仕事がすきではないから、この点も改めて御安心いただきます。きっと眼が丈夫でないからだろうが、私はひる間の書きものが一番好きであるし、そのように整理してやって居ます。ほんとに、時間は悠久であるが、ですね。でも、私のように欲ばると、いろいろへまをやって、どうやらこの頃は、時間というもののほとんど驚くべき性質=同じ三時間のつかいようで、生涯の仕事としての何かが加えられたり、全く空に消えたりすることの驚くべき性質を実感してつかむことが出来るようになりましたから、きっと追々あなたもマアよいと お思いになるようになるでしょう。でも、仕事の上での欲ばりというものはよいものです。欲ばってのことなら、たとえへまをやってもきっと、何か得て立ち直りますからね。ほんの一寸した経験でも。時間を充実させる術をしっかり身につけたら、もうその人は人生の達人と云うべきでしょう。私なんか、まだ、どっちかというと、平凡に忙しがっている平凡な欲ばりやの程度かもしれません。島田のこと。あなたのお考えになるその通りを私も考えて居ります。私は自分の両親に対して今日、ああしておけばよかったと思うようなことは一つもありません。島田のお二人に対しても私の希望していることはそのことですから。古典について評論家がなくて、辛うじての時評家が多いことについての感想。同感です。英樹さんに対して私が点がカライのはその所以《ゆえん》です。私の机の上には中学生じみた馬の首のついた文鎮と庭の山茶花の花とあり。来年一杯以上かかる長い旅に踏み出したような宏《ヒロ》子という若い女(作品の中の)に勇気とよきタイプを祝って下さい。では又。

〔欄外に〕○毛糸の足袋下はハイラないのでしょうか。去年はそっちではいていらしたのでしたが、いらないのではないのでしょう?
 ○毛糸のシャツ、白メリヤスの下シャツをお送りいたしました。
〔「戦争と平和」を読んだという項の上欄に〕○これは特別な勉強よみで、作品のコンストラクションの解剖を、ノートしつつよんでゆく方法です。
 漱石でさえ、交響楽は書けなかった、交響楽を書きたいと思う。

 十二月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十二月五日 午後  第二十二信
 あなたはベッドの上で手紙をおかきになる[自注23]とき、どんな恰好をしておかきになりますか。あまり工合がよくないものですね。今私はこの手紙を、二階の部屋のベッドに仰向きになって背中の方へクッションをつめて、板に紙をのっけてかいているのですが。そして、こんな形で手紙をかかなければならないことについて、小さくなっています。二日の夜、夕飯後、急におなかが苦しくなって、咲枝は経験者だもので、早速盲腸と診断し、お医者を呼び、冷やし、それでも盲腸としては大分軽い方です。この頃ずっと仕事に熱中しているから養生生活であったのに、何と可笑しいでしょう。一身同体という証拠ででもあるのでしょうか。手術はせず、内科的になおしますが、いろいろ面倒くさい。流動物ばかりです。私の位でも苦しいことは相当であったから、あなたはさぞお辛《つら》かったでしょう。歩くなどということは実に苦しい。どうかお大切に。私の方はいろいろ揃っているのですから。きょう板上執筆の試みとしてこれを書いて見ているのです。が、気を入れては少し無理かしらとも思う。何とかしてとにかく仕事だけはやります。どうか御安心下さい。全く今年は盲腸の当り年です。びっくりしてしまう。熱ははじめ八度出たきり。ずっと平熱です。
 この間丸善で毛布の二枚つづきのをそれぞれ光井と島田とにお送りしておきました。達治さんも十一月三十日には除隊になったでしょうから、島田もさぞおよろこびでしょう。
 あなたの冬用の厚ぼったいドテラが今縫いあがりました。フランネルじゅばんと入れます。どうかそのおつもりで、不用の袷《あわせ》類を下げてお置き下さい。
 さむくなりましたが、今年は去年より概して暖いのではないかしら。きょうなどなかなかおだやかな日です。
 盲腸など大変きらいです。少しひまなとき、そして健康状態のいいとき、切ってとってしまって置こうかと思います。こんなアナーキーな突発的な虫を体に入れておくことは何とも承知出来ない。いろいろ条件がわるく重なったとき、又きっとやるのだから。近日又ゆっくり常態で書きますが、今日は文字通り同病の誼《よしみ》による御機嫌伺いを申します。

