一息いれるのと暑さにうだったのとで、この数日一寸のびました。(中休みです。書くのはこれから)
 この前のお手紙で国府津へでもおいでと云って下さったけれども、あすこは夏はムンムンです。それに海へ入らないしね。去年、重治さん夫婦は富士見の高原へゆき、健坊たちは千葉の海岸へ行ったが、今年はどこもまだ釘づけです。資金思わしからずでね。
 島田へは椅子をお送り申しました。お気に入って東京からよこしたといってはお見せになっている由。私も大変うれしい。それは折たたみ椅子でのばすと長椅子にして寝られ背の勾配も加減できるのです。籐《とう》でしっかりしていて、お父さんの大きいお体でも平気です。近く山崎さんの伯父上[自注9]が御出京になり、あなたにもお会いになりたいそうです。
 ところで、この手紙はきっと私がお目にかかる時分にやっと着くのでしょうが、シャツその他の衣類、フトンなどの工合はいかがでしょうかしら。間に合って居りましょうか。あなたはまだお湯をおつかいになれませんか? 浴びるだけならいいのではないでしょうか。虫にくわれませんか。おや、今涼しい風が入って来た。こういう風をこの封筒に入れてちょっと吹かせてあげとうございます。二階は蒸風呂です。だもんで下にいて、些《いささ》か能率低下なの。家で夏をすごすのは四年目です。ではどうか御機嫌よく。

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[自注7]徳さんもこの暑いのに可哀そうに――坂井徳三がプロレタリア文化運動のため検挙されて未決にいた。
[自注8]健坊――佐多稲子の長男健造。
[自注9]山崎さんの伯父上――顕治の母の兄。
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 八月九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月三日、午後十一時頃、第五信
 きょうは久しぶりの涼しい日でした。この二階はひどく西日がさして眩しいので、疲れてこまっているので、たまにこうして雨が降ると私はホッとして、ああたすかったと思います。同時にこの点でだけはすこしあなたの利害とちがっていると苦笑するの。きょうは眼鏡をとりかえることをやりました。慶応に入院していた間に眼の検査をしてもらったところ、私の眼は右と左とで大変度がちがっているので、今かけている眼鏡より度はちがえられないが、瞳孔距離がちがうというので処方を書いて貰っていた、それをやっとこのごろ、今日、なおしに出かけたのです。今までのフチを一まわり大きくして、レンズはツァイスのウロ・プンクタールというの。これは赤外線、紫外線を吸収して人工光線の下で仕事をするのに大変疲れないのだそうです。大奮発です。でも眼玉ですものね。そう云えば、私のこれを書いているテーブルの上には、馬の首のついた中学生じみた文鎮のわきに明視スタンドが立っているのです。そのことをまだ書きませんでしたね。そっちで『科学知識』をよんだらスタンドの科学的光度のことが書いてあって、明るく視るスタンドが科学的な計算によってつくられたというのを知りました。あの暗いところで、そういう知識を得ました。家へ帰って真先に買ったのはそれ。三段に光度が変えられ、柔かい光がいい心持です。こんどはそこへレンズがとび切りとなって、おお、おお、ね。私どんなに勉強しなければならないか! ですね。この次お目にかかるとき、私は今日の世界の科学の最も新しい成果であるレンズをとおしてあなたを見るのですが、あなたはこの手紙をおよみになる迄気がおつきにならないでしょうね。あのところで、私たちには眼鏡のことまでを話しているひまがないもの。あなたは近眼におなりになりませんか。大切にして下さい。無理をなさらないように。スエ子も眼鏡をもっています。これは遠視。国男も。緑郎も近視。全くこれではベルリンの小学生ではないが、支那人と日本人の違いはどこで判るか? ハイ日本人というものは眼鏡と写真機をもっています、ですね。
 四日。火曜日、夜中の二時。
 早寝をしているはずなのに、こんな時間に手紙を書いたのではすっかり馬脚をあらわしてしまいますね。しかし、今夜は眠る前ぜひ一筆かきたい。けさついた七月二十五日づけのお手紙のお礼を。
 あれはまるであなたのごく近くに坐って話をしているような心持を私に起させました。あなたが健康について云っていらっしゃること、又差入れについて云っていらっしゃること、みんな私が心にもっていると全く同じ心持です。単にそう考えるのではなく、全身でそう感じているために、私たちの生活全面にわたっての明るさ、平静さ、確信がヴォルガのように豊かな力で張り切りながら流れてゆく、そういう工合です。私はよくわかっている。私たちの生活で何が大切か、私の勉強について差入れがその差しつかえとなるようなことを、あなたはちっとも希望していらっしゃらないのだし、そんなことを又私もするような小乗的
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