるかを痛感させるのです。
評論風な勉強は、自然の結果私自身に向っても小説の水準の引上げを課すのも面白い。私は当分小説にかかりきって、在らしめる[#「在らしめる」に傍点]術を行います。これから私は事情のゆるす限り自然発生的にあれこれの仕事に手をかけず、一年の或期間小説をかき、その汽罐車のように評論をかくという風にやってゆきたい。カマだけ一つで先へ行きすぎてしまうと一大事ですからね。大きい重い荷物をひっぱってゆかなければならないのだから。(こんな色の紙は珍しいでしょう? たまには目に変っていいかと思って。)寿江子は線路のむこう側に新築されたアパートに部屋をかりて鵠沼を引上げました。夏で家賃が上るから。うちで夕飯をたべさせます。
太郎はナカナカなものになりました。遊びに来て玄関をガラリとあけると「アッコおばチャン」とアーッコに独得のアクセントをつけて呼ぶ。アーッコは大きいの意味です。いろいろしゃべります。寿江子は糖尿の消耗から或はすこし呼吸器を犯されているかもしれませんがまだ不明(但、寿江へのお手紙にこれを書いて下さらないように)今月のうちに調べると云っている。私は徹夜しないしどうか御安心下さい。今日は日曜でラジオその他が寧ろやかましい。
十五日 夕方。
六月五日づけのお手紙がけさつきました。このお手紙で見ると、私が五月下旬に書いた手紙はまだ見ていらっしゃらないのですね。お久さんが呉々も御親切にとよろこんで居ります。お久さんは三度たべます。私は二度だが。島田の方へは今日お母さんのお気に入りのハブ茶と中村屋の柔かい甘納豆とをお送りいたします。ハブ茶は野原の方へも。中村屋のザクスカはこの頃ちっ
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