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[自注23]ベッドの上で手紙をおかきになる――病監には机がなく、ベッドの蒲団の上で手紙を書いていた。
[#ここで字下げ終わり]

 十二月十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十二月十二日  第二十二信
 十一月三十日づけのお手紙を十日の朝いただきました。このお手紙ではまだ私の盲腸のことを御存知ない。お体の方は順でしょうか。第一に、私は六日頃からベッドとデスクと四尺ばかりのところを動いて仕事をはじめ、十一日の朝終りました。あなたが手紙で、もう今頃は一区切りがついてよろこんでいるだろうと仰云ったのは一日だけ早かったわけでした。盲腸は軽くて今もうおかゆですが、冷やした結果、肝臓が痛み出して、只今では盲腸はケロリとしてむしろ肝ゾーが痛い。短い上下の間に、全然反対の療法のいるものがかち合って可笑しいことになりました。いよいよ、盲腸をとってしまう必要あり。これは来年の仕事です。
 ともかく仕事がやれる程度であったことは大助りでした。仕事の結果は、何しろうんと長いものの登場ですから、ヨーロッパ旅行の途中神戸へついたようなものです。その部分としては満足です。じっと先の方を見てゆっくり歩いている、そんな風。そしてこの仕事では一晩も徹夜をしませんでした。これはどうかほめて下さい。今度の経験で、いわゆる病弱なものの時間上の得というようなことを感じ、苦笑ものです。私の希望しているような生活的な、表現の健康なシムフォニックなものがつくられそうです。発端にその可能があらわれていると信じます。
 旧《ふる》い小説集というか、短編集、その他あります。入れて見ましょうか? あなたのおっしゃる前期的作品ですが。前期といえば「小祝の一家」も或意味で前期です。「乳房」は一つの過渡でした。「雑沓」に至るまでの。
 全集目録は明日お送りいたします。「どてら」はおうけとりになったでしょう? 中野さんが大島へ行ったとは知らなかった。只今鑑子さんから電報とお手紙のお礼が来ました。池田さん、あのお手紙の言葉を見たらきっとうれしいでしょう。
 作家生活というものの複雑であり興味ある点は、或種の作家、そしてその作家が一定の到達点にあってそのレベル内で十分活動する社会の事情があると十年の間に漱石、芥川のように相当の仕事をするものですね。そのことはなかなか観察すべきです。彼等は、其々、自分の持っているものの中で働いて、生涯を終った。旧いもちものを脱ぎすてて新しいみのりへまで動く必然を感じず(漱石)感じてもそれを放棄の形で肯定した(芥川)。
 作家が永い生涯の間で何度発展をとげるか、そしてその時にどの位作品をのこしてゆくか、これは大なる研究に値し、作家必死[#「死」に「ママ」の注記]の事柄です。「四十年」の大作でクリムの性格は発展的に描かれていなかった。発展しない時期の作者はそれを描き得たが、一躍した後、それが書きつづけられなかった。これも深甚な興味があります。自分のこととして、今これから大長篇を書くことの出来るのをうれしく思います。それは必ず貫徹し得るから。まことに生活の結晶であるから。――
 林町の生活について以前二十枚近く書いたことがありました。ではこの次の手紙(近々かきます)はその分だけにいたしましょう。
 私へのおまじないをありがとう。むしがれいはそろそろたべられるけれど、チーズどうかしら。私は咲枝に「ホラ、こうかいてある御馳走をし……」と笑いました。今日島田へ達治さんのかえったお祝いをかきました。きょうは柔かく暖い日。何ともっともっと喋りたいでしょう。では又。お体をお大切に。呉々もお大切に。
     附録一枚
 国民美術協会から『中條精一郎』が出版されます。そのことは申しましたが。――
 この十五日が締切りで、私は「父の手帖」「写真に添えて」「家族抄」など四十枚ばかり書き、寿江は「父」三十枚ばかり、咲「お祖父様」を少々、国男も何か書きます。来年一月三十日は一年祭です。その折までに出来るのだそうです。これは御覧になれるから大変楽しみです。咲きょうけんそんして「いらない原稿紙があったら下さい」だって。もちろん私はよろこんで、半ペラの新しいのを一綴進呈いたしました。

