いてひねくれていて、はっきり自明なことではイヤイヤをするというのだから、相当なものです。いろいろ勉強と努力と成長とがいります。
近日中に又面会に参ります。今夜はピヤチゴルスキーというセロの名手をききます。久しぶりで。パストゥル(科学者)の一生が映画化されて来て居ります。これも見たいと思う。お体のことは本当にあなたの御用心を願うことしかありません。
附
私の体のことをこの前の手紙に比較的くわしく申しましたから、きっともう安心していて下さることと存じます。
改めて、もう一度。ラッセルはもうすっかり消えました。過労のための一時的なことでした。心臓は特別の新しい徴候なし。過労するな、過労するなが信条ですが、過労せぬということは仕事をよく塩梅することなのだから 着々とやるだけはやって居ります。
今は風邪で ズコズコですが、これは大したものではありません。どうか御安心下さい。
十一月十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月十一日 水 第十九信 曇天
午後二時外苑で三万人の学生や青年団が音楽祭をやって君ガ代をうたっている ラジオ。
きのうは、先月のときから見ると、やっとあなたらしいお顔つきでした。窓があいて、一寸のり出すようになさったとき、少しよくなっていらっしゃるのを感じました。それにしても、先月は苦しかったのですね。よっぽど立っているのが無理であったに違いない。どうか、これからは、きのうお話のように少し無理そうなときはわざわざ出て来ないで会えるようにして下さい。その方が私はずっとずっと安心なのだから。
けさ十一月二日づけのお手紙をありがとう。書く日がずっていることを知らず、二三日随分待って居りました。私の仕事のこと、又療養のこと。こまごまとありがとう。具体的にたのまれなければインスピレーションを実現しないとお笑いになったって? なかなか辛辣ね。ひどい! と思いながら思わず私もニヤリとしてしまいましたが。作品によって過去の作品を克服してゆくということは、全くです。私は、評伝風なものとしては夏からかかっているのをすっかり完成させたら、漱石その他にはすぐかからず、来年は主としてずっと長篇にかかります。作品そのもので、題材と主題との関係で今私がとりあげたく思っている諸点、芸術化されるべきであると思っている諸世相を書いてゆくつもりです。大変たのしみであるし、きっとあなたによろこんでいただけるものがかけそうです。丁度お産をする母が肉体的に出産を予感するようなもので、私の内部的カラクリは丁度もう作品をかくとき、或ゆとりと或客観力と経験の蓄積をもって来ている。この感じは、何と説明しましょう。実に何か内部的な一つの世界の前に扉があきかかっているのを見ているような、独得の感じです。へとへとにならず着実にやってゆきます。少し力をこめた作品をかく心持は本当に自分が生むもので又同時にうまれるもののような快い苦痛がある。只今は構成です。一月にはほんの六七十枚ですが、コンポジションは全篇の大体をこしらえておく必要があるので。
本を(医療の)そちらで買って下すったのは結構でした。お金がもうあんまりおありにならないでしょうね。でも来月までは辛棒《しんぼう》していただかねばなりません。島田の河村さんの御夫婦には一寸往来でアイサツしたきりでよく存じませんが、お父さんが朝のうち行っていらっしゃるなんて、何といい光景でしょう。そして、お父さんは東京から来た坐椅子だとか何だとか、たのしんで自慢したり、又心配したりしていらっしゃるのでしょうね。目に見えるようです。河村さんにも、この暮には何かお送りしましょう。
国男の体のことよろしくお礼を云ってくれとのことです。例によって筆不精ですからね。五日に退院し、まだ家にブラブラしている。国府津へでも行こうかなど云っている。盲腸は普通の三倍の大さがあった由。又、とったあとから生えるかもしれぬ由。そういう体質があるのですって。咲枝は疲れが出て、背中をいたがり、おふろのとき、私がサロメチールを背中じゅうにフーフーいってぬってやります。太郎はこの頃はダッチャン(父さん)、アアチャン、オバチャン、みんないるので大満悦です。かぜもひかず、くるくるして片言を云っている。汽車の絵をかかせるのですが、何故だか、チッチャポッポが大好きです。スエ子は盲腸がどうやらおさまり。鵠沼の方にさむしくないところを一部屋かりて、当分暮すでしょう。この家も一月末にはとりこわしがはじまりますから。私は十二月中旬に引越しの予定です。年の暮は、私たちの家でお客をよんでやります。私は私たちの家なしでは暮せぬ。来年はうんと能率的でしょう、それがたのしみ。
昨日御注文のアンダアシャツ早速はからいます。毛糸の寒中用のももひきジャケツは、今年御新調です。柔く軽いが、これまでのものより上等です。今栄さんが編んでいます。夜着はお気に入りましたか? 割合心持よい色の工合でしょう。
この間は田村俊子さん、重治さん、間宮さんたちと、稲ちゃんのところで御馳走になり、愉快に一夜を過しました。池田さんは今苦しいの、わかれ話が起って、もつれていて。勉強はそれでもやっている。お体全体どうかお大切に。歯も。然し、もしかすると、一番わるい峠はお越しになったのではないでしょうか。来年には或安定が生じるのだろうという気がします。よい仕事が出来るようにおまじないをして下さい。では又。
十一月十四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(朝井閑右衛門筆「丘の上」の絵はがき)〕
十一月十四日。毎日仕事の下拵えのために没頭して居ります。この頃健康改造のために注射をはじめ、すこしよいようです。今年の冬は、なるたけ火鉢を入れず、よく日に当りという方向で注意するつもりです。道具立てなかなか面白し(仕事の)いろいろの絵の展覧会がありますが、ひまがなくて。つい時間がおしくて。今竹内栖鳳やその他無カンサ組の文展招待展というのも別コにあって、殆どどれがどれやら素人に分らない位です。招待展評に曰く「文展の瘤展」「愚作堂に満つ」云々。この絵が大臣賞を貰っているのは大変面白いことです。これは普通の落選もある文展の方です。又散歩に出たらエハガキを買って来てお目にかけましょう。
