獄中への手紙
一九三五年(昭和十年)
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)塩梅《あんばい》

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(例)三十八円|十《とお》銭

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 一月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(封書)〕

 あけましてお目出度う。私たちの三度目の正月です。元日は、大変暖かで雨も朝はやみ、うららかでしたが、そちらであの空をご覧になりましたろうか。去年の二十八日には、私が家をもったおよろこびをしてくれるといって、健坊の両親、栄さん夫婦、徳ちゃん夫婦があつまり、一つお鍋をかこんで大変愉快に大笑いをしました。その晩は安心してのんびり出来るよう、朝六時までかかって私は到頭バルザックを六十八枚書き上げ、一層心持ちがよかったわけです。バルザックが卑俗であり、悪文であるということを同時代人からひどく云われたし、現代でも其は其として認めざるを得まいが、そのようになった矛盾をつきつめて行ったので、例により扱いかたは生活的であり、私は大して不満ではない心持です。これでそういう種類のかきたいものは書いたから小説です。スーさん[自注1]の兄さんが「第一章」をかいて、健坊の父さんとは又違った意気ごみを示して居るのも面白うございます。文章を簡明――直截にしようということをこころみていて、そのことのなかには又いろいろの気持がこめられているのでしょうと思われます。
 三十一日には、近年にない大雨で、私は、こんな大晦日ってあるものかと思い目をさましました。あなたも雨ふりの東京の大晦日は何かふさわしくなくお感じになったでしょう。雪ならわかるけど、ね。
 夕方四時頃からいねちゃんのとこへ出かけようとしたら島田の母上からの書留。何かとびっくりしたらお手紙と戸籍抄本とが入って居りました。安心したといっておよろこびでした。又あなたからのお手紙もついた由。今度のお手紙には、初めて「母より」と書いてあって、私は様々の感慨に打たれました。そして、又、島田へ行ってお手紙というのをも大変見たく感じました。
 話はあとへ戻るが、今年は父ひとりになって初めての正月迎え云々ということは
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