 十二月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十二月十二日  第二十三信
 この手紙では林町の生活のことを主として書きましょう。
 事務所は依然八重洲ビルにあり。名称も元のままですが、主体は曾禰氏が主です。ところがこの老博士は今年八十四五歳であり、君子であり品格をもった国宝的建築家でありますが、現実の社会事情からは些か霞《かすみ》の奥に在る。ために国男はじめ所員一同具体的な生活的な面で安心して居られず、という有様です。せちがらさを、この老大家は道徳的見地でだけ批判して居られるのですから。もっとも御自身の経済はせちがらさに動かされないからそうなるのでしょうけれども。
 江井のことについて心配して居ましたが、向島の西村(母の実家)の土地が空であったので、そこへ四十室ばかりのアパートが落成し、江井はその管理人兼十何年か後の所有者として生活しはじめました。
 車はプリムスをドイツ製オープンのアドラーに代え、国男自身運転して事務所にかよって居ります。
 この古い家をこわして、小さい、単純な(設備はうんとよく[#「うんとよく」に傍点]したい[#「したい」に白丸傍点]由)ものを建てるそうで、二月頃着手するでしょう。裏の土地が沢山あきます。小さい家を二つ建てるのだそうです。「姉さん、平ったく考えて、姉さんが住むのが一番いいと思うね」と云います。
 私としては目下考慮中です。深甚に考慮して居る。おひささんというひとは、いろいろ自分の心持から、金の点から、私と一緒に暮すことはことわって居りますから。作家にとって実に大切である生活の日常的アトモスフォールの点から、考慮中なのです。こまかい便利は勿論便利にちがいないし、用心もよいにはよいが。――
  続 十二月十七日。
 十五日に寿江子がお目にかかれて大変安心しました。無理をしないようと繰返しおっしゃった由。御心配をかけました。ずっと順調ですが、やっぱり、痛[#「痛」に「ママ」の注記]わらなければならないものを体の中にもっていることは、面倒だから、若し医者がよいと云ったら、この暮から正月にかけ、どうせガタガタしがちな時であるから、入院して、とってしまおうかとも考えて居ります。どうもそれが時間の一番の利用法らしい。但未定です。決定すればその前にお目にかかりに行ったとき、いろいろお話しいたしましょう。父の記念出版のための原稿を十五日の午後にすっかりわたしました。私はなかなか活動ですよ、「雑沓」七十枚、『婦公』「未開の花」七枚半、『ペン』に「時計」という随筆十枚昨日書いて、略《ほぼ》九十枚近い父のための原稿を整理して、四五十枚は執筆しています。
    ――○――
 寿江子この頃鵠沼で、体も糖尿の方は大分よくなって居ります。だが、器楽を専門にはやれないので、音楽に関する文筆の仕事に向いつつあり。ドイツ語なども一人でいつの間にかはじめている。ところが音楽の方はおくれていて、まともな音楽史一冊出ていず、芸術史にしろ、今日の到達点において書かれたのはないから教育上閉口です。
 音楽家は、素質的に少しでもましなひとは、主観的にそれに自負してしまう、そこで危険です。緑郎は今年既に作曲を三つやっているし、評論活動その他落付いて若いものらしくやっている。これは土台がいくらかあってのことだから、教育上の心配というものはな
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