十一月二十二日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月二十二日 第二十信。
そちらからのお手紙を待っていたことや、小野さんが急逝されたこと[自注19]やで、この手紙はいつも書く筈の時より大変におくれました。
その後、お体はいかがですか。ずっと順に恢復をつづけていらっしゃいますか。この間面会のときお話のあった毛糸の足袋下をお送りしたら、もうかえって来ました。領置には出来なかったのでしたろうか。十二月に入ってから又お送りして見ましょう。それからかけ蒲団のあつさはいかがです? やっぱり薄いとお感じでしょうか。夜着の上からでしたらあれでよいのではないかとも思うが。――
本は注文なすった分がありましたろうか。
鑑子さんの旦那さまは一昨二十日払暁没しました。足かけ三年の病臥の後です。二十日に重治さんから教えられて、咲枝、稲ちゃんと三人で出かけ(大森)夜十二時頃かえるつもりで行ったのですが、いかにもかえりかねてお通夜をしました。知義さん、須山さん[自注20]、大月さん[自注21]等肖像をかきました。二十五日に築地で劇団葬[自注22]にきまりました。小山内薫以来のことです。鑑子さんは実にこれ迄努力をして来て、これからもしっかりやってゆくでしょうが、私はこの二三年の間に両親をそれぞれ特別な事情の下で失って、感銘深いものがありますが、しかし、良人を失ったということは、その悲しみの性質において全く別のものであることを痛感しました。全く別のもの、全くその感覚においてちがうことである。死んで貰っては困る。実にそう思う。心と体とが、そう叫ぶようでした。暮している場所や事情やそれはどうでも、生きていること、そのことは絶対の価値をもっている。元より複雑ないろいろのことをふくめてのことですが。
もうじき父の一周年になります(一月三十日)。母の本はあのようにしてつくられたので、父の記念出版をしたいが、それには様々の困難があり、こまっていたら国民美術協会で大河内正敏氏や石井柏亭その他の人が一冊の『中條精一郎』という本を出して下さる由。私は大変うれしゅうございます。家族で出すよりずっとうれしい。それで一昨日、一昨々日は、「父の手帖」という文章を一寸かき、その前には又もう一つの別のをかき、更に十二月十日頃までにもう一つ二つ短い文章をかく予定です。スエ子も咲も国もそれぞれに書きます。御目にかけられるのが楽しみです。
スエ子は昨日から鵠沼へ住みました。小さい離れが小料理やの裏にあり、私がもと(四五年前)仕事部屋にしていたところ。半年ほど東京と半々に暮すそうです。太郎は相変らず。
私の仕事はプランが大きいので手間がかかりました。そろそろかきはじめます。自分で何だかこれまでとは違う心持が内部にしているのは興味があります。思いがけず助けてくれることが出来るひとがあって、第一部の下拵えはまことに好都合でした。体もお通夜できょうは背中が痛いが、大体は順調ですから御安心下さい。この二階から紅葉した楓の梢が見られます。上林辺はきっともう雪でしょう。きょう毛のシャツ、下シャツ等をお送りいたします。呉々もお大切に。十二月の十日頃にお目にかかります。かぜをお引きにならないように。では又ね。
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[自注19]小野さんが急逝されたこと――音楽家関鑑子の良人、新協劇団演出家小野宮吉、数年来の腎臓結核によって死去した。
[自注20]須山さん――須山計一。
[自注21]大月さん――大月源二。
[自注22]劇団葬――新協劇団葬。
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十一月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月二十六日 第二十一信
けさ、十一月十六日づけのお手紙が届きました。その前のは二日の日付けであるから、間の週にはよそへおかきになったわけでした。大体そのことは分っているのに、何だか毎週待つから可笑しい。あなたのお体のことは、勿論絶えず念頭にありますが、私は決してくよくよ案じては居りません。そのことは、呉々御安心下さい。自然の治癒力について私は自分の経験から或理解をもって居りますし、あなたという方をも亦更によく理解して居りますから。根本的には安心立命して居ります。それから私の体のことを、この間うちはとやかく御心配かけ、すみませんでした。目下好調子です。小説も、今回分は僅かでも大体の通ったプランを立てなければならず、そのために時間を多く費しましたが、やっとそれが終り、書きはじめました。「乳房」のときより進んだ心の状態にあります。大変すなおに、描く対象を浮彫りにしてゆけそうな心持です。或自然な、柔軟な突こみがされそうな感じで、大変、大変うれしい。満を持し、いそがず迫ってゆく、この感じ。今度の仕事の準備中ふと「戦争と平和」をよみかえしました。もと一度、或ところは二度三度よんでいるが、今度よんで見て、ずっと異った専門的技術上の発見があって、これもためになります。描く対象は元より全く違っても、小説というものを書く上では学ぶべき点あり。「夜明け前」で学ぶべきは、仰云るように、作者の根気、努力、であるが、こちらの作者のスケールと現実洞察の、彼なりの鋭さ、リアリティーは実に光彩陸離たるものがあります。若い時代が、その技術をくみとりつつ、内容に於て新たな世界を芸術化し得るというよろこび、我から我に与える鼓舞には一寸云いつくせぬものがあります。描こうとする世界への没頭というか献身というか。しかも最も冷静な見とおしと統制。芸術的感興というものがこのように全心的な燃焼を要求するからこそ、芸術家にとっては、いかに生きるかというところまでが問題になって来る。興味あることです。私は決して夜更けの
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